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Algunos videos de mis guitarras y artistas que las usan.
PETR VIT
Petr Vít es actualmente profesor del Conservatorio Superior de Música de Brno y director artístico de los festivales Ibérica y Colores flamencos en la República Checa. Colabora también con numerosas revistas especializadas, en las que aporta artículos dedicados a la difusión del arte flamenco. Además de su actividad concertística y pedagógica, trabaja en la composición de obras para guitarra sola, música de cámara y música para danza contemporánea, y dirige talleres y charlas de interpretación de guitarra clásica y flamenca en Europa y Suramérica. Ha logrado premios en competencias musicales.
Israel de Franca-violin
Petr Vít-guitar
El guitarrista nació en Brno (República Checa) y proviene de una familia amante del arte. Se involucró con la música a los 10 años cuando empezó a tocar el instrumento que lo ha acompañado durante toda su carrera: la guitarra.
Estudió en el Conservatorio Superior de Música de Brno, y más adelante continuó estudios musicales en la Universidad de Praga (AMU) y en la Hochschule fur Musik und Darstellende Kunst, en Viena (Austria). Luego de su formación de guitarra clásica se dedicó de lleno a otro amplio mundo musical, el arte flamenco, estudiando en Andalucía.
En el periodo 1998-2006 trabajó como profesor de guitarra clásica no solamente en su país natal, sino también en la Escuela de Bellas Artes y Música de Cartagena (Colombia) y en la Escuela Experimental de Música de Granada (España). En el 2000 fue productor de la película El flamenco y su gente, y en los años posteriores produjo diversos documentales dedicados a la península ibérica. Ha grabado varios discos propios y colaboró con otros músicos en diversos álbumes.
Keiju Nakajima
..." だと思うのだけど?彼は今タイでNO1の売れっ子だ,ゲイである彼はとっても繊細な才能を持っているようです。僕もとってもしっとりした良いプレイをしていると思う。
スペインのGERMAN BARRANCOが作ってくれたギターMediaLunaがとっても良い音を奏でてくれてる。"....
2000年11月15日 04時48分35秒
AKIO IWAKI &
GERMAN PEREZ BARRANCO(ヘルマン ペレス バランコ)
2000.11.14 AKIO IWAKI & GERMAN PEREZ BARRANCO(ヘルマン ロペス バランコ)
すばらしい話がある,これは1991年の9月だったと思う僕とPAGANを一緒に作ったSAMとでぼくにとっては始めてのヨーロッパに行った,SAMは以前ドイツに10年ほど住んでいて,タイに住んだ後も,良く向こうへ行っていた,彼と路上演奏の旅に出たのである。向こうへ行く前に,タイの東北部にあるパクチョンと言う土地の友人宅に1,2ヶ月こもりアルバムPAGANを作り。カセットとして1000本もって出た。
ぼくらは意気揚揚として旅に出た。 始めはサムの友人のユルゲンというMUSICSIANのいるハノーヴァーへ行き彼の家に約2週間世話になった。その間僕らはせっせと毎日夕方から街に出て演奏をした,それも順調に始まりテープも売れ出し,2週間で中古車を買う金が給った。別の友人の名義を借りて12万円くらいの車を買った,フオードタゥラス1300ccだったと思う。かなり古くアウトバーンをかっ飛ばすまではいかなかったが,ちゃんと整備されていて帰りまで何の問題はなかった、2ヶ月半で27000KMくらいを運転したのだが。 SAMは免許を持っていないので ほとんどぼくが運転したのだが。
この旅は本当にすばらしい奇跡が何度か起きた。まず最初の長距離移動は北のハンブルグだったが,ここでもすごいことが起きた。 この事はまたあとで書くことにするが,不思議な出会いがあった。ぼくらはそのまま,北上してデンマークへ行った。 ここはドイツにくらべ人があったたかったものの,ちとほんわかで刺激に足りなく。 そのままスウェーデンへ行くか迷ったが,結局南下,ドイツへ戻る,ドイツ最北の町フレンスブルグでは 1時間に6万円以上を稼ぐ記録を作った,途中で嫌なバスキングのやろうに止められるまでは,あのままいけばもっと稼げたろうに! そのままドイツを一回り,そろそろドイツが寒くなってきたので,スペインに行こうと言う事になった,その途中であったのがBENNOだ、彼のことは何度も書いているのでここでは書かないが。そして フランスを一気に通り過ぎてスペインへ,高速代を浮かすために下を走ったのだが,都市のバイパス道路は無料だという事を知らず,随分と とうまわりをしてしまったのだが、ついでに 道を間違え,スイスまで行ってしまう,レマン湖のほとりで昼寝をしたのを良く覚えている。 ドイツのオートバーンでは休憩所のベンチの上で寝たりした事もあった。 マア楽なたびではなかった! ましてぼくがずっと運転だったからねえ。 そしてヤットの事ピレーネ山脈を超えてスペインのバルセロナへ入った。この時はちょうどオリンピックの前の年でそこらじゅうで工事をしていた年だった。そしていつものように路上で演奏開始! ぼくらは瞬く間に町の人気者になった。 他のバスキングの人間が俺らがいると金にならないと文句を言うくらいだったのだから。 ぼくらは10Wの小さなアンプをドイツで一つずつ買った。それをバイクのバッテリーで動かすのだ。そのバッテリーは移動中車のバッテリーに連結して充電をすると言う仕組み! ガソリンが切れそうになると演奏をした,そしてまたうごくと言う按配! 結局ドイツを中心にカセットは700本も売りさばいた2ヶ月の間に。 そのバルセロナは本当にいい感じで,リッラクスした感じだった。 ドイツが日本なら,スペインはタイと言う感じだ。 ぼくらが演奏を始めるといろんな人が集まる,またジャンキーも沢山集まってくるのだ。何もする事がないやつらは,ぼくらの演奏する夕方になると 何処となく沢山集まってくると言うわけ。多いときは彼らだけで30人以上いただろう。 ベルセロナの裏道はけっこう無用心なのだが,ある夕方知らない裏道を歩いていると,注射を打っているやつがいて,僕に向かって手を振っているではないか! これにはまいった。 でもそれ以来裏道の不安はほとんどなくなったのだけども。
そしてそこで演奏している時にAKIOにあった。いやある日本人を通じて会ったのだ正確には。 彼はその時19歳、まだ生意気盛りのころだったが。聞くとあのガウデイ―のサクラダフアミリアで仕事をしているという, そのサクラダフアミリアとは世紀の建築家ガウデイ―がライフワークとして設計した教会で,今のペースで続けるとあと完成までに300年かかるというとんでもない建物なのだが。 建築を志すものにとっては憧れの建物なわけだ。そこで彼は設計図を起こす手伝いをしているという。 この19歳の少年が! SPAINに来て3ヶ月目。(いわゆる天才見たいなやつなのだけど。最近も凄い勢いで成長していて,毎回彼に会うのが楽しみな人物です,僕のアルバムaqua そしてmoramu technoのジャケットを書いてくれています,是非hpで見てみて下さい) だけどもうスペイン語をしゃべるのだ,完璧ではないが充分通じるスペイン語を,学校に行ったと言うが ,ぼくは本当にビックリした。僕らはすぐ息投合して,毎日昼飯をいっしょに食うようになった。 またスペインの昼の定食屋が楽しみだったのだ,当時のレートで約500円で一様のコースが食えるのだ。 前菜,メインデイシュ,小ワインボトル,パン,デザート。これが堪らないのだ。彼にはいろんな場所に連れて行ってもらい,話をした,全て芸術の話だった。どう言うわけかヨーロッパには特にこのバルセロナにはそうさせる波動が流れていたのだ。僕らは毎日ワインによって芸術談義に華を咲かせた。
2週間ほど経ったころか,最初IBIZAに行って演奏するつもりだったのだが,フエリーがとんでもなく高く諦めまだバルセロナにいた。 ぼくとAKIOの息は最高潮にあっている時だった。昼間はほとんどSAMとは別行動で演奏のときだけ一緒と言うありさまだった。そしてある日僕はワインに酔いながらAKIOに言った”おいAKIOおれいつか最高のスパニッシュギターを手に入れて弾いて見たいんだ”って, そしたら彼曰く”うんそれなら今から探しに行こうよ”って で ぼくは”お前探すって,かねないよ!” AKIO "大丈夫だよ KEIJUのこと待っているGUITARがあるはずだから”って 俺は旅の間の数々のエキサイテイングなハプニングによるハイエナジーとワインのほろ酔いかん加減も手伝い ”そうか!! それならこれから探しに行こう!!”ほんとにこんな会話だった! で僕らはサムに話に行く事に決めた,ぼくは直感的にアンダルシアだと思った(フラメンコの中心である南部の事)そしたらAKIO "僕がスペイン語習ったグラナダには何件もギター屋があったよ”と それだけでぼくらは2000KM以上はなれているグラナダへ行くことにしたのだ。若いとは怖い!
サムにその事を話すが, 彼はあきれ返ってしまった! 僕は往復で1週間くれと言った! 彼はしまいには,怒りだし,演奏が出来ないのなら ここにいる意味はない。ドイツに帰ると! ぼくはそれなら1週間分のSAMのホテル代を出すとまで言ったのだ。 なにがこうさせたかは定かではない 今もって!! SAMはしぶしぶOKを出す もし1週間でかえってこなかったら僕は帰るからなとまで言っていた。 マアそう言われるのもしょうがないだろう。 ぼくを待っているGUITARは在るから探してくると言っても,通じるわけがないのだ 一般的には。 ぼくらは車の同乗者を探しに行った 2000KMはさすがに遠すぎる,ぼく一人の運転では。 日本人の溜まっているHOTELにポスターを貼る。 "幻のギターを探しにグラナダへ行きます,一緒に行く人募集”と 。物好きは2り現れた! 秋田君と言う太ったとっても感じの良いやつ,車も運転できると言う。そしてもう一人 沖縄出身の女性が現れた,早速数日中に出発と決めたが,その女性は土壇場になって挫けた。理由は覚えていない。
で僕ら3人はいざ南下!! 道もよくわからず出たもので,実際マドリッドをとうっていけば,全て 高速を無料で行けたのだが,僕らは海岸沿いの道を選んでしまった,これはずっとハードだったが,それはそれはすばらしい景色が見れた! バレンシアを通り過ぎた当たりから内陸に入り高原超えをしなくては行けないのだが,途中あったトッラクドライバーは俺はその道はいかん,車が壊れるといった道だった,知らず知らずの内に入ってしまったのだ(マアそこまで着たらその道を行く以外はなかった)。確かに険しい道だった,が最高の景色を堪能できた。車もよく故障せず持ってくれたものだった! そして2日半くらいでついたのかな? 夕方ころについたと思う。僕らは車をアルハンブラ宮殿の横に止めて早速,ギター屋を物色はじめた。それもただで手に入ると思ってだからもう夢遊病者のようになっていたのかもしれない。 アルハンブラ宮殿につずく坂の道には両脇に10件くらいのギター屋が並んでいる。上から順番に訪問した。ただでくれとはいきなり言えないから,入るなり"ここで一番いいギターを見せて下さい”と言った。 飽きれた顔をする人もあるし, まじめにだしてくる人もありそれぞれだった。 最初のギターやでは良い感じのジェントルマンがオーナ―で作者だった,マアほとんどの作者が店番もしている,彼は恭しく,ギターをフエルトに包んで差し出した。僕はポロンポロンと弾く。なんか違う! ぼくの頭の中にはもうギターの凄い音がなっていて。その差し出した美しい音ではなかった! しかし今こう書いていて,自分でビックリするのだが,その時本当にそう思ったのだよねえ。音が頭の中でなっていたのよねえ。 何はともあれ彼がぼくにそのギターをただでくれるそぶり,全くないわけで! じゃあ次の店だ! こんな調子でかなり廻ったと思う。ある店では作者の腕が一つないところがあった。片腕なのである それでギターを作るわけだ とても繊細な音がした ウインドーには パコデルシアがここに来た時の写真がある! ぼくの一番尊敬するギタープレーヤーだ,でもここでもくれる気配は全くなし! そこらで 段段夢も覚めてきたころである。あるちいさなウインドーの店から フラメンコギターの音がする,不思議な事に今まで行ったぎたー屋でギターを弾いているところは一つもなかったのだ。ここが初めてだった。ガラス越しにも凄い音でギターをバリバリ弾いている。 もうこれでもかこれでもかと言う感じで,もう一人で行っちゃっていた。僕らはガラス越しに30分ほど 釘付けになっていたと思う,≫とにかく凄いパッションだった。 はっちゃんがスパニッシュギタリストになった感じとでも言おうか?
30分後おっさんはいきなり外にでてきて,スペイン語で言った”ギターを弾くやつはどいつだ!!?” AKIOはぼくの事を指差した。彼はいきなり持っていたギターをぼくに指し出す。すごいぶっきらぼうに! ぼくはとっさに試されているのだなあと思った。 あんなバリバリのスパニッシュギターの後なにを弾けと言うのか? 僕はゆったりとした曲を弾くことにした。 なにを弾いたかは覚えていない。それも外で弾いたと思う。 おっさんはぼくが弾き終わると,うんと言うような顔をして,入れという。僕ら3人が入るともういっぱいになってしまうような店に入った。 でこのおっさんが 最初に書いた GERMAN PEREZ BARANCOだった。 最初のイメージは超怖そうな人だった。むっつりとしたスペイン人独特の顔をしてね。 でおっさん"ここになにしに来た"と言う (ぼくと秋田君はさっぱりスペイン語わからずで、ここからの会話は後になってAKIOに教えてもらったのだが) akioは凄い勢いでしゃべり出した "ぼくらははるばる日本から最高のギターを捜しに来たんだ”おっさん"それでどうするんだ” "僕等はARTで世界を変えるんだ! LOVE AND PEACEなんだ!”って ここでLOVE AND PEACEが出てくるのは一つの大きなわけがあったのだが! (これは大事なポイントなのだが)これはこの次に話す! そこからが凄かった! おっさんとAKIOは凄いでかい声でその狭い店の中やり取りが始まったのだ! はたから見ている僕らには喧嘩にさえ見えたくらい! 後から聞いたところによると。おっさん"俺はお前らの事を知っている,前から知っているんだ!” "おれもお前らと同じ事がしたいんだ,でも家族が合って ,生活がどうのこうの~~~” "でも分かった もういい 充分だもうしゃべらなくって良い!”AKIOは"いや俺はまだ言い足りないんだ~~~!’と言い合って 喧嘩の様に見えたらしい! 僕と秋田君は呆然としてそこに立っていた。 するとGERMANがAKIOの手を取ったのだ,そして握って力をいれたかのように見えた瞬間。 AKIOは大粒の涙を流し始めた! 俺らはもう一体どうなっているかさっぱり分からないのだ! ただ何か凄い事が起きた様だと 思うのみ!
GERMANは さっきとまったく違う優しい顔になって。僕を見ていったもういちど弾けと。 僕はここでなにを弾いて良いものか 直感的にわかった、自作のRICE FIELDS SONGと言う曲だった。 これは僕がはじめてBALI島にいった時つくた曲で,あのBALIガムランの音がどうにかギターで出せないものかと悩んで発見した 独特の調律のし方で初めて作った曲だった。これ以来僕の作曲能力が開花した様に思う特別の曲だった。 僕はそのギターの調律を変え弾き始めた。 でもなんせ長時間のドライブの後だからだはえらく疲れていた。 少し弾いてGERMANはそれに気がついたのか,俺に手を出せという。彼を僕の手を取ると両手で押さえた。 するとどうだろう 彼の手からは電流のようなものが僕に流れてくるのだ。からだがびくびくとしびれるのだ。 いわばかなり強力な気だと思う,≫ぼくはえらくビックリした。こんな経験は初めてだったから。 なんとなく気持ちが穏やかに落ち着いてきた。 何分間かそれをしてくれた後 手を離しもういちど弾けと言う。 僕は精一杯の気持ちをこめてその曲を弾いた,バリ島の美しい田園を思い出しながら。 弾き終わると誰もの目が潤んでいたと思う。 AKIOはアレから行ったままだし。 GERMANの目がさらに優しい目になっていた。 彼は "ムイビエン ,ムイビエン"と連発していた,"VERY GOOD "と言う意味だ。 僕はやった良かったと思った。 すると彼は "分かった お前にギターを作ってやる"と言うのだ! え~~~~! 作ってくれる? それは予想だにしていなかったことだった。 これから作ってくれるって!
するとGERMAN これはこうでこれはこうしてとギターのアイデアを凄い興奮した調子ではなし出した。こういう材料でどうのこうの。 僕が"シングルカッタワエイにしたいのだけど"と言った。 (少しボデイーを半分削り高音部を弾きやすくする)すると"そんな事は分かっている,大丈夫だ言わなくても"と言うのである。こんな人は初めてだった もうパッションの固まり見たいな人なのだ! もうこれ以上のスペイン人らしいスペイン人はいないのじゃあないかと思うくらい。彼の頭はそのギターのイメージでいっぱいになっているようだった。名前も決まっている media runaだと言う! なともかっこいい名前ではないか! (その名の所以は シングルカッタウェーにした部分の形状から"半月"と言う命名を受けているギターだ)僕はもう頭に血が上っていた! 興奮してしまったのだ! するとその弾みで。僕の座っていたいすの直ぐ横にあった,ネック用の丸太に肘を当ててしまい,それを倒してしまった! すると見事その丸太は売り物のギターを直撃してしまった! パーン! 何とも残酷な音が店に響いた! ギターは真っ二つに割れてしまったのである! 僕はただおろおろするばかり! やば~~~いどうしよう!!~~~~ と すると GERMAN ”そんなギターはくそだ ほっとけ!!!!”と言うのである。"えっ~~~"と言う感じだ! 僕はさらに興奮した 本気だこの人!!! とにかく全てが夢の様であったが はっきり一つ一つのシーンを覚えているのだ。 GERMAN は "明日シバイシンの丘の上にある俺の工房に来い! いろいろ見せてやる”
アルハンブラ宮殿は 岡の上に立っているのだが その反対がわにアルハンブラ宮殿を見渡せるシバイシンの丘と言うのがある。昔ジプシーが洞窟を掘って住みついていたところで,いまでもその洞窟を使ってフラメンコバーが幾つもある,とっても綺麗な丘だった! マアその晩は僕らは本当に興奮しまくった。 夢が現実に確実に近づいたわけだ。これもAKIOのお陰である。 彼は結局ぼくらが帰る間際までもかねの話はなかった。 AKIOはくれるんだよと言うが。 ぼくは迷った。かねの話をここでするのもおかしいし, ぼくは結局帰る間際,路上で稼いで残っているお金を全部彼に渡すことにした,5,6万円持っていたのか?。今となっては定かではない。 "これが今ぼくの出せるお金です” GERMANは きっとぼくを見て”わかった 良いギター作ったる” と言った! ぼくらはサムの待つバルセロナへ急いで戻った,全工程1週間ぴったりだったと思う。 回りの人達は 僕らの話なかなか信じなかったが,ぼくらは凄い充実して帰ってきたのだ。
それからタイに戻り何通かのてがみをGERMANに出した,が なんの返事もない! そのまま数年が経ってしまった。 ぼくは騙されたのかなあとさえ思い出したころ AKIOがタイに彼女とやってきた。 3年が経っていた。 彼はその後アフリカのセネガルに行って,あのパーカッションの神様ヅヅリーロジャーズの家族に港で太鼓を叩いていて拾われ,そのまま家に衣座ったのだった。DU_DU_にも気に入ってもらいその娘をめとれまで言われ,気まずくなりそこを出たという。その後フランス,カナダ,アメリカと渡り歩き直前まではアメリカの大学で数学の講師をしていたと言うから驚いた! とっても可愛いアメリカ人とタイ人のハーフの子と現れたのだ。ぼくはBENNOのいるドイツに行く直前で,AKIOにたのみ GERMANのところに電話をしてもらおうと思ったのだ,半信半疑だった, GERMANに繋がってぼくらだと分かった瞬間かれは"何処に行っていたんだ!!!~~!"と叫ぶ! ぼくの住所をなくしたと言う。 そのうえぼくの手紙も届いていないという! もうギターはとっくに出来ている! もう死んでしまったかと思った”とか! 1992年BKKで何人者死傷者を出す暴動があったのを彼は聞いていてそれにまきこまれたかと思ったとか! ぼくはいきなり現実になったのにほんとに嬉しかった。その話には触れない様にしていたくらいだったからね。
そしてドイツに行きパフオーマンスをBENNOとやってからぼくは一路グラナダへバスで渡った! 夜中グラナダについたが,親切なドイツ人が泊めさせてくれた。そして朝GERMANのところへ行く。息子が広場マ出迎えに来てくれ,シバイシンの丘へ向かう。もうすごい興奮である。これからぼくを待つめちゃくちゃの美女に会いに行くような気分だった事を覚えている。 GERMAN一家が温かく迎えてくれる! 少し見ない間にGERMANも老けた様だった。 そして工房へ,彼は真っ黒なボデイーのギターを差し出す。とっても丸いボデイーの角で美しい。 でこのボデイーは一体?? 彼はエボニーだと言う。エボニーとは黒檀の事で,それをボデイーに使ったギターなど初めて見た。普通高級ギターの指盤に使ったりするが。弾いてみると凄い音がする。 バチバチと言う感じ ,もうスパニッシュと言う音だ! でもこれは見た目は美女だが,偉いあばずれだぞ! 凄い荒馬を乗りこなすようなギターなのだ! これは!!! 一体!! 正直言って見た目は最高だった 人目ぼれも良いとこ! しかしこれは ただならぬギターだと直感した!
既にこのギターを手に入れた時から6年が経つのだが まだぼくには,なじんでくれていないじゃじゃ馬なのである! その名はMEDIA LUNA シングルカッタウェーにした部分の形状から"半月"と言う命名を受けているギターだ! このギターは 地元のギタープレーヤーがかなり感心したものらしく,僕が路上で弾いていたら,”お前がこのギターの主人か”というギタリストがいたくらいだった。彼曰くGERMANの作ったギターでは最高のものだと言っていた。他のギターは好きでないらしいが,このギターは別物だと言う! やっぱすごいもの作ってくれたんだと感激したその時はね。 GERMANの家でそのギターを弾くと彼と奥さんは本当に優しい目でぼくの事を見ていてくれた。 なんかスペインの親父とお袋と言う感じであったのだ! なんか凄く温かく聖なるものをぼくはそこで感じていた。 僕はその後アルハンブラ宮殿の坂を登り,宮殿を見渡せる城壁のふちまで行き,一人でそこでギターの名曲 アルハンブラ宮殿の思いで を一人悦に行って弾いていたのである。
最高の神様からの贈り物だった。 こういうことってほんとにあるんですよ。一切っ脚色はしていませんよ。 とんでもない事を考えても,それが意味ある事ならば それに答えてくれる人が ,この世のどかにいるんですよねえ。 青年よ大志いだけ だっけえ??
(GERMANのHPがあります リンクのページから行ってみてください!) そしてこのギターの音色は keiju'S workのページから gramy no microphone の曲と niraikanaのページのniraikanaiで聞くことが出来ます! そうあと liveinformationのユーラシアルンのページのkeiju&ozaza duoでも聞けるな。