賀茂神社

この写真は、テレビ東京の「ナニコレ珍百景」に鳥居の無い神社 「おおたんの史跡探検スタンプラリー」のスタンプ

として紹介された時の案内です 平成27年度の太田市内スタンプラリーの会場に指定

7/18~8/31日まで開催

太田市教育委員会 文化財課主催

祭式委員のページ

      伝、神社の屋根に付けられた三つ葉葵紋について

お気付きの方も多いと思われますが神社の屋根の大棟の部分に徳川氏の三つ葉葵の紋が付いて居ります。この謂に付いては諸説あるようですが歴史書を紐解き調査した所、最も有力な説は時の領主様(徳川氏)の方から、ある事がきっかけで神社紋として許されて掲げる事に成ったと言うのが最も相応しい説でした。それは、皆さんが良くご存知の救命犬伝説に由来しています。例幣使行列が行われる様になったのは天保3年(1646年)以降の事になります。幕府(家光)は朝廷に懇願して例幣使の奉幣を叶えて頂いた手前、例幣使一行の旅の安全には最大限気を配る事になった訳です。当然のことですが毎年道中奉行に命じ道路の整備も欠かしませんでした。そんなある時、大蛇に襲われそうになった例幣使を野良犬が退治したとの事件が起きました。この事件は例幣使の旅の安全を願う家康の化身が犬となって助けたとの噂話も囁かれたとか、そんな中、石原村の氏子達は同様の不祥事が起きない様に鳥居の様な物は立てない様にしたり機織り機の鳥居の様な形状まで気にする徹底した安全対策を行いました。そんな氏子達の気持ちを汲んだ時の領主様が三つ葉葵の紋を神社紋として許して下さったという事です。なぜ大棟に取り付けたかと言うと大阪城の落城の日に上棟したといわれる呑龍様の吉祥門の大棟の三つ葉葵紋にあやかったのではないかと考えるのが自然の様です。賀茂神社は京都の上賀茂神社の流れを汲んでおりますし上賀茂神社の神社紋は二葉葵ですから神社創建時は二葉葵だったかも知れません。それが救命犬事件以降は三つ葉葵の神社紋に変更していったと考えられます。調べてみると石原町の神社の歴史は古くはありませんでした。あまり裕福な地域ではなくて何度も何度も建て替えもしたであろう事は想像が出来ます。その事が石原町の歴史の中で伝統を刻み伝えて来た皆さんの先祖氏子が私達に譲り残してくれた贈りものと思います。