仏文学専攻所属の専任教員を紹介します。(50音順)
詳しい経歴や業績はそれぞれのリンク先をご覧ください。
フランスの言語学者アントワーヌ・キュリオリ(Antoine Culioli, 1924-2018)の発話理論に基づいて、言語の文法・語彙単位の意味が発話文の中でいかにして構築されるのか、そのメカニズムをフランス語や日本語を対象に研究しています。
私が研究の指針としているのは、キュリオリが言語学の目標として掲げた「諸言語の多様性を通じて把握されるところの言語活動の研究」(l'étude de l'activité de langage appréhendée à travers la diversité des langues naturelles)です。これは、言語の多様性から出発し、個々の言語の固有性(singularité)を最大限に尊重しながら詳細に記述する一方で、それらに通底する不変性(invariance)(≠普遍性)を同定し、言語活動(ランガージュ)のメカニズムを一般化可能な(généralisable)ものとして記述することを目指す態度であると言えます。
私たちが何気なく発する言葉の背後には、認知・情動(cognitif-affect)のレベルにおいてダイナミックな「心的操作(opérations mentales)」が働いていると想定されます。こうした、それ自体としてはアクセスできないランガージュの働きを、経験的な言語現象の分析を通じて、メタ言語的表象として明示化していくことが、私の研究の方法論です。
最近では、日本語の格助詞の体系的研究に関する国内プロジェクトや、談話標識の多言語比較に関する国際プロジェクトを進めています。また、日本ではほとんど知られていないキュリオリの著作の日本語への翻訳も併せて行っています。
20世紀のフランス文学および思想を主な研究対象としています。ジョルジュ・バタイユ、モーリス・ブランショ、ジャン=ポール・サルトルらについてのミシェル・フーコー、ジャック・デリダらの考察を参照しながら、実存主義が構造主義、ポスト構造主義によって乗り越えられて行く過程について考察しています。最近は、1980年代のジャン=リュック・ナンシーの共同体論に焦点を絞り、ナンシーによるバタイユ読解の射程やブランショの共同体論との差異について考えています。
哲学は難しくて、詩は苦手、美術や音楽は憧れるけど手に負えないだろう、小説なら楽しく読んできたので何かできないかと思って研究を始めました。中心に研究してきたのはフランス革命のあとの時代を生きたスタンダールという作家で、写真はこの作家にゆかりのある北イタリアの湖畔です。現実を映し出すレアリズムに分類される作家なのですが、描かれる具体的な細かい事柄に注目することで、大きな問題が浮かび上がるというのが研究の楽しみだと感じています。
論文を書くという意味での専門は19世紀文学ですが、授業では専門をきっかけに関心がつながった素材やテーマを扱うようにしています。姦通や娼婦といったジェンダーに関するもの、オペラ《カルメン》といった舞台芸術、ハイチ革命を通した植民地とフランコフォニー・・・ ばらばらに見えますが、19世紀という近代の始まりの時代が現在の自分たちの問題や関心につながっていることを学生さんたちと共有できればと願っています。
教員紹介ということですが、ここでは、教員ではなく、仏文学専攻の卒業生としてお話しします。
私がこの文章を書いている時点で、かれこれ卒業後1?年以上が経とうとしています。卒論のテーマであったマルセル・プルーストを今でも研究対象としており、かつての恩師の皆様は今では同僚(上司?)ということもあり、私と仏文学専攻との関係はより深いものがあるのは当然として、私の同級生たち(つまり同じく卒業生)にとってもまた、すでにアラフォーながら、かつて仏文で学んだことが今の人生の直接の糧となっていることを簡単にお伝えしたいと思います。
2、3年に一回、少人数でメンバーは変わりながらも不定期に再会する201?年卒業の私たち。皆かつては市川先生、喜田先生、岑村先生などの元ゼミ生だったわけですが、その折に友人たちの口から出るのは、「今だに仏検1級を目指しこつこつフランス語を勉強している」、「学生時代にはよく分からなかったカミュの小説が今では少し分かる気がしてきた」、「ひそかに小説を書いており、いつか文芸雑誌に投稿したい」なんてことだったり、はたまた政治談議になったりすると、かつて学んだフランス現代思想の概念を応用して論戦を戦わせたりもしています。そこでの風景は、よくある同窓会なるもので展開しがちな、単に遠い過去の学生時代を懐かしむだけの会話にはとどまりません。社会人となり、文学や思想、言語と直接かかわりのないように見える人生を送っていても、仏文での学びは確かに、今現在の人生を豊かにする、必要かつ重要な、生きる糧に他ならないのです。ですから私は、「仏文学専攻」で学ぶ文学・思想には、21世紀の日本人がどんな人生を送ろうが一生通して学ぶことのできる普遍的価値があることを常に信じ、研究・教育を行っていきたいと思います。
仏文で学ぼうとしている皆さん(あるいは学んでいる皆さん)、月並みな結びですが、あなたが学ぶことはすなわち、人生の道しるべとなるはずと確信しています。
最後に写真について一言。フランス留学中、私がもっとも感動したモニュメント、シャルトルのノートルダム大聖堂です。
フランス語を対象とする言語学、とりわけ意味論や語用論と呼ばれる領域で研究を続けています。言葉に興味を持つようになったきっかけは二つあります。幼少期にコミュニケーションの齟齬に違和感を抱いたこと(相手の言いたいことがよく分からない、自分の言いたいことが上手く伝わらない)。多様な日本語の話し手であると自覚したこと(複数の方言と共通語)。
外国語との触れ合いも決定的です。中学で英語を発見し、高校で英文精読の妙味に感銘を受けました。大学に入ってフランス語を始めると、素晴らしい先生との出会いにも恵まれ、フランス語がスーッと身体の中に入り込む感覚を経験しました。それから約40年、フランス語を深く理解したいという熱意はますます強まるばかりです。同じく学部生の時に学んだラテン語も、魅力が尽きない滋味あふれる言語です。Quot linguas calles, tot homines vales.
こんな経緯で、言葉についてあれこれ考えるようになりました。特に魅惑的なのが意味の問題です。言葉の意味は多面的で重層的です。口から発せられた語句や文の意味が、具体的で個別的な文脈や状況で様々な方向に変容し、絡まり合ったり折り重なったりして、実際に伝達される意味は得体の知れない妖怪のような存在です。これを捕獲して観察し、その正体を突き止めることは可能でしょうか?
専門的には、主に文学作品をコーパスとして、「論証意味論」と呼ばれる枠組みで言葉の意味を分析しています。レトリック(弁論術、説得術)におけるフィギュール(修辞技法、文彩)の諸相や翻訳学の諸問題にも興味があります。
専門はフランス・ルネサンスの文学で、主にモンテーニュとラ・ボエシーを研究しています。当時の思考の枠組みのひとつであった修辞学の観点から、作家が模倣を通じてどのように文学的な個性を表現しようとしていたかを考察の出発点にしています。方法論的な問題として、読むことにおけるアナクロニスムにも関心があります。
私の研究活動の出発点は、学部生のころに抱いていたシュルレアリスムにたいする漠然とした関心にあります。卒論は「シュルレアリスム最後の作家」と称されるマンディアルグについて書きました。大学院に進んでからは、シュルレアリスムの主導者アンドレ・ブルトンが自らの革命思想の源流にロートレアモンを位置づけていることから、その難解な作品を読み解くことが最初の課題となりました。留学以後は、ブルトンが「精神的にいちばん縁の浅からぬ相手」と呼ぶ小説家ユイスマンスにも視野を広げ、現在はそれらすべてに通じるボードレールを主な研究対象としています。
留学先は、ブルトンが「おこるにあたいする何かがおこりそうだという印象をもてるフランスの町」としている、フランス西部の都市ナントでした。牡蠣などの新鮮な魚介類を味わうことができる港町です。私には残念ながら特別なことは何もおこりませんでしたが、その後も研究を続けられているのは、ブルトンが感じ取ったナントの不思議な魅力を多少でも共有できたおかげだと思っています。
写真はナント市街にある有名な「パッサージュ・ポムレー」。マンディアルグの同名の短編はここが舞台。ジャック・ドゥミの最初の長編映画『ローラ』にも登場します。
はじめて渡仏したのは高校生の時、能を研究する父がサバティカルで滞在していたパリを訪れました。ギメ美術館等の倉庫にある能面調査に立ち会ったことや、父の友人で流暢な日本語を話すフランス人の日本学専門家たちとの出会いは、日仏文化交流への関心を強くしました。それ以前に読んでいたクローデルの能についてのエッセイは、長年の謎であった能が何であるのかを教えてくれました。
迷わず選択した仏文学専攻では、今でも尊敬してやまない先生方から貴重な教えを受け、ソルボンヌ大学では、親日家だけに収まらない世界規模の劇詩人クローデルの文学と能の関係を研究しました。最近はネオジャポニスムにも関心があり、数学者であり詩人のジャック・ルーボーから、日本古典文学の面白さを教えてもらっています。
日仏文化交流は、歴史から最新のことまで幅広い視点から研究できるので、授業やゼミで学生の皆様と多様な例を共有し、意見交換するのが何よりも楽しいです。
写真は最初に留学したニースの海です。砂ではない石の海岸がたてる波の音は素敵です。
仏文学専攻で働き始めて、もう20年ほどになります。専攻を決めていない1年生から、修士課程や博士課程の院生まで、数多くの学生たちに教えてきました。
慶應義塾大学で教える前は、北フランスにあるリール第三大学でフランス文学、ギリシャ文学、ラテン文学を学んだ後、様々な現場で教鞭をとってきました。フランスの高校教師、日本の語学学校の講師、埼玉県立高校でのフランス語アシスタントなどです……
3年生と4年生を対象とした授業を通じて、学生たちがフランスおよびフランス語圏の文化のさまざまな側面に触れられるよう努めています。それは確かに、異なる世界や、異なる生き方や考え方に出会う機会であり、ひいては、自分の文化を少し距離を置いて見つめ直すことで、自分自身や自分の文化をより深く理解する手段と言えるでしょう。
私はフランス北東部、パリの少し北、ベルギーからそう遠くない場所の出身なので、最も美しいゴシック様式の大聖堂の一つであるアミアン大聖堂の写真を2枚ご紹介します。
小学生のころ、いやもう中学生だったか、『ゴールデン洋画劇場』で前後編に分かれた『タワーリング・インフェルノ』を2週連続で観て、スティーヴ・マックィーンに心底痺れた。『大脱走』や『ゲッタウェイ』にも興奮し、けれど『パピヨン』は、ずいぶんあとになってレンタル・ビデオ(!)で借りたのだったと思う。
大学生になり、本棚にあったジャン・ジュネについて卒業論文を書いてから、魔がさして大学院に進み、勢いでフランスに留学もして、ジュネと独房と流刑地についての博士論文を提出した。かつかつの生活がずいぶん長かったけれど、幸せだった。目を皿にして本を読むこと、図書館の固い椅子に座って調べものをすること、歯がみしたり唸ったりしながらフランス語で文を書くことが、好きだった。
慶應仏文で教え始めてから20年以上経った2024年5月、メールが届いた。フランス領ギアナにあるギアナ大学の、わたしの博士論文のことを知った先生からで、ジュネと流刑地(フランス語で「バーニュbagne」という)について講義してもらいたい、との依頼だった。フランス領ギアナは、20世紀半ばまでバーニュが置かれていた、まさにその場所である。翌2025年3月、東京からパリ経由で大西洋を横断し、24時間かけて南米大陸に渡った。
首都カイエンヌにあるギアナ大学で数回話し、町で会った学生からは「ムッシュ・ジュネ!」と声をかけられたりもして、えがたい体験だった。だがもちろん、ここまで来て、バーニュを訪れない手はない。列車もバスもなくて途方に暮れかかると、そちらに帰省するという大学関係者がいて、その車に便乗して港まで行き、そこから船でバーニュの島、救済諸島へと向かった。
救済諸島をなすロワイヤル島、サン=ジョゼフ島、悪魔島のうち、ドレフュスが冤罪で送られた悪魔島は現在公開されておらず、ロワイヤル島から眺めるしかなかった。 流刑地施設は半壊して、旺盛な緑に侵食されていた。かつて徒刑囚たちを閉じこめた陰惨な独房の隣で、行楽客がマットを敷いて日光浴をしている光景は、いびつに見えた。
四方に広がる海に、自由を求めて飛び込んだマックィーンの、蝶=パピヨンのように漂う姿をつい探してしまう。この波音は、これまでと変わらずこれからも、いつまでもやむことがないのだろう。
当初は人間の時間認識に言語や物語がどのような枠組みを与えているかという漠然とした問いから研究を始めました。当時の関心はかなり散らかっていて(今も根本的なスタンスは変わっていないのですが)、哲学、文学、歴史学、人類学、宗教学などに触れていました。なにかこうしたものをまとめて扱える研究対象はないものかと考えていたときに行き着いたのが、フェヌロン、そして17世紀フランスのキリスト教文学でした。パスカルの『パンセ』を思い浮かべていただくとイメージが湧くかもしれません。現在の研究では、いわゆる「文学」の語から想像される詩や小説のみならず、書簡や日記、対話篇や歴史叙述など幅広いジャンルのテクストを対象として、形式と所論の関係を考えています。この観点から近現代日本文学を読み直す作業も行なっていく予定です。