鶴江・香川津・新川

水を恐れ、水を制し、水の恵みを受けてきた人々の営み

姥倉運河 

香川津二孝子

鶴江の渡し

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鶴江・香川津・新川地区は、姥倉運河に面しています。江戸時代の終わりごろまでは、今の新川と鶴江・香川津は陸つづきでした。当時、三角州上の城下町は度重なる洪水で人々を悩ませていました。そこで、洪水時のあふれた水を小畑方面・日本海へいち早く流して町を守るため、松本川の下流にあたる鶴江台の南側に姥倉運河が掘られました。運河沿いに住む人々は、農作業や漁業に出掛けたり、木材・竹材を運搬したりする際に運河を利用しました。今でも、運河沿いに漁船が並ぶ風景や手漕ぎの舟を用いた「鶴江の渡し」が当時の懐かしい風景を伝えています。また鶴江台の上には明治時代からナツミカンの栽培が行われています。四ツ手網を使った「しろうお漁」は、姥倉運河周辺でも行われ、早春の萩の風物詩となっています。

水を恐れ、水を制し、水の恵みを受けてきた人々の営みが鶴江・香川津・新川地区のおたからです。






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