第1章 地理異変,異星人,そして人工地震.
第1章 地理異変,異星人,そして人工地震.
姥冗3年6月12日 午後3時54分
地震速報もないまま,大幅な地震があり,その後緊急地震速報が鳴った.
しかしその後,地震が来ることはない.
その時僕は学園にいた.
当たり前だが,学園にいればすべてが安心というわけではない.
いくら築19年と,新しい場所ではあるが,全てが安心できるわけではない.
全員混乱しているように取れるが,地震のときには一度冷静にならなくてはならない.
さて,品川だ.
それって,もしかしたら,いや,もしかしなくても…
見たことがあるのは,その状況.
この場所という場所は,海抜20mなのだ.
もしかしたら…という予感は当たることが多いはず.
早急に,逃げる,逃げる,上へ.
そして更に上へ.
34分後,まもなくして西大井地域は津波に飲み込まれたらしい.
僕達はさらに上がり続ける.
そうして更に上がり続け,たどり着いたのは林試の森.
しかしながらここも海抜20mである.
このまま僕は死ぬのだろうか.
もうすぐこの地域にも来るはずだ,諦めてはいけない,さあ,急ごう.
姥冗3年6月12日 午後4時36分
西大井地域が飲み込まれた6分後,僕達はそれを見ることになる.
そう,津波を.
でも諦めることはなく,ただひたすら逃げる.
しかしながら,何処に逃げればいいのだろうか?
津波と人間の速度比は3:1と言われているらしい.
そうなると,何処に逃げるべきだろうか?
考えている暇はない,ひたすら逃げ,逃げ,逃げ,逃げる.
そのまま真っすぐー
なにか,浸かる音がした.
1人,吸い込まれたまま,第1波が引いていくらしい.
もしクラス全員が1度に避難しているのならば,全員で32人だから,
のこり31人ということになる.
津波,というのは車の運転に似ているのかもしれない.
車の運転には,「かもしれない運転」というのがある.
まだ日本が自国党に占領される前に知られていた言葉だ.
子供が出てくるかもしれない,とか,あるいはこの先が崖かもしれない,とかのものだ.
津波だってそうだ.
第2波が来るかもしれない.
次はもっと高く来るかもしれない.
だから今できることというのは,逃げることなのである.
こんな時に留まるなんて馬鹿げた話だ,少なくとも助かる方法はこれしかないのかもしれない.
それでも走り続ける,例えば420号線をずっと走り続ければ,もっと行けるはずだ.
走れ,走れ,何処につながっていても,それでも逃げるしかないのだから.
「あ…」
心ではそう思うことは自由だが,現実はそうはならない.
ずっと走り続けてきた一般人に,「更にもっと走れ」と言われても無理な話である.
「見ていて可哀想だよね」
誰かがそう言っている.どうしたのだろう?
「どーしたのですか?見ていて可哀想なんて言葉を発するなんて」
「いやだって,民主主義の国でなぜか独裁国家を生み出したんだよ?しかも巨大津波を起こすし」
「そんなことですか,民主主義は今考えられるうえで一番最悪な国家のあり方ですからそんなこと起こりやすいに決まっているでしょう」
「でも現存する国家の在り方で一番マシである」
いや,それもそうだけど!
どうも見ていて思うのは,予想外の状況が起こっているのではないか,ということだ.
予想しやすいことにも関わらず.
でも予想,ってなんだろうか,って思う.
外れることもあるのに,人間は予想を立てたがる.
それがあっていると勝手に喜び,間違っていると勝手に沈む.
彼の場合は,予想が間違っていて,勝手に悲観的に見て,勝手に死んだ.
予想を立てること自体はいいのだが,死はやりすぎだ.
予想の差異は,それほど重要だろうか?