三見

赤間関街道の宿駅町として発達した三見市と街道の変遷

床並の一里塚

三見橋

三見市目代所跡

『萩の写真データベース』で他にも三見の写真をご覧いただけます。 

三見地区の中央に位置する三見市は、藩政時代、萩城下から赤間関(現下関)へ通ずる「赤間関(あかまがせき)街道北浦(きたうら)道筋」の街道沿いにあって、寛文5年(1665)に人馬継ぎ立ての宿駅に取り立てられ、街道の要衝に発達しました。

現在の三見市は、当時の宿駅の様子をよく留め、町並みとともに、仁王像や毛利家の家紋入り鬼瓦、藩主が休息した本陣・色雲寺、薬問屋の三島屋、御高札場(こうさつば)跡、目代所(もくだいしょ)(駅)跡などが残っています。

その他にも、玉江坂と御駕籠建場(おかごだてば)跡、中山箕ノ越(みのこし)焼窯跡、床並壱里塚(とこなみいちりづか)跡、石組三見橋および石組暗渠(あんきょ)など江戸・明治・大正にかけて変遷していった「街道に関わるおたから」が残っています。

※おたからの一覧リストがエラーで表示されない場合 同時にログインしているグーグルアカウントをすべてログアウトすると改善する場合があります。または、1つのアカウントだけでログインすると改善する場合があります。