石原小唄
石原小唄 これは昔 新田の板橋さんと言う方が石原の歴史を研究してつくられたものです
区民会館の額に納めて展示させて貰っております。
石原小唄
解説表現された歌詞に言い尽くせない関連したことがらが有りますので本文を草します。
板橋 銀次(野火) 昭和59年3月
1番について
今から約330年まえから日光の東照宮春祭りに朝廷から勅使を派遣しました。これが例幣使でこのために中山
道の倉賀野から栃木県の合戦場で日光街道に至る80KMの道路を例幣使道と呼びます。時代の変遷でその面影を
残す処は少なく石原の賀茂神社の前から台の郷の江徳寺前までの道路は数少ない昔をしのぶ面影を残しておりま
す例幣使が賀茂神社前で休息したとき一匹の犬が現れ激しく吠えたてました。これを供の者が無礼な奴と手打ち
にしたところ犬の首が宙にとんで鳥居にいた大蛇に喰いつき例幣使は危うく難を逃れました。このことがあって から村人は鳥居を除去し以来鳥居のない神社になりました。
「史」は歴史の意味です。
2番について
今から310年前悪政のために苦しんだ農民を救うため韮川村毛里田村等の16人の人達が直訴しました。その 一人に石原の栗原三左衛門さんがおりました。目的は達して農民は救われたのですがこの人達は全員はりつけの
刑になりました。今その刑場跡が館林市日向に義民地蔵としてまつられ旧暦2月15日に慰霊祭が行われており
ます。石原にはこのような立派な先賢が居てその博愛と仁侠の気持ちを受けついでいます。栗原さんは佐倉宗五
郎(千葉県)杉本茂左衛門(月夜野町)さんと同格の人物です。
3番について
石原村民は祭日に五穀豊穣と一家の無病息災を祈って神前に神楽を奉納しました。これに使用した神楽面は19
面ありまして区民会館に大切に保管されております因みに起源は幕末にさかのぼります。
4番について
昔の往来は徒歩で運搬は荷車荷馬車でした賀茂神社はうつ蒼とした森が有りましたので往来する人々は一刻の憩
いの場をここに利用しました。又道路の端には清水の湧く井戸がありましてみんなこの恩恵に浴しました。いま
では運動公園でスポーツを楽しむ人達にとってなくてはならない愛の森となっております。
5番について
古くから関東の一大夏祭りとして有名な世良田(尾島町)の八坂神社から正徳5年(1715年江戸中期)に造
られたミコシを明治20年代に当所に招請し村の守護神としてまつりました。以来昭和の初期まで近郷近在にそ
の霊験あらたかと祭りの華やかさを知られました。祭典にはミコシの渡御宵宮には山車もでて露店も多数出店村
芝居もあり多くの参詣者で賑わいました。太鼓の囃子は神田明神の流れをくむものです、村人達の活力の源泉で
した永く続けたいものです。
6番について
前述の意義を継承して区民一同和をもって協力一致楽しい理想郷明るい街づくりに励みたいものです。
むすび 郷土の歴史を識ることにより郷土愛は生まれるものと信じます。