院生協議会 顧問より

washから足を洗うために


 院生協議会顧問 大前敦巳


 最近のメディアでwash(あるいはwashing)という言葉を見るにつけ、何ともやりきれないような気持ちになる。日本語で洗うという意味であるが、カタカナでそのままウォッシュと表現されることが多い。地球環境保護の文脈で、うわべだけ環境に優しいグリーンなイメージを取り繕うことをグリーンウォッシュと呼ぶ。この用語自体は、国際環境保護団体のグリーンピースが、1992年に国連総会で採択された気候変動枠組条約を受けてブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)の前に、The Greenpeace Book of Greenwashのタイトルで出版を行い、うわべだけでごまかすという意味のwhitewashをもじった造語として世界中に広がっていったとされる。その後、1995年にドイツのベルリンで開催された国連気候変動枠組条約締約国会議(COP1)を経て、直近の2022年11月にエジプトのシャルム・エル・シェイクで開催された第27回会議(COP27)においても、温室効果ガス排出企業が、他社の排出削減分のカーボンクレッジット購入で穴埋めして排出量を過少にみせかけることが、グリーンウォッシュとして問題視された。

 そのwashが一人歩きして、別の文脈に転用されることもある。2015年の国連持続可能な開発サミットで採択された、2030年までの17項目からなる持続可能な開発目標(SDGs)においても、実態を伴わないうわべだけの取り組みをSDGsウォッシュと呼ぶらしい。怪しげな金品を別のものにすり替えて隠蔽し正当化することはロンダリングと言われるが(日本語で「洗浄」と訳される)、それに対して社会的に正当とみなされることであっても、偽善的な装いによって怪しげな物事を覆い隠すことをウォッシュと名づけ、告発の対象になっているということだろうか。ちなみにフランス語では、グリーンウォッシュはl’écoblanchiment(エコ漂白洗浄)と表記されてロンダリングとほぼ同義であるが、最近は英語をそのまま充てたle greenwashingを使うことが多い。

 もしそのような言葉の変化があるのだとすれば、教育の世界とも大きく関わってくるだろう。環境学習や持続可能な開発のための教育(ESD)はもとより、あらゆる教育実践にウォッシュに陥る危険がないか確かめてみる必要性がでてくるのではないか。ジェンダーやハラスメントといった言葉が普及した時と同様である。大学院の教育では、そうした一般にまだ定着していない概念や用語にも注目して、先端課題を追究しながら教職の資質・能力を高めていくことができれば、将来のリーダーに相応しい付加価値を身につけることができるのではないかと考える。医師、看護師、心理師といった専門職においても、知識や技術が日進月歩に発展する中で同じことがあてはまるだろう。

 そもそも日本語の洗うという言葉には、ネガティブな意味が付与されているわけでない。白川静『字通』によると、「洗」の項目には「先は足のさき。それをあらうと洗という。」と字義が示され、「古い時代には旅から帰ると、まず足を洗い清め、他の地で附着した邪気を祓う儀礼があった。」と説明される。給食の前には手を洗い、近年の新型コロナウィルス感染予防にも手洗いする習慣が身につき、心を洗うという表現には新たな気持ちに置き換わるニュアンスがあるし(「洗脳」は中国語由来の英語brainwashingの訳語として用いられた)、足を洗うと言えば悪い行いをやめてよりよく生きる意味になる。洗面所の温水便座ウォシュレットは、日本で開発されて世界の称賛を得ているという。そのような日本語の発想から、washの新語を再検討しグローバルに発信するといいのではないかと思ったりする。ESDを世界的に推進したのも、日本の外交官でユネスコ事務局長を務めた松浦晃一郎という方である。大学院生の皆さんも、本学で自信をもって洗練した学びを深め、教育をはじめとする分野で多方面に活躍されていくことを願いたい。

出典:Greenpeaceホームページ https://www.greenpeace.org.uk/news/what-is-greenwashing/