4年生や大学院生のゼミでは、少人数の集まりで、学生さんが (十分な下調べをしたうえで) 数学の発表をします。その際、深澤は教育目的でしばしば質問をします。技術的な改善を促すためのものもありますがそれ以外は、「数学への向き合い方」の確認や改善を促す指導です。表面上の違いはあれど指導の必要が生じる理由は、学生さんの数学力の向上のために、深澤が次の内容を重視しているためです:
(1) 素直な心、きれいな心をもつ (ごまかさない、うそをつかない)
(2) 数学に没頭する or (2') 自分の数学力の向上に興味をもち、努力する (手を抜かない)
サイエンス全般に重要な「再現性」は、数学では実験ではなく、主に「論理」で保証されています。自分が吸収することも表現することも「論理」で行う必要があります。したがって、数学の議論を進める際、自分勝手な考えや無責任な論理を持ち込んではいけません。例えば大学入試では答案に誤ったことを書いても許されたかもしれませんが、ゼミ発表では「自分が正しいと確信がもてない内容」を板書することは基本的に許されません。汚れた心では数学上の真実が歪んでしまうため、(1) のような「心」が重要です。
数学が大好きで寝ても覚めても数学ができる人 or 人生のスキマ時間に率先して数学を詰め込める人には (2) の指導は必要ありません (多くの場合 (2') も自動的についてきますが、(2') が伴わない没頭は何かを間違えている可能性があります)。そこまで至っていない方には、(2') を実践していただきたいと思います (その努力が実って、いつの間にか (2) に到達していることもあります)。(2) も (2') も結果的には多くの「時間」を必要とします。時間を十分に費やすことは、凡人が仕事で成功を収める有効な手段だと思います(*)。
ゼミ発表がうまくいかなかったときやゼミ発表の準備が十分にできなかったとき、病気といったやむを得ない事情を除き、(1) や (2') に対してどの程度誠実であったか検証し、自分をごまかさないで立て直して頂きたいと思います。
(1) は稲盛和夫先生 稲盛和夫 OFFICIAL SITE (kyocera.co.jp) の表現を参考にしました。また、上記の内容は、先生が仰られている「仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力」のうち、「考え方」と「熱意」に関するものと言えます。 上記 (1)(2)(2') が徹底されており、準同型定理をゼミ発表できる程度の「能力」(**)があれば、代数学における新発見の可能性も十分にあり得る (ように指導できる) と深澤は考えています。
(*) 凡人である深澤が数学者になるには、この手段を取らざるを得ませんでした。育児や介護の場合には現実的に「時間」を確保するのは難しいので、人生においてこの手段をいつでもとれるわけではありません。学生ですと時間がとれる可能性が高いと判断して書いていますが、現在ではそれも偏見かもしれません。
(**) ここで言う「能力」は、狭い意味で捉えて頂きたいです。人が「能力」について話すとき、しばしば「熱意」が含まれた広い意味で語られることが日本社会では多いように思います。(ここでの説明にも多少は含まれてしまっていますが。)