HWV : Hosei Wander Vogel, club
法政大学体育会ワンダーフォーゲル部。縦走(登山)を中心に様々なジャンルとフィールドにおいて活動しています。
ワンダーフォーゲル、通称ワンゲルとは、ドイツ語で「渡り鳥」を意味します。 「渡り鳥」は山から山へと移り渡り、それぞれの山と触れ合い溶け合いながら自然と親しみます。
ワンダーフォーゲルは、19世紀後半のドイツの青年運動に起源を持ちます。1896年、ベルリン郊外のベルリン・シュテグリッツ高校のフイシャ-という生徒が、2~3の学友と山野にキャンプしながら放浪の旅をした事が始まりだと言われています。 1901年、運動のメンバーの一人、ヴォルフ・マイネンが、ワンダーフォーゲルと名づけました。Wander(動きまわる)+Vogel(鳥) つまり、渡り鳥という意味です。
このような運動が展開されるようになった背景は、当時のドイツの社会的土壌が関係しています。産業革命以降の近代化が、人々の自然に触れること、「匂い」のある場所を散策することへの希求を動機付けました。 その際、運動のスローガンは「森への退却」というものでした。これには様々な意味が込められていました。 山林の中でキャンプファイア-を囲み、フォ-クソングを歌うという行為によって大人社会の慣習に対抗する意味や、産業革命以降のドイツ社会の工業化への批判をも包摂していました。 それが故に、カウンターカルチャー、つまり既存の体制に対抗する文化として解釈され、<戯れ>であるとされ、冷たい評価を受けました。 そのような中でも、1904年にはスポーツとしての規範が制定され、次いで機関紙『ワンダ-フォ-ゲル』の創刊(1905)、渡鳥歌集 (1908)もつくられるにおよび、運動は次第に普及し、後にユ-スホステルの設立やボ-イスカウト運動にも影響を与えました。
しかし運動の普及にしたがって本来の野性味が薄れて、次第に形式化が見られるようになり、ついには<旧渡鳥> と<新渡鳥>との分裂(1905)、さらに、前者から<若き渡鳥>が分裂しました (1910) そのうえ第一次世界大戦の影響を受けて、やがてドイツ青年団からヒトラ-・ユ-ゲントに統合されるにおよんで、その青年運動としての精神的な自主性は全くなくなってしまいました。
その後のドイツにおいては、活動はあまり盛んでなくなってゆきました。 しかし日本においては、昭和初期に紹介されて以来、大学の運動部として一般的に広まりました。
活動頻度
合宿は月に1~2回、普段のトレーニングとして週2回火曜日と土曜日に行っています。体育会部活にしては軽く感じるかもしれませんが、毎回の合宿ではテント泊を行っており、密度が濃い活動となっています。夏に主に登山、冬にスキーと1年を通して活動しています。