最近の仕事
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仏文学会秋季大会、その他
11月7日、私が監訳した『ユートピア文学選集』(平凡社ライブラリー)が刊行され、主な書店の棚に並んでいます。
このアンソロジーを編んだ意図については、本の「あとがきに代えて」から一節を引用しておきます。
戦争、政治的な緊張、社会的分断の先鋭化、気候変動がもたらす惨事、AIなど先端テクノロジーが惹起する懸念などが世論を賑わせる現在、われわれが世界と人類の未来にたいして楽観的になるのはむずかしい。進歩的なヴィジョンをいくらか侮蔑的に冷笑し、諦観と悲観主義を標榜するほうが聡明に見えてしまうのが現代だろう。
しかし広義のユートピアに希望を託した人々、矯激な夢想に身を委ねた者たちが世界と社会を変えてきたのも事実である。「未来への献身が、現在を生存可能な場所にするのだ」と喝破したのが、レベッカ・ソルニットだった(『暗闇のなかの希望』2016年、井上利男・東辻賢治郎訳)。美しい一文だと思う。楽観主義はけっして愚鈍さのしるしではなく、悲観主義はかならずしも賢明さの証しではない。現在をより良い状態に改善し、未来への希望を育むことができるのだという期待があってこそ、人生は生きるに値するだろう。現時点では存在しないが、近い未来において望ましいものや制度を想像/創造するのも、文学の役割のひとつに違いない。十九世紀フランスで書かれたユートピアをめぐる思想と物語を集めた本書が、読者にそのことを感じさせる契機になってくれれば、編者としてこれ以上の喜びはない。
この選集が刊行されるのを機に、去る10月26日に、愛知大学で開催された日本フランス語フランス文学会秋季大会で、「今、ユートピアを問う」というワークショップを企画しました。私が司会兼導入役を務め、選集の訳者のうち3名が発表者として登壇しました。この催しにぴったり間に合って本の見本が出来上がり、担当した編集者が会場に持参してくれたのも、嬉しい出来事でした。おかげでわれわれは、その本を傍らに置きながら話すことができました。
三つのワークショップが同時並行でしたが、会場には最大値で70名ほどの会員がやって来て、発表の後は活発で、有意義な質疑応答が展開しました。この場を借りて、皆さまに感謝いたします。
(2025年11月13日)
「ゾラ・セレクション」が日本翻訳出版文化賞を受賞
藤原書店から2002年に刊行が始まり、2025年5月に『ゾラ事典』をもってようやく完結した「ゾラ・セレクション」(全11巻、別巻1)が、2025年度の日本翻訳出版文化賞を受賞しました。2011年のアラン・コルバン他監修『身体の歴史』(全3巻)の監訳以来、私自身は、この賞をいただくのは2度目になります。この賞は訳者個人というより、翻訳の企画と出版社にたいして授与されるものですが、いずれにしても喜ばしいです。
「ゾラ・セレクション」の刊行は2002年、作家の没後百年に合わせて始まりました。これまでの定番を除き、ゾラの作品として日本ではあまり知られていない小説だけでなく、文学論集、美術論集にそれぞれ1巻をあて、さらには書簡集も編みました。19世紀末のフランス文壇において、ゾラはさまざまな作家グループ、ジャーナリズム、演劇界、音楽界とつながりを有し、同時代の外国の作家、翻訳家、ジャーナリストとも交流があっただけに、手紙を交わした相手はじつに多岐に亘ります。ゾラの書簡集はその意味で、19世紀末の文化状況を示す貴重な証言になっています。
(2025年10月12日)
進行中の仕事
研究者は皆さんそうだと思いますが、私も現在、いくつかの仕事を同時並行的に進めています。まもなく本が刊行されるもの、現在執筆中のものを含めて、およそ次のようになります。
1)『「フランス文学」はいかに創られたか』(白水社、2025年10月初旬刊行予定)
昨今何かと話題になる「世界文学論」の現在地を踏まえ、戦後の日本でいくつも出ていた「世界文学全集」におけるフランス文学の位置づけを明らかにした後、そもそもフランスで「フランス文学」という概念がいつ頃、どのようにして、どのような歴史・文化状況のなかで成立したかを問いかける著作です。18世紀末から20世紀初頭にかけての批評家、文学史家たち(スタール夫人、アンペール、ニザール、ランソンなど)の著作をていねいに読み解きながら、議論を展開しました。
2)『ユートピア文学選集』(仮題、平凡社ライブラリー、2025年11月刊行予定)
18世紀末から19世紀末の時期にフランスで発表されたユートピア思想・文学のアンソロジー。総勢7人による共訳の成果です。コンドルセの歴史哲学書、カベやゴダンによる社会主義思想、未来社会の設計図を示すユゴーの詩やゾラの小説、19世紀半ばに流行した「生理学」シリーズのなかで未来のパリを構想した作品、そして世紀末のモーパッサンなどによるSF短編小説を収めています。「模倣理論」で有名な社会学者ガブリエル・タルドが書いた『未来史の断片』という、意外性に富む未来小説も収められています。
この選集を編んだ意図については、本が刊行された後に、このサイトであらためて述べることにします。
3)アラン・コルバンに関する入門書的著作(水声社)
水声社が昨年「知の革命家たち」というシリーズを立ち上げました。20世紀~現代を代表するさまざまな領域の実践者たちに関する入門書のシリーズです。対象者に歴史家が何人か含まれており、フランスの歴史家アラン・コルバン(1936ー)もその一人というわけです。当初の原稿締切は今年春だったのですが、執筆が遅れ、現在に至っています。
ありがたい提案でした。コルバンはそのほとんどの著作が邦訳されており、日本を含めて諸外国で最も有名で、かつ翻訳も多い現代フランスの歴史家であることは疑問の余地がありません。来年90歳になりますが、今でも毎年のように新著を刊行する健筆ぶりには感嘆するばかりです。コルバンのいくつかの著書(監訳書を含めて)を訳し、個人的な友人でもあるコルバンについてまとまった本を上梓できるのは、嬉しいことです。どうぞご期待ください。
4)オペラ『ラ・ボエーム』のパンフレットへの寄稿
またまとまった著書ではありませんが、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』について、一文を草しました。2025年10月、新国立劇場でこのオペラが上演されるので、そのパンフレットに寄せた文章です。私は昨年、『ボヘミアンの文化史』(平凡社、2024)という本を出したので、その関係で原稿依頼が来たものです。オペラの原作はフランスの作家アンリ・ミュルジェールの『ボヘミアン生活の情景』(1851)で、拙著『ボヘミアンの文化史』では、パリのボヘミアン神話の起源となったこの本についても詳説しました。
パンフレットに寄稿した文章では、ボヘミアン神話の成り立ちと実体、そして最後に、日本の作家・永井荷風の『フランス物語』(1909)に触れました。荷風は1908年春、2か月ほどパリに滞在したのですが、彼がボヘミアン神話のプリズムをとおして当時のパリを見つめていた点に触れました。
拙文はともかく、『ラ・ボエーム』は美しい旋律に乗せて、終わろうとする青春時代に向けた愛惜のドラマです。これまで何度も観ましたが、10月の公演にも足を運ぶつもりです。
(2025年9月6日)
『ゾラ事典』の刊行
小倉孝誠編著による『ゾラ事典』(藤原書店)が刊行されました。2002年、エミール・ゾラ没後100年を機に刊行が始まった『ゾラ・セレクション』の完結編になります。興味深い挿絵を数多く収めた、二段組で600頁を超える大部な本です。参考までに、以下に目次を掲げておきます。
〈序〉読まれつづけるゾラ
Ⅰ 作品紹介
初期小説/『ルーゴン゠マッカール叢書』/『三都市』/『四福音書』/詩/中・短編/オペラの台本/戯曲/評論/書簡集
Ⅱ 作家活動とそのテーマ
私生活/作家活動/作家としての地位/美学と創作スタイル/想像世界の要素/近代性の装置/人物の類型/生の諸相/身体と感覚/逸脱
Ⅲ ゾラの全体性――芸術・社会・歴史・科学
文学の制度/文学潮流/諸芸術との関わり/社会思想との関わり/歴史と政治/科学思想への関心
Ⅳ 人名・地名事典
家族/少年・青年期からの友人/自然主義文学の仲間たち/先輩作家たち/同時代の作家たち/思想家と科学者/芸術家/ゾラの批判者/出版人/外国の作家、ジャーナリスト/ドレフュス事件関連/歴史上の人物/ゾラと縁の深い町
Ⅴ ゾラと日本
ゾラ略年譜(1840-1902)/編者あとがき/文献リスト
日本では想像しづらいかもしれませんが、現代でも、フランスにおけるゾラの人気と評価には翳りが見えません。フランスの書店で、文庫本が並ぶ棚の前に立つと、ゾラの作品がじつに大きなスペースを占めていることが一目瞭然です。
また、ゾラの作品はしばしば映画やテレビドラマの素材になってきたし、ゾラ自身が歴史上の人物として映画に登場することもあります。近年では、ドレフュス事件の真実を抉りだしたロマン・ポランスキーの作品『オフィサー・アンド・スパイ』(2019年、日本公開は2022年)に、短いシーンですが、姿を現わしていました。この作品の原題は J’accuse、「私は告発する」。ゾラが1898年1月13日に発表した新聞記事のタイトルであり、この記事がドレフュス事件の流れを大きく変えることになりました。原題はゾラに向けられた敬意の表現でしょう。
他方で、2015年に公表された、フランスの二つの雑誌によるアンケート結果がゾラへの高い評価を裏づけてくれます。ひとつは「フランス人が愛する十人の作家」を問う調査、もうひとつは「フランス内外において、フランスとその文化、言語そして精神をもっともよく体現していると思われる作家は誰か」という質問でした。
前者が読者の嗜好を問い、作家をめぐる人気投票だとすれば、後者は、価値判断のレベルでフランスを代表する「国民作家」は誰か、という問いでしょう。そしてゾラはどちらのアンケートにおいても、堂々と第三位に選ばれているのです(ちなみに一位はどちらも、『レ・ミゼラブル』の作家ヴィクトル・ユゴー)。この調査は、現代のフランス人のあいだでゾラがいかに愛読され、高評価を享受しているかを明確に示しています。
今回の『ゾラ事典』は、ゾラ文学の豊饒な世界を味わうための案内として、同時に彼が生き、活躍した十九世紀後半のフランスの文化史を瞥見するためのガイドブックとして読んでいただければ幸いです。
(2025年3月26日)
日経への寄稿
今年は戦後80年に当たるということで、昨年あたりから第二次大戦関連の本がいろいろ出版されています。そうした状況を踏まえ、私は『日本経済新聞』2025年3月8日版の読書欄のコラム「今を読み解く」に、一文を寄せました。これは一定のテーマにそくして、最近出た本を紹介するという趣旨のコラムです。
私の寄稿は、戦争を個人史から読み解くという視座で、戦争を地政学的に俯瞰するのではなく、実際に戦争を 生きた、あるいはさらされた個人の体験と証言をとおして戦争を記述した4冊の書物を紹介するものでした。
それらの多くに共通しているのは、著者が当事者の言葉に忍耐強く耳を傾ける姿勢です。生き延びた者たちは、死者に対して後ろめたさを感じ、ときにはそのトラウマが生涯消えません。他方で、みずからの体験を語り、後世に伝えたいという強烈な使命感を覚えています。忘却の誘惑と闘いながら、当事者たちおよび本の著者たちは記憶の語り部になったのです。
市井のひとの証言や回想や手紙によって歴史を構築する流れは、世界的な傾向です。近年はそれらをエゴ・ドキュメントと呼び、たとえば感情史の領域で貴重な資料になっています。フランスの歴史家アラン・コルバンがこの10年あまりに刊行した著書の多くで、このエゴ・ドキュメントを活用しているのは示唆的でしょう。
広く言えば、エゴ・ドキュメントとは一種の自伝であり、回想録であって、これは古くから存在する文学ジャンルです。しかし日本の文学研究の場では、対象が外国文学であれ日本文学であれ、自伝ジャンルの研究は低調です。私が専門とする近代フランス文学は、ルソー以来、自伝・回想録の豊かで濃密な歴史を誇っています。
私はかつて『犯罪者の自伝を読む――ピエール・リヴィエールから永山則夫まで』(平凡社新書、2010年)という本を出しました。いずれ機会があれば、より広く自伝ジャンル全体について論じたいと思っています。
(2025年3月19日)
講演その他
1)大東文化大学に招かれて、以下のような講演をします。参加自由、事前申込不要、無料です。
テーマ:「外国語を学ぶことで何が変わるのか」(外国語学部主催の講演会ということもあり、現代において外国語を学ぶことの意義について、個人的体験をまじえながら考えます)
日時:2024年12月11日(水)、16:45~18:15
場所:大東文化大学板橋校舎3号館0111教室
2)2008年に刊行された拙著『パリとセーヌ川』(中公新書)はかなり以前から絶版でしたが、このたびKindle版で復刊の運びとなりました(11月29日発刊)。はじめて書いた新書だったので、個人的には思い入れのある本です。もしかしたら、夏のパリ五輪開会式がセーヌ川を舞台にし、いくつかの会場がセーヌ河畔に位置していたことから、パリとセーヌ川への関心を新たにした人たちがいるのかもしれません。
オリンピックにちなんで、パリの歴史においてセーヌ川がどのような役割を果たしてきたかについては、1)『ふらんす』(白水社、2024年8月号)、2)『日本経済新聞』2024年8月4日の文化欄に一文を寄せました。
(2024年12月7日)
アラン・コルバンの新著
10月下旬に、アラン・コルバンの新著『休息の歴史』(原著は2022年、藤原書店、小倉孝誠・佐野有沙訳)が刊行される。
これまで思いがけないテーマや問題設定によって「感性の歴史」や文化史に大きな貢献をしてきたコルバンだが、本書もまた意外なテーマを論じて読者を快い驚きにいざなってくれる。休息と言えば、仕事や勉強や訓練から解放された時間であり、疲れた身体や精神を休める時間である。それは古今東西を問わず普遍的な現象であり、そこに歴史的な変遷や社会的認識の差異があろうとは思えない。だがそうではない、とコルバンは言う。本書で休息という訳語を当てたフランス語 repos は、確かに「休息」「安らぎ」という意味だが、この語の周囲には社会的、政治的、宗教的、医学的な含意が嵌め込まれていて、それらの含意は西洋文化圏では歴史的に変化してきた、というのが著者の見立てである。
参考までに付言するならば、本書でコルバンが休息というテーマとの関連で触れた話題のいくつかは、他の歴史家によって発展させられている。たとえば、本書第六章で避難所としての寝室が休息にとって重要な空間であることが強調されているが、寝室をめぐってはミシェル・ペローが『寝室の歴史』(2009、邦訳は藤原書店)を上梓して、私生活空間としての寝室だけでなく、修道院、兵舎、寄宿舎、ホテルの部屋、病室などひとが眠る場所を網羅的に考察してみせた。身体と精神の疲労は、とりわけ19世紀から現代にかけて多様な議論を巻き起こしてきたが、ジョルジュ・ヴィガレロが大著『疲労の歴史 中世から現代まで』(2020、未邦訳)のなかで、社会史、感性史、医学史そして経済史の観点から体系的に論じた。もちろんコルバンは彼らの著作を念頭に置きつつ、休息というテーマに特化して叙述を展開したのである。
今年88歳になったコルバンだが、現在も毎年のように新著を世に問うており、その健筆ぶりに衰えは見えない。本書以降も、単著として『脆弱性――漆喰とフランス史』(2023)、共著として『感受性の歴史』(2022)、『アラン・コルバン、歴史の作家』(2024)が出版されている。そしてさらに、『喜びの歴史』がつい最近上梓された。次はどのようなテーマでわれわれを驚かし、魅了してくれるのだろうか。
なお私は、現在、アラン・コルバン論を準備中である。これは某出版社が、20世紀~現代において大きな足跡を残した(残している)思想家、歴史家、社会学者、作家に関する概説書シリーズを立ち上げることになり、その1冊として立てられた企画である。これまでも、コルバンについては求めに応じて短文や雑誌論文を書いてきたが、これを機にコルバンの仕事全体を総括してみたいと思っている。
(2024年10月20日)
パリ・オリンピック開会式
パリ五輪が開幕し、予定どおり、開会式では各国選手団がオステルリッツ橋から船に乗ってセーヌ川を下り、イエナ橋で上陸して会場となるトロカデロ広場に集結しました。さまざまな困難が予期されるなか、あえてセーヌ川とそこに架かる橋を開会式セレモニーの舞台にした歴史的、文化的背景について、私は雑誌『ふらんす』(白水社、2024年8月号)に書きました。
雨に見舞われるという不運はありましたが、セーヌ川での祭典は予定どおり行なわれました。ドゥビイ橋上での歌とダンスが、キリストの最後の晩餐にたいする不敬な風刺だとして、カトリック当局と保守派の批判を浴びましたが、私自身は大胆で、いろいろな意味で興味深い演出だと思いました。開会式を見ての感想を、『日本経済新聞』2024年8月4日朝刊の文化欄に寄稿したので、お読みいただければ幸いです。
私が評価したいのは、演出者たちが開会式をフランスの歴史を言祝ぐための手段にしなかった、という点です。オリンピックの開会式は、開催国にとって自国の歴史や文化遺産を称賛するための格好の機会であり、実際オリンピックの歴史ではそのように利用されたこともありました。しかし今回のパリ・オリンピック開会式は、セーヌ川、橋、河畔の由緒ある建造物など、フランスの歴史と文化に深く関わる場所を利用しながら、けっして過去の栄光を誇るための記憶の場にしていません。歴史建造物を舞台装置として活用しながらも、それらを現代フランス人の生活空間、市民の空間として演出したのです。
ノートル=ダム大聖堂、パリ市庁舎、ルーヴル宮などを背景にしたのですから、それらと関係する歴史上の英雄や偉人(ルイ14世、ナポレオン、ドゴールなど)のイメージを登場させることもできたでしょうが、そのような演出になっていませんでした。ドラクロワの絵、ユゴー『レ・ミゼラブル』、ジュール・ヴェルヌの小説、草創期の映画、サン=テグジュペリ『星の王子さま』など、フランス文化遺産のイコンにしても、注意しなかれば見逃してしまうほど短い映像で示されただけです。私はそこに、演出者たちの強い主張を読み取りました。
(2024年8月5日)
祝祭空間としてのセーヌ川――パリ・オリンピック開会式に寄せて
ついにパリ・オリンピックが開幕しました。
予定どおり、開会式では、各国選手団が船に乗ってセーヌ川を下り、会場となるトロカデロ広場に集まるというセレモニーが展開しました。航路とその両岸は世界遺産で、ノートル=ダム大聖堂、ルーヴル美術館、フランス学士院など歴史的建造物がずらりと並ぶ一帯です。テレビ映像は、そのあたりをしっかり見せていました。
オリンピック史上はじめての試みでしたが、パリとセーヌ川の歴史を考えると、けっして突飛な発想ではありません。首都のど真ん中を東西にゆっくり貫流する大河であるセーヌ川は、じつは昔からさまざまなイベントに利用されてきたのです。17-18世紀の王政時代には、国王権力のディスプレイ装置として、19世紀以降は共和国の政治的祭典や、万博の舞台として活用されました。セーヌ川は長い歴史をつうじて、さまざまな祝祭空間を提供してきたのです。
雑誌『ふらんす』(白水社、2024年8月号)の特集は「パリ・オリンピックとセーヌ川」。私も寄稿し、パリの歴史において、セーヌ川がどのように祝祭空間として演出されてきたかを解説しました。
(2024年7月28日)
『批評理論を学ぶ人のために』重版
2023年4月に刊行された小倉孝誠編著『批評理論を学ぶ人のために』(世界思想社)が、この7月中に重版の運びとなりました。初版刊行から1年余り、類書がいくつかある中で重版に至ったことを、編著者としてとても嬉しく思っています。さまざまな国、文化圏の専門家たちの協力を得て実現した企画でした。この場を借りて、執筆者の皆さまにあらためて感謝申し上げます。
批評理論は欧米起源のものが多いのですが、本書では、いくつかの批評分野で日本人の貢献が小さくないことを強調しました。また、「実践編」として現代日本の文学作品やアニメも論じています。そうした点が読者に評価されたのかもしれません。
文学や物語についてより深く考えてみたい人のお役に立てれば幸いです。
(2024年7月8日)
『〈女らしさ〉の文化史』の再版
6月下旬、次の拙著が再版されます。
『〈女らしさ〉の文化史 性・モード・風俗』(中公文庫)
19世紀~20世紀初頭の近代フランスがおもな対象。文学、絵画、医学、生理学、礼儀作法書、啓蒙書などさまざまな領域を取り上げて、女性の身体と情動がどのように表象されたかを論じました。原著は法蔵館から1999年に刊行され、2006年に中公文庫に収められたものです。絶版になっていたのですが、このたび再版されることになりました。
原著刊行から四半世紀経っているので、今回の再版にあたっては、近年のジェンダー研究の状況を踏まえて新たに「補章」を書き下ろし、書誌情報をアップデートしました。
私がこれまで書いた本のなかで、本書は比較的多くの読者に恵まれた本でしょう。そこで論じたテーマを敷衍して、大学の講義やカルチャーセンターで話したこともあり、テーマの性質上、とりわけ女子学生や女性受講生が関心を示してくれました。内容はかなり昔のフランスのことですが、現代の日本人が読んでも身近な問題として認識しているのかもしれません。
(2024年6月4日)
書評もろもろ
この1月に出た拙著『ボヘミアンの文化史』は、いくつかの新聞の読書欄で書評に取り上げられました。『毎日新聞』(3月2日)、『日本経済新聞』(3月9日)、共同通信配信による各地の地方紙(3月半ば)、『公明新聞』(4月29日)、『読売新聞』(5月19日)、そして『図書新聞』(5月25日号)です。現代日本の時事・社会問題を論じたわけではなく、近代フランス文化の一面を叙述した本が、これほど多くの新聞で書評されたことを著者として嬉しく思っています。そして、書評を担当してくださった方々に、この場を借りて感謝いたします。
他方で、私はかなり以前から、各種新聞や雑誌、専門誌などに書評を時々寄せます。依頼されることもあれば、こちらから提案する場合もあります。ときには、私の専門分野とは異なる領域での本の書評を依頼されることもあり、じつはこれがとても勉強になり、楽しいのです。書評の依頼がなければ、おそらく手に取る機会を逸したであろう興味深い著書を読むことができるのは、まさに僥倖と言っていいでしょう。この半年の間に書いた書評は次のとおりです。
マイケル・フィンクル『美術泥棒』(古屋美登里訳、亜紀書房、2023年)、共同通信配信、2023年12月
F.B.アルバーティ『私たちはいつから「孤独」になったのか』(神崎明子訳、みすず書房、2023年)、『日本経済新聞』、2024年1月6日
稲垣直樹『「レ・ミゼラブル」包括論 世紀を越える神話創造』(平凡社、2023年)、『公明新聞』、2024年3月4日
藤森晶子『パリの「敵性」日本人たち 脱出か抑留か 1940-1946』(岩波書店、2023年)、『北海道新聞』、2024年3月10日
イヴァン・ジャブロンカ『マチズモの人類史』(村上良太訳、明石書店、2024年)、『日本経済新聞』、2024年5月18日
歴史書、文学研究書、そして美術関連のルポルタージュとジャンルはさまざまですが、いずれも刺激的な読書でした。
(2024年5月31日)
中部大学での研究発表
中部大学が数年前から、「人文学の再構築」というテーマで断続的に研究会を開催しています。さまざまな分野の人が、自分の専門とする領域を中心にして過去および現在、そして場合によっては今後の知のあり方を問いかける場です。企画の中心になっているのは、玉田敦子さんと安藤隆穂さんのお二人です。
去る3月26日は、「人文学における近代」というシンポジウムで、安藤さんが「社会思想史の近代認識――水田洋と近代的個人への歩み」、玉田さんが「近代人文学と女性――アダム・スミス『修辞学文学講義』の例外性」、そして三島憲一さんが「ドイツの大学における古典文献学・近代文学研究・歴史学の定着と変遷」というタイトルで、きわめて興味深い発表をなさいました。
私は「フランス第三共和政における大学と人文学の再編(1870-914)」というテーマで話しました。これは三島さんの問題提起に応答するかたちでなされたもので、三島さんと私はそれぞれ19世紀~20世紀初頭のドイツとフランスを対象にして、文学研究、歴史学が大学制度のなかでどのように形成されたかを論じました。
フランスは1870年の普仏戦争に敗れ、ナポレオン三世の第二帝政が崩壊したことが大きな社会的トラウマになりました。そして多くの知識人と作家(哲学者ルナン、歴史家モノやラヴィス、社会学者デュルケーム、作家ゾラなど)が、フランスの敗北の理由を考察しました。その際の共通認識の一つが、フランスの教育制度が不備だったということだったのです。こうして19世紀末、第三共和政はとりわけ大学制度を抜本的に改革していきます。現在にまでつながる文学研究、歴史学、さらには心理学、社会学、人類学などの制度的基盤がこの時代に確立したことを、私自身あらためて認識できました。
シンポジウムでの発表は、近いうちに冊子として活字化されることになっています。
(2024年5月6日)
ブックフェアのお知らせ
拙著『ボヘミアンの文化史――パリに生きた作家と芸術家たち』(平凡社)が刊行されるのを機に、神田の東京堂書店が「ボヘミアンを深く知るために」というテーマでブックフェアを開催します(1月下旬に開始予定)。私がそのために約40冊の本を選び、それぞれ100字程度のコメントを付しました。外国および日本の文学、音楽・美術関連、文学史、文化史・社会史の領域から、ボヘミアンの習俗、心性、文化を知るのに役立つと思われる著作を選書したものです。
現在でも簡単に入手できるもの(品切れや絶版ではないもの)、かつあまり高額ではないもの、という制約があるので、私が当初考えた本のすべてが店頭に並ぶわけではありませんが、ボヘミアン文化という知っていそうで、じつは明確な像を結びづらい現象について考える際の参考になると思います。
神田界隈にお出掛けの折に、足を運んでいただければ幸いです。
(2024年1月14日)
新著の刊行
2024年1月に、新著『ボヘミアンの文化史――パリに生きた作家と芸術家たち』(平凡社)を刊行します。数年前に、白水社の月刊誌『ふらんす』に1年間連載したものが出発点ですが、ほぼ書き下ろしです。ボヘミアンと言えば、貧しく、放浪的な人生を送る作家や芸術家というイメージが一般に流布していますが、実際はどうだったのか? フランスを中心に、1830年代のロマン主義世代から、1920年代のシュルレアリスムまで、1世紀にわたるボヘミアンの現実と表象をたどります。
ボヘミアンという言葉は、現在でも「気ままな放浪者」といった意味で使われます。プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』(フランス語でボヘミアンという意味)で描かれている19世紀パリの貧しく、しかし呑気な芸術家集団のイメージが、その後のボヘミアン像を強く規定してきました。このオペラの原作が、フランス作家アンリ・ミュルジェールの『ボヘミアン生活の情景』です。ミュルジェール以降も、ボヘミアン作家・芸術家の流れは変化を伴いながらも続きます。拙著では、その変化を、同時代の文学作品、手紙、日記、回想録などにもとづいて明らかにしていきます。
フランスの作家、画家が中心になりますが、それ以外にも、パリで暮らした日本人(永井荷風、藤田嗣治)、アメリカの「ロストジェネレーション」(ヘミングウェイなど)など、他の国の作家も登場します。また1950年代アメリカの「ビート・ジェネレーション」を代表するジャック・ケルアックの作品を、ボヘミアン性の視点から読み解くページが含まれます。
日本ではこれまで、ボヘミアンと言えば、19世紀末にパリ・モンマルトルで暮らした貧しい画家のイメージとして語られてきました。しかし、ボヘミアン性にはもっと長く、複雑な歴史があり、政治的、思想的な次元もあります。拙著『ボヘミアンの文化史』は、日本語でボヘミアン性を体系的に論じた最初の本だと思います。
(2023年12月22日)
この数か月の間に、次のような講演や発表をしました。
1)「紅緑が愛したフランス作家たち」弘前市立郷土文学館、2023年8月19日
佐藤紅緑(1874-1949)は、明治から昭和にかけて活躍した作家で、初め自然主義的な作品を書いて作家としての地位を確立し、その後は大衆小説や児童文学の大家として名声を博しました。他方で彼はユゴー(1802-85)、デュマ(1802-70)、ゾラ(1840-1902)など、19世紀フランスの作家を愛読し、ときには翻訳もしました。これらの作家がどのような作品を書いたのかを、フランスの時代状況と関連づけながら解説したうえで、なぜ紅緑が彼らの作品に惹かれたのか考えてみました。また紅緑は外務省嘱託として1923年にヨーロッパを訪問し、パリにも滞在しました。フランスの1920年代は「狂乱の歳月」と呼ばれることもあり、価値観と社会構造が大きく変化した時代です。紅緑が見た、そして感じたであろう当時のパリについても話しました。
紅緑は弘前生まれの作家なので、地元の文学館が展覧会と講演を企画したものです。弘前は私が中学・高校時代を過ごした町で、今回声を掛けてくれたのは、弘前高校時代の同級生Kさんでした。久しぶりに弘前を訪れ、懐かしく感じました。
2)「文学研究の過去と現在――フランス(語圏)文学を中心として」中部大学、2023年10月7日
中部大学が数年前から企画している研究会「人文学の再構築」の一環として行なった講演です。少し大仰なタイトルを掲げましたが、発表内容としては、1)フランス文学という概念がそもそもいつ頃成立したのか、2)文学研究の成果である「文学史」はどのように始まり、制度化されたのか、3)近年、フランスや日本において刊行された「フランス文学史」はどのように書かれているか、4)この領域での私自身の試み、5)そして最後に、私が関心をもつ批評方法として、文学の社会性をどのような視点から問うことができるか、という点について話しました。専門的な研究発表というより、私自身が関わった著作や、私自身が強い関心を抱く分野での体験を踏まえての、「研究ノート」です。
3)「自然と付き合うこと」アラン・コルバンと堀江敏幸の対談の司会、東京日仏学院、2023年11月3日
「感性の歴史学」を代表するフランスの歴史家アラン・コルバンと、現代日本を代表する作家・エッセイストの一人・堀江敏幸の対談で、私が司会を務めました。コルバンの著作はほとんどすべて邦訳されており、最近は『木陰の歴史』『草のみずみずしさ』など自然や環境をめぐる著作が目立ちます。当日は、「自然と人間」「土地と、そこで生きる人間のつながり」「風景というテーマ」「歴史と文学」などのテーマをめぐって、二人の間で実り多い対話が展開しました(コルバンはパリからオンライン参加)。
私自身、コルバンの著作の訳者であり、最後に彼に会ったのは2019年9月のパリでした。画面越しとはいえ、久しぶりに元気なコルバンの姿が見られて嬉しかったです。1936年生まれのコルバンは87歳になりましたが、今でも毎年のように新著を刊行しています。近著は2023年9月に出たFragilitas (Plon) で、19世紀前半を「石膏の時代」と位置づけ、この素材が当時の建築、美学、科学、感性と深く関わっていたことを示す異色作です!
4)「変容することばたち」スパイラルホール、2023年11月23日
東京のEU代表部が主催した「ああいう、交遊、EU文学」発足記念イベントでの発言です。「翻訳者によるプレゼンテーション」というセクションがあり、EU加盟国の文学について、報告者がまだ邦訳されていない一押しの作品を、5分間で紹介するというものでした。私はフランス文学を代表して、2022年度ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの『歳月 Les Années』という作品について話しました。エルノーの代表作です。
このイベントは趣向を変えて来年も開催されるとのことで、楽しみです。
5)「フランス文学案内:オリエント紀行の系譜」朝日カルチャーセンター(新宿)、2023年12月8日)
近代のフランス作家たちは、しばしば旅に出て、旅行記を書きました。旅の目的地はさまざまですが、19世紀に文学的、文化史的に重要なのはオリエントへの旅です。とりわけギリシアや中近東への旅は、異国趣味の次元にとどまるものではなく、文明や宗教の起源に遡るという意味をもっていました。同時に、そこには植民地主義の問題が関係しています。シャトーブリアン、フロベール、ロティらの東方旅行記を読みながら、オリエント紀行がはらむ多様で複雑な側面について考えました。
(2023年12月10日)
8月下旬に次の本が刊行されます。
アラン・コルバン編『雨、太陽、風 天候にたいする感性の歴史』(小倉孝誠監訳、藤原書店)
3人の研究者の協力を得て実現した共訳です。天候の変化は日常的な出来事ですが、雨、風、雪、霧などの大気現象にたいして人々はどのような感情をいだいてきたのか。それはけっしていつも同じ感情ではなく、時代によって変化したというのが本書の基本認識です。編者コルバンが「気象学的な自我」と名付けるものは、少なくともフランスでは18世紀後半から19世紀初頭のロマン主義時代に形成されたという。天候とその変動をどのように感じ、価値づけ、表象してきたのかという問いが、歴史学の問いかけになっています。史料として活用されるのは科学的啓蒙書、気象学や地理学の著作、フランス各地の民話や伝承、文学作品、絵画やポスターなどの美術作品、そして現代のアンケート調査ときわめて多様性に富む。
本書で論じられる歴史は、いわゆる「気候の歴史」とは異なります。気候の歴史は、人類学や民族学のほかに、気象学、地理学などの自然科学諸分野の成果を融合させながら、数世紀ときには数千年単位の長いスパンにわたって気候変動の歴史をたどり、それが社会生活や経済活動にどのような影響をおよぼしてきたかを明らかにしようとします。フランスに例をとれば、ル=ロワ=ラデュリの『気候の歴史』や『気候と人間の歴史』が代表的な業績で、現代ならばそこに、環境学的な考察が寄り添うところでしょう。
それに対して本書は、日々変化する天候あるいは天気を人々が同時代的にどのように感じてきたのかを問う感性の歴史に属する試みです。したがって気候の歴史に比べれば短い時間軸にそって、章によって多少の違いはあるがおもに18世紀から現代までを対象にして、雨、太陽、風や嵐、雪、霧と靄、雷雨など具体的な気象現象ごとに章が立てられ、最終章では、そのような気象の変動を予測する天気予報への人々の高い関心とその心理的な影響が論じられています。
日本は毎年のように台風、大雨、猛暑、大雪などに見舞われる国であり、それがときには日常生活や経済活動に甚大な影響をおよぼしますから、天候に無関心ではいられません。実際、気象に関する情報がさまざまなメディアをつうじて数多く流されるし、日本の天気予報の高い精度には驚嘆します。
本書の対象は西欧の歴史ですが、天候の変化に敏感なわれわれ日本人にもなじみ深いテーマが展開します。手に取っていただければ幸いです。
(2022年8月21日)
去る7月30日、日本サルトル学会の研究例会で、「フロベール研究者として『家の馬鹿息子』をどう読むか」というタイトルで、講演(というより報告)をしました(立教大学)。サルトル研究者の澤田直氏(立教大学)、黒川学氏(青山学院大学)の興味深い発表が続き、その後は対面・オンライン参加の方々と実りある質疑応答が展開して、有意義な時間を過ごしました。ちなみに澤田、黒川の両氏は、『家の馬鹿息子』の訳者でもあります。
『家の馬鹿息子』L'Idiot de la familleはサルトルが1971-72年に刊行した、文字通り浩瀚な3巻本のフロベール論です。サルトル最後のまとまった著作であり、サルトルの仕事の総決算であり、同時にフロベールとその時代に関する素晴らしい研究です。その邦訳(全5巻、人文書院)が2021年12月に完結し、今回の研究会はその記念を兼ねての催しでした。
私はフロベール研究者の一人として、『家の馬鹿息子』のどこが問題であり、どこに価値があるかを論じました。原著刊行から半世紀、フランスでも日本でも、少なくともフロベール研究者がこの著作に注目することは多くありません。しかし個人的には、サルトルが拓き、現代の我々に残してくれた分析の可能性はきわめて大きいと思っています。
そのうちの一つは、ブルデュー流の「文学場」の考察です。ブルデューの『芸術の規則』(1992)の冒頭には、フロベールの『感情教育』を分析した見事な一章が置かれています。サルトルにとってもブルデューにとっても、フロベールが活躍した第二帝政期(1852-1870)は文学の「近代性」が成立した時代です(ちなみに、ベンヤミンの認識も同じ)。第二帝政期の文学状況に関する二人の認識は微妙に異なりますが、サルトルのフロベール論がブルデュー的な意味での「文学場」の分析を先取りし、文学社会学への大きな貢献になっていることは、否定の余地がありません。
この数年間に出たフランス語のフロベール論、あるいは文学社会学関連の何冊かは、『家の馬鹿息子』に積極的に言及し、その問題系を継承しようとしています。一つの徴候かもしれません。
昨年12月に邦訳が出た第5巻は、原著の第Ⅲ巻にあたり、フロベール論に留まらず、19世紀半ばフランスの文学状況をめぐる、きわめて刺激的な見取り図を示そうとしており、19世紀フランス文学全般に興味をいだく人にとって有益な著作です。翻訳も「解題」も素晴らしい。原著刊行から半世紀、見事な邦訳が完成したことをお慶び申し上げます。
(2022年8月3日)
2022年6月27、28日の両日、パリで « L’œuvre des frères Goncourt, un système de valeurs ? »「ゴンクール兄弟の作品、一つの価値体系?」と題された国際シンポジウムが開催されました。本年はゴンクール兄弟の兄エドモン(1822-96)の生誕200年に当たり、それを機に企画されたシンポです。日本からは私と高井奈緒氏(日本女子大学)が、Zoomによるオンライン参加で発表しました。私は « Edmond de Goncourt et l’art japonais »という題で、Edmondが書いた3篇の日本美術論 La Maison d’un artiste (1881), Outamaro (1891), Hokousaï (1896)を読み解きながら、エドモンが日本美術の何に魅せられ、何を評価したのかを分析しつつ、彼の美術批評と美学の価値を問いかけました。
ゴンクール兄弟は早くから浮世絵や日本の工芸品に注目し、それを収集し、パリ市内の邸宅に重要なコレクションを所蔵していました。日本に来たことはありませんが、いわゆる「ジャポニスム」形成に大きな役割を果たした作家の一人です。『歌麿』と『北斎』は、当時パリで美術商として店を構えていた林忠正の助言と協力を得て書かれた著作で、二人の芸術家に関する世界初の個別研究であり、現在でも参照される貴重な貢献です。
今回このようなシンポジウムが開催されたのは、単に兄エドモンの生誕200年という節目の年だからではありません。フランス19世紀の作家たちのなかで、ゴンクール兄弟はこの30年ほどの間に再評価が最も進んだ作家だからです。かつては、小説家としては同時代のフロベールやゾラの名声の陰に隠れ、美術批評家としてはボードレールやユイスマンスほどの声価を得られず、戯曲作家として注目されることもありませんでした。
しかし21世紀の現在では、小説世界に現代的なテーマと技法をもたらしたこと、歴史書によって現代の社会史や文化史の先鞭をつけたこと、美術批評家として18世紀フランス美術や同時代の日本美術をまっさきに評価したこと、その有名な『日記』において、同時代の文化・社会・習俗を浮き彫りにした慧眼な観察者だったこと、などが相俟って、ゴンクール兄弟の価値があらためて注目されているのです。
現在ゴンクール兄弟の作品で容易に入手できる邦訳は『ゴンクールの日記』(全2巻、斎藤一郎訳、岩波文庫)、『歌麿』『北斎』(どちらも平凡社、隠岐由紀子訳、2005、2019年)ぐらいしかありません。また高井奈緒氏が芸術家小説の傑作『マネット・サロモン』の翻訳を準備しています。
なおフランスでは、『日記』の緻密な校訂版、『書簡集』、そして『小説集成』、『全集』の校訂版の刊行が15年ほど前に始動し、現在も継続しています。
(2022年6月30日)
2022年6月3日に、ロマン・ポランスキーの映画「オフィサー・アンド・スパイ」が封切られました。19世紀末フランスで起こった陸軍の冤罪事件、ドレフュス事件を題材にした映画です。
それとの関連で、去る5月17日に、都立西高校で、事件の主役だったユダヤ系のアルフレッド・ドレフュスの孫、シャルル・ドレフュス氏(95歳)にオンラインで参加してもらって、事件と映画をめぐる「特別授業」が実現しました! 当日は私が通訳、および講師を務め、あらかじめ映画を観ていた生徒さんたちがシャルルさんに質問するというかたちで、授業が進められました。
ドレフュスが逝去した時、シャルルさんは8歳でした。生前ドレフュスは、孫に事件のことを語らなかったという。事件の背景には反ユダヤ主義があったわけですが、生徒の一人が「差別や偏見を防ぐにはどうすればいいのか」と問いかけたのにたいして、シャルルさんが「もっとも有効な手段は、教育だ」ときっぱり答えたのが印象的でした。
なおこのイベントの詳細はいくつかの媒体で報道されていますので、ご興味のある方は次をご参照ください。
・『読売新聞』2022年5月19日
・『週刊金曜日』2022年6月3日、第1379号
・『朝日新聞』2022年6月13日、夕刊
・雑誌『ふらんす』(白水社)、2022年7月号
(2022年6月14日)
「フランスを読む」というYoutubeで配信されているシリーズがあり、現代フランス文化のさまざまな分野について、専門家が自由に話すという趣旨です。私は現代フランスを代表する歴史家アラン・コルバンとアナール学派について話しました。第24回、第26回の2回で、それぞれ5月初旬、6月12日にアップされています。
本来は1回で完結する収録なのですが、原稿を作成した段階で少し長くなり、担当者の意向もあって2回に分けて話しました。合わせて50分ほどです。コルバンや現代フランスの歴史学に関心のある方に聴いていただければ、幸いです。
(2022年6月13日)
11月25日付朝日新聞、朝刊文化面に、「仏共和政の苦闘 記憶の場」と題された拙文が掲載されました。去る10月26日に、パリ郊外の町メダンで、ドレフュス博物館がオープンし、その記念式典にマクロン大統領自らが赴き、感動的なスピーチを述べたことを論じた文章です。メダンは、作家エミール・ゾラの別荘があった町で、すでにあったゾラ記念館と、ドレフュス事件の記憶をたどる博物館が並び立つことになりました。マクロンも強調したように、ドレフュス博物館は、歴史を後世に伝えていくための「記憶の場」になることが期待されます。
「メダンはパリ郊外に位置する、静かで目立たない町だ。しかし今やその歴史的、文学的な存在感はきわめて大きい。ドレフュス博物館とゾラ記念館が並び立つことで、フランスは共和国の理念、市民の連帯、真実と正義のための闘い、そして文学の威信をあらためて世界に向けて主張しているかのようである。 」(『朝日新聞』2021年11月25日)
(2021年12月11日)
ほぼ同時に、次の2冊の著作を刊行しました。
1)『フローベール 文学と〈現代性〉の行方』(松澤和宏・小倉孝誠編)、水声社、2021年10月
今年はフランスの作家ギュスターヴ・フローベール(1821-80)の生誕200年にあたります。それを機に編まれた18編の論考から成る論集です。
第一部 フローベール文学の多層性
第二部 フローベールと十九世紀作家
第三部 フローベールと現代文学
作品批評史+主要参考文献
第一部では、フローベールの主要作品が多様なテーマと視座から分析され、第二部では、ミシュレやユゴーなど同時代作家との関係性が問われ、第三部では、バルト、ペレック、クンデラなど現代作家がフローベールをどう読み、そこから何を得たのかが論じられています。
主要作品に関する研究史と今後の展望、書誌なども充実しています。
2)ジャン=ジャック・クルティーヌ監修『感情の歴史Ⅲ』(小倉孝誠監訳)、藤原書店、2021年10月
昨年春に刊行が始まったコルバン/ヴィガレロ/クルティーヌ監修『感情の歴史』全3巻の完結編で、800頁を超える大著です。19世紀末から現代まで、フランスだけでなく英米、ドイツなども対象になっています。部構成は次のとおりで、全26章です。
Ⅰ 感情を考える
Ⅱ 一般的な感情の生成
Ⅲ トラウマ 極限的な感情と激しい暴力
Ⅳ 感情体制と情動の系譜
Ⅴ 感情のスペクタクル
全3巻で、古代から現代までの西欧における感情の歴史の、現時点における見事な集大成と言える著作です。「感情史」は、歴史学の分野では比較的新しい分野で、これから発展が期待できます。
(2021年10月21日)
次の著作を刊行しました。
『歴史をどう語るか 近現代フランス、文学と歴史学の対話』法政大学出版局、2021年
革命後から現代に至るまでのフランスを中心にして、文学(とりわけ小説)が歴史の多様な側面をどのように描いてきたか、そして同時代の歴史学が文学の営みにどのように共鳴して(あるいは距離を置いて)、歴史認識と歴史叙述の方法を問い直してきたのかを論じたものです。私はこれまで、19世紀~20世紀初頭を議論の対象にすることが多かったのですが、今回の著作では、21世紀の、まさに現代の文学や歴史書についても論じています。また比較の意味で、現代日本における歴史認識の問題にも言及しています。
文学と歴史(学)の関係は、旧くて新しい問題です。20世紀末の「言語論的転回」がこの問題に新たな位相をもたらしたわけですが、私自身は言語論的転回の理念に賛同しません。歴史学と歴史叙述をめぐる内外のそうした現代の情勢も視野に収めつつ、議論を展開したつもりです。
これまでさまざまな機会に発表した論考に手を入れ、加筆し、新たな章を加えて構成した著作です。参考までに、以下に目次を掲げておきます。
序論 文学と歴史学の対立を超えて
第一部 文学における歴史の表象
第1章 歴史としての現在――リアリズム文学の射程
第2章 文学はいかにして歴史の神話を解体するか
第3章 文学、法、歴史――ユゴー『死刑囚最後の日』
第4章 フロベールと歴史のエクリチュール
第5章 第二次世界大戦と現代文学
第二部 歴史学と文学へのいざない
第6章 十九世紀における歴史叙述の思想と詩学
第7章 フランス史における英雄像の創出
第8章 アラン・コルバンと歴史学の転換
第9章 現代の歴史学と文学の誘惑
初出一覧
あとがき
注
人名索引
およそ300頁の本です。ご関心のある方、手に取っていただければ幸いです。
(2021年8月4日)
私は2021年3月をもって慶應義塾大学文学部を定年退職しましたが、4月からは「慶應義塾大学教授(シニアB)」という特別職で慶應に在職しています。4月以降のおもな仕事は以下のようなものです。
・2021年4月24日:講演「19世紀のフランス人と海」パナソニッ・ク汐留美術館。同美術館で開催された「クールベと海」展の一環としての講演です。カタログに一文を寄せた縁もあって、講演のお声掛けをいただきました。
・2021年5月:アラン・コルバン『草のみずみずしさ』(共訳)、藤原書店。Alain Corbin, La Fraîcheur de l'herbe, Fayard, 2018. の邦訳。フランス人と日本人では、草や草原にたいする感性がだいぶ異なります。本書は神話、絵画、古代~現代の文学作品をつうじて、草をめぐる感性の布置をあとづけます。近年のコルバンは、自然の諸要素をめぐる感情と感性の変遷に関する著作をいくつも刊行しています。近著は「風」についての本です。Cf. Alain Corbin, La Rafale et le zéphyr. Histoire des manières d'éprouver et de rêver le vent, Fayard, 2021.
・2021年5月23日:日本フランス語フランス文学会春季大会・上智大学(オンライン開催)、ワークショップ「生誕200年 フロベールを読み直す」(コーディネーター兼司会)。生誕200年の節目で、フランスではさまざまなシンポジウム、展覧会、出版がすでになされ、さらにこれからも予定されている。日本でもフロベールの主要作品がこの数年で新訳されたので、それを機に企画したワークショップである。幸い多くの会員の参加をいただき、有意義な試みだったと思う。
・2021年5月28日~6月10日:「ナポレオンの時代 十選」『日本経済新聞』文化欄の連載。今年はあのナポレオンの没後200年にあたる。政治、経済、文化、教育などの領域でフランスの近代化に貢献をしたナポレオンの多面性を、毎回1枚の絵とともに解説した連載です。コロナ禍が他の話題をかすませてしまった感のある現在、拙文がナポレオンの業績を想起する機会になれば幸いです。
(2021年6月19日)
2020年は、大学教員が皆そうだったように、私もオンライン授業の準備に多くの時間を割きました。そうした中でも、共著や翻訳書を数冊刊行することができました。
・フレデリック・ルノワール『哲学のやさしく正しい使い方 叡智への道』(中央公論新社)
・小倉孝誠編著『世界文学へのいざない』(新曜社)
・ジョルジュ・ヴィガレロ監修『感情の歴史Ⅰ』(藤原書店、片木智年監訳):「総序」の翻訳を担当。
・アラン・コルバン監修『感情の歴史Ⅱ』(藤原書店、小倉孝誠監訳):序論といくつかの章を担当。
また拙訳によるフィリップ・ルジュンヌ『フランスの自伝』(法政大学出版局)が、23年ぶりに再刊されました。若い頃に手がけた翻訳書がこのように復刊されるのは、とても嬉しいことです!
これ以外には、東京二期会公演のオペラ『椿姫』のパンフレットに寄せた、「19世紀パリへの誘い 『椿姫』が生きた世界」(2020年2月)、展覧会「クールベと海」(2020年9月~2021年6月、山梨県立美術館、ふくやま美術館、パナソニック汐留美術館)のカタログに寄稿した「19世紀のフランス人と海」 が、昨年度のおもな仕事です。
(2021年1月31日)