支援する会の呼びかけ人

2014年1月29日

「福島原発かながわ訴訟を支援する会」発会挨拶

共同代表 久保 新一

3・11東日本大震災・福島原発事故から3年が経とうとしています。原発事故の避難者15万4千人、県外避難者4万7千人、うち神奈川県内に2390人の方が避難生活を送っていると聞いております。避難者の事情を無視した賠償のやり方や、地域社会の喪失、事故が収束せず除染も不十分で故郷へ帰る見通しが立たない不安、また反面で周囲の人々の無関心等々、厳しい現実を前に、避難者のかたがたの心中は察するに余りあります。

こうした大変な現実の中で、神奈川県内に避難している方たちが、昨年9月と12月に国と東電を相手に損害賠償を求める訴訟を起こしました。その第一回口頭弁論が本日横浜地裁法廷で行われた訳であります。私たちの住む神奈川県内に2千人を超える多くの避難者がいて苦難の日々を送っておられたことに無自覚で、今日まで傍観者でいたことをまずお詫びしなければなりません。苦渋の中で訴訟を起したみなさまの勇気ある決断に敬意を表します。

私ども「支援する会」のメンバーの多くは、早くから支援活動に取り組んでこられた方々をふくめて、県内で脱原発の運動をしてきた者たちです。私たちの脱原発の運動は、2011年6月11日に、横浜で初めてと思われる3千人もの人々が参加して行った反原発デモをきっかけに始まりました。その後も、夏休みに福島の子供たちを横浜に招く活動をはじめ、一昨年12月の衆議院選挙には政党や候補者に原発賛否のアンケートを行った他、脱原発を訴える候補者や政党を応援しました。昨年7月の参議院選挙でも、国会議員へのアンケートや要請行動、講演会や集会、ビラまき等、みなさん驚くほど精力的に活動いたしました。恥ずかしながら、私はみなさんの活動を後ろからながめていた者の一人にすぎません。

とはいえ、こうした脱原発を願う私たちの運動が実を結んでいないことはご承知の通りであります。

それでは、私たちの運動は徒労だったのでしょうか。みなさんの訴訟も現実を変える力になりえないのでしょうか。そうではないと考えます。現在東京都知事選が行われていますが、元総理大臣の細川さんが脱原発をかかげて立候補しました。早くから脱原発の運動を一緒に戦ってきた宇都宮さんと統一して戦うことが出来なかったことは残念ですが、それでも少し前に脱原発論者に転じた、これまた元総理の小泉さんも、細川さんの参謀として脱原発の演説をしています。これに民主党政権時代原発50%依存のエネルギー基本計画を決めた菅元首相が加わりました。都知事選の帰趨は難しいと思いますが、元総理三人の脱原発揃い踏みは、それだけでも驚くべきことであり、大きな変化です。これは、原告の皆さんのくらしを根こそぎ奪った原発事故と多大な犠牲、それに私たちの運動なしにはありえなかったことだと思いますが、どうでしょうか。

昨年9月に行われたドイツの総選挙では、かつての原発推進勢力・CDUという日本の自民党にあたる保守政党が勝利しましたが、単独過半数をとれず、反原発の急先鋒・緑の党に連立を申し入れたそうです。しかし、緑の党は次の選挙のことを考えて断り、最終的にはSPDという日本の民主党に当たる政党と連立を組み、大連立政権が誕生しました。また、極右政党(NPD)の得票率は1.3%議席はゼロでした。これは、軒並み極右政党が勢力を伸ばしている他のEU諸国と違う点で、その背景はドイツ経済の安定にあると思います。ドイツの一人勝ちはユーロのせいだといわれていますが、もう一つの柱は明らかに再生可能エネルギーです。2010年に17%であったシェアが、昨年は24%になり、2025年には40~45%になるそうです。

一方、日本はアベノミクスで、お札をバラマキ、公共事業と株高で景気を支えようとしていますが、アメリカの金融緩和停止による円高・株安、経常収支大幅赤字で、メッキがはげかかっています。

本格的な景気回復のためには、再生可能エネルギーを軸にすえる以外にないのです。再生可能エネルギーへの転換は、単に景気回復の問題に留まりません。それは経済構造を変え、社会構造を変え国の形を変えます。再生可能エネルギー源は、山や川、森や海という自然に恵まれた地方にあり、しかも地産地消型だからです。これによって、消滅の危機に瀕している地方を蘇えらせることが出来ると信じています。

みなさんの訴訟は、みなさんの生きる権利とそれを支える補償を勝ち取る戦いであると同時に、私たちの、福島の、日本の、そして世界の明日につながる戦いでもあります。

私たちは微力ではありますが、みなさまの訴訟の応援をいたします。力を合わせて、みなさんの生きる場所と生活をとり戻し原発のない社会を作るために共にたたかいましょう。