スマホとAIに「使われない」ための学習
大前 敦巳
中央教育審議会では、次期学習指導要領の策定に向けた議論が目下進行中である。そこでは1996年以来の「生きる力」を基本理念として(この概念も時代に応じて修正を重ねながら生き続けている!)、コンピテンシーと呼ばれる資質・能力の多様性を包摂する形で継承発展させ、多様な子どもたちの「主体的・対話的で深い学び」をより高度かつ柔軟に実装することを目指している。個別の論点は多岐にわたるが、私個人の見立てとしては、近年急速な進歩をとげているAIを活用したデジタル化が、やはり今後の教育の鍵を握るポイントになるのだろうと思っている。
インターネットが普及したのが今から約30年前のWindows95の登場を契機とし、2000年代後半からスマートフォンが普及したのに加え、2023年に生成AIが市場に登場してから今日ではさらに大きな転換点を迎えつつある。今や小学生(さらに就学前)からほぼ全員がスマホをもつ時代であり、それが学業成果(成績)にも影響するようになっている。各種学力調査などによると、長時間のスマホ使用が得点を低下させることが明らかになっているが、私の解釈はその基底に、自分自身でスマホをコントロールできるかどうかが問題であり、スマホやAIに「使われない」ようにすることが重要だと授業でも強調している。特に、巧みなビジネスによる様々な課金にはまり、それをアルバイトなどで働いて捻出し、さらには今やスマホで簡単にお金を借りることもでき、俗に「スコア地獄」と呼ばれる自転車操業のような生活に陥ってしまうと、学業におぼつかなくなるのは当然といえよう。
AI開発の国際競争が加熱する中、政府も税金で莫大な投資を企てている。しかし、AIの暴走による弊害は、すでに今日のグローバル金融経済(種々の価格変動など)に現れており、そこから私たちが教育について学ぶことは可能だろう。私が依拠する立場(あるいは願望?)からすれば、やはり教育は目先の売買で利益を追い求めるのではなく、長期的な視野をもって中身を大事にしてほしいと思うのである。それは人的資本とか文化資本と呼ばれる考え方であり、生涯にわたる学習を通じて知識・技能および資質・能力を高め、それを修得した結果が学歴や資格で認証されるという説明になる(しかし実際にはそれが見える形で証明されない問題がある)。皆さんは大学院の学歴に見合った実力を身につけているだろうか?
したがって、教育においてはスマホやAIに「使われない」、それを自らの目的と意思をもって主体的に活用するための学習が必要である。幸いにも学校は、子どもたちがスマホを使わずに生活を過ごすための貴重な場所になっている。情報教育やメディアリテラシー教育も重要であるが、それ以上に大切なのは、子どもたちが自ら考え学ぶことのできる余裕をもった学校生活を送ることである。そのためには教師も余裕をもって専門性を発揮できなければならない。逆説的にも「必要性からの距離」をとることが、AI時代に向けた次期学習指導要領の条件になるのである。以下はフランスのパリ市のホームページから、「パリで何をしようか?」と市民向けに(日本によくある観光案内でなく!)情報提供をしているものである。フランスは休暇を多くとる「バカンスの国」であり、特に文化資源の豊富なパリを安価で楽しむ方法が紹介されている。実は、このような楽しみを享受できるのは恵まれた社会階層の人々に偏っていることが知られており、それをすべての市民に広めることが行政の課題になっている。大学院生の皆さんも、将来の教員のリーダーを目指して、心豊かで余裕ある充実した生活を本学で送っていただきたい。
パリ市ホームページ「パリで何をしようか?」より https://www.paris.fr/quefaire