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このサイトは、ブログ「花見川流域を歩く」で連載中のシリーズ記事「花見川地峡の自然史と交通の記憶」を掲載しています。

001 花見川地峡と印旛沼筋の「戸(と、ど)」地名

002 天戸、横戸、平戸が一連の地名であると見立てる

003 花見川-印旛沼筋の戸地名リスト

004 戸は津より古い言葉(地名)である

005 参考 天戸、柏井、横戸地名の全国検索

006 紹介 戸が人に通じるという考え方

007 「戸」を構成する4つのイメージ

008 地名研究方法に関する情報収集

009 地名研究情報収集に関する感想

010 吉田東伍著「利根治水論考」掲載の衣河流海古代水脈想定図の紹介

011 香取の海付近における古代の交通

012 「戸(と、ど)」地名検討の状況報告

013 平安時代の東海道と花見川地峡

014 資料 大日本地名辞書「浮島」「河曲」

015 14世紀文書「海夫注文」における戸と津

016 「戸と津の関係」俗論の系譜

017 紹介 東国駅路網の変遷課程

018 古代駅名「平津」と戸

019 古代水上交通関係地名・施設としての「津」と戸

020 「戸と津」に関する国立国語研究所のアドバイス

021 東海道「浮島」駅と花島観音の関係

022 花島観音と行基

023 709年に行基は花島観音と千葉寺を開基している!

024 千葉市小字図(タイプ印刷)を実見する

025 行基の花島観音・千葉寺開基伝承の再考

026 戸と津の地名に関する再考

027 八千代市高津は古代港湾(仮説)

028 柏井と横戸の直線状境界は古代官道の跡(仮説)

029 千葉市柏井の由来は船着場(仮説)

030 古代港湾「高津」(仮説)と縄文海進海面との関係

031 古代花見川地峡の物流証拠<ハマグリ>

032 平戸川(新川・花見川・勝田川)と縄文海進

033 平戸川縄文海進の海岸線イメージ

034 古代官道(仮説)を地籍図からみる

035 古代官道(仮説)と地籍図(補論)

036 古代官道(仮説)で参考にした図書

037 千葉市花見川区横戸町の小字「高台向」が意味するもの

038 千葉市立中央図書館所蔵「千葉市小字図」の館外帯出が叶う

039 古代官道跡を米軍空中写真でみる その1

040 古代官道跡を米軍空中写真でみる(その2)

041 古代官道跡を米軍空中写真でみる(その3)

042 高津に土塁(砦跡)新発見

043 高津土塁(砦跡)発見の重大性

044 杵隈(カシワイ)と古代官道基点を結ぶ通路

045 高津土塁(砦跡)の地形

046 高津土塁(砦跡)の地質

047 地名情報活用の成功事例

048 高津土塁裾部の地質

049 高津土塁の範囲機能等の想像(仮説)

050 高津土塁から高津馬牧(延喜式)の位置を考察する

051 律令国家兵部省の高津馬牧への植民ルート

052 古代東海道水運支路の直轄港湾、高津・志津・公津

053 高津土塁(仮称)の発掘調査と行政措置の必要性

054 柏井・高津古代官道遺跡の存在予測

055 杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見

056 杵隈(かしわい)のイメージ

057 杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ官道(想定)

058 杵隈(古代船着場)と古代道路が出土する可能性のある場所

059 高津土塁(仮称)の現場を歩く

060 古代杵隈(かしわい)の駅家(うまや)外構発見か!

061 杵隈駅駅家(かしわいえきうまや)(仮称)の特徴

062 「杵隈(かしわい)=船着場」仮説の増補改訂

063 古代東海道水運支路仮説と杵隈駅駅家・高津土塁

064 古代東海道水運支路が機能していた時代推測

065 「戸(と、ど)」地名検討の中間報告

066 地名「横戸」の由来と香取の海との関係

067 「木戸」地名の強力な古代拠点示唆性(検見川町の例)

068 「木戸」地名の強力な古代拠点示唆性(犢橋町の例)

069 追補 地名「横戸」の由来と香取の海との関係

070 参考 「戸」地名GISプロットの実際

071 今後の戸地名検討

072 「花見川地峡の自然史と交通の記憶」をふりかえる