大学教員になって以降、研究と同時に、私が力を入れていることが2つあります。1つはジャーナルの編集、もう1つは学部生・大学院生の研究指導です。このページでは、これらに関する私の考えを書きたいと思います。 

①ジャーナルの編集:開かれたジャーナル編集を目指して

私は開かれたジャーナル編集を目指し、査読プロセスが公表されるジャーナルの編集にコミットメントしています。BMC Psychologyというジャーナルがそれです。このジャーナルでは、投稿された論文に対して査読者がどんなコメントをし、著者がどのように返答をしたのかが公開されています。例えば、堀内が責任連絡者になっている論文も査読プロセスが公開されています(https://bmcpsychology.biomedcentral.com/articles/10.1186/s40359-022-00822-8)。興味があればぜひBMC PsychologyのHPを覗いてみてください(https://bmcpsychology.biomedcentral.com/)。論文の抄録(abstract)の下に”Peer Review reports”という箇所があります。ここをクリックすると査読プロセスが見れます。近年、事前登録など、研究過程を広く公表する研究実践が浸透してきていますが、これと同時に、私は研究成果を公表する媒体であるジャーナルも開かれるべきだと考えています。以下に私の考えていることを書きたいと思います。

 心理学者が研究成果を研究者や社会に向けて発信する主要な媒体はジャーナルに公表する論文です。多くのジャーナルでは投稿された論文のすべてを掲載してはくれません。投稿された論文の半分とか、4編に1編程度が掲載されることになります。では、ジャーナルはどのように掲載する論文と掲載しない論文を決めるのでしょうか。それはピア・レビュー(peer review)です。ピア・レビューとは、研究者や同分野の専門家が事前に論文を評価することです。日本では「ピア・レビュー」よりも「査読」とか、「審査」と言われることが多いかもしれません。以降では「査読」と呼びます。これはジャーナルの原型ができてから今日まで、基本的には変化していません。この査読によって「掲載できる」と判断されたものが掲載されることになります。

 研究の世界に馴染みがない方には不思議に思われるかもしれませんが、実は私たち研究者はこの査読の仕方を習いません。これは本当です。大学院では、授業などを通じて、研究の仕方や論文の書き方は教わります。人によっては、実務家としての訓練を受ける人もいると思います。堀内は臨床心理学系の人間ですから、臨床家になるための訓練を受けました。でも、査読者(ピア・レビューをする人のこと)としてコメントをどのように書けばいいのか、もらったコメントにどのように返事を書けばいいのか、習った記憶はありません。査読をする立場の研究者も受ける立場の研究者もそうだと思います。

 幸か不幸か私は比較的若い時から国内外のジャーナル編集に携わる機会を得てきました。投稿された論文の担当編集委員として、査読者を探し、査読を依頼し、コメントを受け取るという作業をしてきました。その中で気づいたことがあります。それは「“査読”ということが指す内容が人によってかなり違う」ということです。以下は私の印象ですが、例えば、ある研究者は「査読は論文の弱点を指摘するもの」と考えているように私には感じられますし、別の研究者は「査読は論文のいいところを指摘するもの」と考えているような印象を持っています。さらに、「査読は論文内容に太鼓判を押すもの(=肯定するもの)」と考えておられる研究者もいるようです。この多様性は自然なことだと思います。スタンダードがありませんので、多くの査読者が自分の「当たり前」にしたがって査読をしているのが現状だと思います。人のパーソナリティが十人十色であるように、研究者の査読の仕方も十人十色であるのは不思議なことではありません。

 この査読を経て論文が掲載されるか否かは研究者にとって重要な意味を持ちます。例えば、若手研究者にとっては、奨学金をとれるか否か、研究職を得られるか否かに直接関わります。プロの研究者にとっても研究費を獲得できるか否かに関わる重要事項です。研究の世界は非常に競争が激しいですし、その傾向は残念ながら悪化すると私は考えています。ここまで重要な査読について、各自が自分の常識で粛々と査読を行う現状に違和感を感じてきました。

 従来、その重要性にも関わらず、査読は閉じられた世界で行われてきました。ごく例外的に査読プロセスが公表されたことはありますが、基本的には査読プロセスは公表されていませんでした。私は査読の世界にスタンダードがないからこそ、ジャーナル側がそれを公開するべきだと考えています。そうすることで、研究者相互で「査読とは何か」について議論する機会が生まれます。ジャーナルに読者、著者、傍観者として関わる全ての人がそれに参加することができます。また、ジャーナルがどのくらい頑張っているか、きちんと編集されているかも分かりやすくなります。

 このような考えがあり、査読プロセスが公表されるジャーナルの編集に力を注ぎたいと考えています。

②学部生・大学院生の研究指導

 私は卒業研究に取り組む学部生、修士論文の研究に取り組む大学院生が希望した場合は、じっくりと研究を指導し、それなりのレベルで研究ができるように指導するようにしています。場合によっては、学会発表や論文投稿ができるように指導するようにしています。

 それはなぜか書いてみたいと思います。まず、学生にとって、いい勉強になると思います。研究では自分の関心がある現象なりテーマに関して、書籍、論文、webページなどを調べ、勉強しなければなりません。忍耐力、集中力、主体的に行動する力が鍛えられます。また、心理学の研究は多くの場合、一人ではできません。例えば、研究に参加してくれる人、研究フィールドや機材を貸してくれる人などの協力がなければ、スムーズに研究は進みません。研究をする中で、自然とコミュニケーション力が身につきます。私は卒論生や修論生に対して、大学外でデータを取るように勧めます。例えば、これまでに担当した学生の中には、自分が卒業した高校でデータを取らせてもらった人や福祉施設で働くスタッフの方にデータを取らせてもらった人がいます。このようなことを勧めています。このためには、スーツを着込み、依頼状と手土産を携え、研究のお願いに伺わなければなりません。加えて、研究協力者に時間を頂き、研究への同意をとることが必要です。このようなプロセスを経験するだけで、自然と社会で生きていくためのコミュニケーション力が身につきます。

 あくまでも学生が希望した場合ですが、学会発表や論文投稿も指導しています。自分の研究をまとめる作業は、研究者になる人にもならない人にも有益なものであると思います。いい発表や論文公表をするためには、発表を聴いてくれる人、論文を読んでくれるに伝わるように工夫しないといけません。ただ文章を書いたり、図表を作成するわけではなく、自分が感じている面白さが伝わるように、相手の立場に立って内容を決める必要があります。「相手の立場に立って自分のしていることを見る」というスキルが身につきます。プレゼンテーションスキル、自分をアピールするスキルも磨かれるでしょう。

 学生のためになるというのが大きな理由の1つですが、もう1つ重要な理由があります。それはフレッシュな学生だからこそ気づける心理や新しいアイデアがありますが、その芽を伸ばすことが心理学に貢献することにつながると思うからです。例えば、今の大学生にとってSNS上で他者と交流することは当たり前のことです。研究によれば、この交流の質がウェルビーイングをも左右するようです。しかし、私のようなおじさんにその心理は分かりません。例えば、SNS上で「匂わせ投稿」(??間違っていたらすいません・・)をする若者・カップルの心理は分かりません。若い世代にしか分からないと思います。また、コロナ禍で様々な制約が生じ、今大学に通学する学生はこれまでの大学生とは違うストレスを経験していると思います。これも今の大学生にしか分からない心理です。社会は時代とともに確実に変化します。心理学には研究されなければならない未知なテーマがたくさん隠れていますし、若者にしかできないテーマもたくさんあります。

 この原稿を書いている 2024 年 4 月の時点で堀内が卒論・修論を指導した学生が筆頭著者として世に送り出された論文が 12編あります。このうち 4編は学会誌 (認知療法研究1編、応用心理学研究2編、行動科学2編)、Social Sciancesが1編、4 編は岩手県立大学社会福祉学部紀要,比治山大学の心理相談センター紀要が3編です。他にも学会発表を多数行っています。とても重要なことなのですが、8編のうち、6編の論文は大学院に進学していない卒業生が書いたものです。研究で大切なことは情熱です。ゼミに配属されてから2年間きちんと勉強すれば、学会誌に掲載できる研究をすることも夢ではありません。大学院に進学するしないに関係なく、卒論生でも十分に心理学に貢献することができます。

 今後も継続してきたいと考えています。