Paroles d’écrivains

作家たちの言葉

*中央大学 仏文専攻を目指すみなさんに、フランス語圏作家たちの言葉をプレゼント!(引用をクリックすると、コメントが表示されます)

「人間にとっては、ただ三つの事件しかない。生まれること、生きること、死ぬこと。生まれるときは、感じない。死ぬときは、苦しい。しかも生きているときは、忘れている。」(ラ・ブリュイエール『カラクテール』関根秀雄訳、中巻、岩波文庫、1953年、p.157)


【コメント】

ジャン・ド・ラ・ブリュイエール(Jean de La Bruyère, 1645-96)は、17世紀フランスを代表する文学者。当時の王族の家で家庭教師になると、ヴェルサイユやパリを行き来しながら、じっくりと宮廷社会を観察しました。その鋭い観察にもとづいて書かれたのが、『カラクテール――当世風俗誌』です。ラ・ブリュイエールはこの作品で、人間のさまざまな性格を、ときには皮肉をこめて、ときにはユーモアをこめて描きだしました。彼が得意とした性格描写を読んでいると、「こういう人、ほんとうにいるよね!」と笑ってしまいます。しかし、そうした描写の合間に、どきりとするような格言も飛びだします。この引用は、そんな一節です。どんなに多様な生きかたをしているようでも、「けっきょく、人間はこんなもんだよ」という診断が、グサリと胸に刺さります。

もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい。」(『ラ・ロシュフコー箴言集』二宮フサ訳、岩波文庫、1989年、p.19)


【コメント】

フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(François de La Rochefoucauld, 1613-80)は、血気さかんな若者でした。くりかえし戦場におもむき、恋愛騒ぎを起こし、時の権力者(リシュリューやマザラン)にさからって、陰謀や反乱事件に加わりました。しかし、その反乱が鎮圧され、重傷を負った後は、静かな読書生活を送るようになります。『箴言集』は、そうした思索の結晶です。ラ・ロシュフコーの本領は、ナイフのように鋭い一文で、人間の心理や、その盲点をえぐりとるところにあります。あまりに切れ味が鋭いので、ときには反発を感じてしまうほどです。そんな読者に向かって、ラ・ロシュフコーは問いかけるのです。「反発を感じたのですか? では、図星だったわけですね?」

「もし、注意深く自分を見つめるなら、人は二度と同じ状態にある自分を見いだすことはほとんどないだろう。私は私の心にそれの向きに従って、ときにはある顔を、ときには別の顔を与える。私が自分についていろいろ語るのは、自分をいろいろに見るからである。ちょっと向きを変えたり、方向を変えたりするにつれて、私の中にはあらゆる矛盾が見いだされる。内気で図々しく、貞潔で淫蕩、饒舌で無口、強靭で過敏、利発で愚鈍、陰気で陽気、嘘つきで正直、博識で無知、鷹揚で吝嗇で浪費家、これらのすべてを私はいくらかずつ、自分の中に、向きを変えるにつれて見いだすのである。」(モンテーニュ『エセー』原二郎訳、第巻、岩波文庫、1965年、p.224

【コメント】

ミシェル・エイケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne, 1533-92)は、16世紀フランスを代表する文学者。人文学や法律学を学び、高等法院(当時の裁判所)で勤務しただけでなく、ボルドー市長にも選ばれました。多彩な才能の持ち主であるうえに、宗教対立をつづけるカトリックとプロテスタントの関係を調整するという、たいへん難しい役割も果たしました。『エセー』は、そうした活動のなかで書き継がれた傑作中の傑作です。モンテーニュのすごさは、なんといっても、変化しつづける外界に対して柔軟に応答する姿勢です。また、その応答のプロセスで生じる自己自身の揺らぎや、思考・心理の変化を克明に記述していく点も、『エセー』ならではの魅力です。「私」のなかで生じる矛盾、葛藤、不一致を見逃すことなく、刻々と変化する「私」のありさまを追いかけるモンテーニュ。彼はそうすることで、いつしか人間存在そのものの変わりやすさ、はかなさを描きだしてしまうのです。『エセー』を読んでいると、固定的な枠組みで世界や人間をとらえようとすることが、愚かしく思えてきます。この引用も、そんなモンテーニュの特徴をよく伝えています。どんなときも一つの場所に留まることなく、世界と自分の繊細な揺らぎに心を開きつづけたモンテーニュにとって、「生きる」とは、自分の知性と感性を何度でも「試み(エセー)」に投げこむことだったのでしょう。

ダランベール――先生、ひとは理解しあっているんですか? また、理解されているんでしょうか? / ボルドゥー――(・・・)どんな人間も、ひとりの他人に完全に似ることはないという、ただそれだけの理由で、われわれは他人を決して正確に理解することもなければ、他人から決して正確に理解されることもないのです。万事につけて、過不足があるものです。われわれの口舌では、経験した感覚をいつも言い表し足りないか、言い表しすぎるかの、どちらかです。人々の下す判断の中には実に多くの差異が認められ、しかも気づかれず、また、幸いにも気づかれえない差異はその千倍もあるのです。」(ディドロ『ダランベールの夢』新村猛訳、岩波文庫、1958年、p.104)

【コメント】

ドニ・ディドロ(Denis Diderot, 1713-84)は、18世紀フランスを代表する啓蒙思想家です。いわゆる百科事典の原型となった『百科全書』の編集長として活躍したほか、物理学、生物学、化学、確率論、美術批評、政治批評、小説など、ありとあらゆるジャンルですばらしい業績を残しました。その活動はあまりに多岐にわたるため、残念ながら、日本ではいまだに、ディドロの仕事をきちんと評価できる状況になっていません。上の引用は、ディドロ後期の問題作『ダランベールの夢』の一節です。この作品は、全篇が「対話」、いやもっといえば、「おしゃべり」です。ディドロの登場人物は、世界の成り立ちについて、人間の本性について、軽やかに、のびやかに、おしゃべりしつづけます。そのおしゃべりのプロセスでは、思いがけない脱線が何度も生まれるのですが、その脱線もまた、いつしか世界と人間の本質を解き明かすような含蓄を持ちはじめるのです。このように、自由自在に立ち位置を変えながら、世界と人間の不確かさを見つめつづけた点で、ディドロもまた、モンテーニュの後継者だったと言えるかもしれません。上の一節には、小難しい理屈は見られません。肩ひじ張らないおしゃべりを通して、人間同士の関係にまつわる難しさ、悩ましさが、一気に語られています。それにしても、「人間は、だれひとりとして、互いに分かりあえない」という一見、否定的な考えかたも、ディドロにかかると、実におおらかで生き生きとした言葉に変貌します。どんなに厳しく過酷なこの世界の出来事も、ディドロの思考を経由すると、「決して捨てたもんじゃない」と思えてくるから不思議です。この過酷さと快活さは、晩年の最高傑作『運命論者ジャックとその主人』において、全面展開されるのです。

*フランス語もプレゼント!(引用をクリックすると、翻訳+コメントが表示されます)

« Impose ta chance, serre ton bonheur et va vers ton risque. À te regarder, ils s’habitueront. » (René Char, « Rougeur des matinaux », in Les Matinaux, Paris, Gallimard, Coll. Poésie / Gallimard, 1987, p. 78.)

【翻訳】

「きみが好運に恵まれていることを認めさせ、きみの幸福を抱きしめ、きみの危険のほうへ向かえ。きみの好運も、きみの幸福も、きみがおかす危険も、きみをじっとみつめることに慣れるだろう。」(ルネ・シャール「早起きの人たちの赤みが差した顔」、『早起きの人たち』所収、ガリマール社、1987年、「ポエジー/ガリマール」叢書、p.78)

【コメント】

ルネ・シャール(René Char, 1907-88)は、南仏プロヴァンス地方出身の詩人。この土地の自然から着想したさまざまな詩を書きました。1929年にシュルレアリスム運動に参加しましたが、その後は距離をとり、第二次世界大戦中はレジスタンス運動に身を投じています。断章形式を通して強烈なメッセージを投げかけるシャールの特徴は、この引用にも鮮やかにあらわれています。日本には 『ルネ・シャール全集』(吉本素子訳、青土社、2020年) という翻訳の成果がありますが、残念ながら、シャールの注目度は低いままです。しかし、地球環境問題が深刻化し、「自然」と「人間」の関係が改めて問われている今日、シャールの作品はもっと注目されてよいのではないでしょうか。

« Écoutez bien, ne toussez pas et essayez de comprendre un peu. C'est ce que vous ne comprendrez pas qui est le plus beau, c'est ce qui est le plus long qui est le plus intéressant et c'est ce que vous ne trouverez pas amusant qui est le plus drôle. » (Paul Claudel, Le Soulier de satin, Paris, Gallimard, 1929, renouvelé en 1957, p. 16.)

【翻訳】

「よく聴きなさい。咳ばらいなどせず、少しは理解しようと努めなさい。あなたが理解できないことこそ、最も美しいことです。最も長つづきすることこそ、最も興趣に富むものであり、あなたに可笑しく見えないものこそ、最も滑稽なものなのです。」(ポール・クローデル『繻子の靴』ガリマール社、1929年、p.16)

【コメント】

ポール・クローデル(Paul Claudel, 1868-1955)は、20世紀フランスを代表する劇詩人。ランボーやマラルメの詩に影響を受けつつ、シェイクスピアとギリシア悲劇を熱心に研究し、人間を神や宇宙、世界全体のなかでとらえようとする壮大な演劇作品をつくりました。外交官として世界各地をまわり、1921年以降の数年間は、駐日フランス大使をつとめています。代表作『繻子の靴』は、上演に11時間以上を要する大作で、残念ながら、評者も見たことがありません(汗)。ただ、クローデルの詩句は、フランスで好んで引きあいに出されます。この引用も、それだけで味わいぶかい一節です。テンポがよく、いくつかの韻律がどんどん幅を広げながら、多方向に拡散しています。その韻律の拡散にしたがって、詩句のメッセージもさまざまな意味を示唆してくれるようです。クローデル作品は、2021年、惜しまれながら逝去した劇作家、渡辺守章先生の名訳『繻子の靴』(岩波書店があります。

« Voyagez, quittez tout, imitez les oiseaux. C’est une des tristesses de la civilisation que d’habiter dans des maisons. Je crois que nous sommes faits pour nous endormir sur le dos en regardant les étoiles. » (Gustave Flaubert, Lettre à Mademoiselle Leroyer de Chantepie, 11 juillet 1858 , in Correspondance, Éd. Danielle Girard et Yvan Leclerc, Rouen, 2003.)

【翻訳】

「旅をなさい。すべてを捨て去って、鳥たちにならうことです。屋内に住まうのは、文明が強いる陰鬱な営みのひとつです。思うに、私たちは、地べたに寝転がって、星々を見あげながら寝入るために作られているのです。」(ギュスターヴ・フローベール「ルロワイエ・ド・シャントゥピー嬢への手紙、1858年7月11日付、『書簡』所収、ダニエル・ジラール、イヴァン・ルクレルク編、ルーアン、2003年)

【コメント】

ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert, 1821-80)は、現代文学に大きな影響を与えた19世紀の小説家です。とても早熟な文学少年で、10代のころからロマン主義文学に熱狂し、自分でも習作を書いていました。しかし、両親の求めに応じて、パリで法律の勉強にはげみました。その後、激しい発作を経験すると、学業をやめ、故郷のルーアンにもどって創作に専念しました。フローベールの作品で最も多く言及されるのは、『ボヴァリー夫人』です。『ボヴァリー夫人』は、何度読んでも、新鮮さを感じてしまう大傑作です。しかし、発表のたびにがらりと作風を変えるこの作家を、『ボヴァリー夫人』だけで代表させるのは、無理があります。たとえば、近年は、フィクションを通して「科学」の限界をとことんまで皮肉る『ブヴァールとペキュシェ』 (作品社) が脚光を浴びています。フローベールはまた、書簡の名手でもありました。上の書簡の抜粋も、彼のテンポのよい文章術を示す一例です。フローベールの書簡はすべて、ルーアン大学の研究センターの尽力により、パブリックドメインにおいて公開されています。見れば見るほど、貴重なアーカイヴです!

*フランスを代表する作家たち――名前をあててみよう。すべてあてたら、あなたは達人!

A. Qui est-ce ?

Michel Eyquem de Montaigne (1533-1592)

ミシェル・エイケム・ド・モンテーニュ

代表作は『エセー』

B. Qui est-ce ?

Gustave Flaubert (1821-1880)

ギュスターヴ・フローベール

代表作は『ボヴァリー夫人』

C. Qui est-ce ?

Paul Claudel (1868-1955)

ポール・クローデル

代表作は『繻子の靴』

D. Qui est-ce ?

Denis Diderot (1713-1784)

ドニ・ディドロ

代表作は『運命論者ジャックとその主人』

E. Qui est-ce ?

Marcel Proust (1871-1922)

マルセル・プルースト

代表作は『失われた時を求めて』

F. Qui est-ce ?

André Breton (1896-1966)

アンドレ・ブルトン

代表作は『ナジャ』『狂気の愛』