「安政五年前田齊泰帰国絵図」
(駅路の鈴)の説明
加賀藩では二百二十七年間にわたり藩主の参勤交代は
百九十回執り行われました。その殆どは北国下街道
(越中、越後、信濃)廻りですが、四回だけ北国上街道
(東海道・中山道経由)で行われたといわれます。
この絵図はその内の安政五年に行われた参勤交代の
道中案内として、高名な科学者を父にもつ遠藤数馬高朗
が父以来の家書等を参考にして作成し限定出版された
ものです。
「図書総目録」では「駅路の鈴」(えきろのすず)
と名付けられ、金沢市立玉川図書館も収蔵しますが、
この道中、藩主は当社に参詣され、また、小松城や
今井の橋からみる白山の眺望をほめるなど郷土小松に
とってもゆかりの宝物となっています。。
本社では、本絵図の巻頭に著者の高朗の記す文にある
「禹万やち乃数々」より正式名称「駅路の鈴」を
「うまやぢのすず」と読んでいます。
2-1)白山の眺望(画像5、6、7)
今井の橋上より右へ木場潟見え、左に琴湖見えて
眺望殊に佳なり、と、当時ここよりの白山の眺望
がことに好まれていたことを示しています(画像5)。
この今井橋近くと思われる現在の橋(今江新橋)
上からは白山の主峰は見えませんが山並みは
見えます(画像6)。
当時と同じく、木場潟からの白山の眺望は
素晴らしいものです。画像7は、木場潟公園より
みた白山です。
画像5 今井橋よりの眺望の説明
画像6 今江新橋からみる現在の風景
画像7 木場潟公園より見る白山の眺望(H16.3.19)
2-2)絵図中より、長浜と小松の説明文(画像8,9参照)
一、長濱より木ノ本道中記ニハ皆三里ト載タリ
..磨針嶺ヲ下ル向ヒニ鳥本ノ駅アリ是ヲ徒望シテ
急ニ左折スル是北陸街道ナリ道幅極メテ狭ク
漸ク竹輿ヲ容ルルノミ
是ヨリ米原ヘ致ル中分ノ駅ナリ
長濱ハ大駅商家多ク大□並ヒ立タリ
駅ノ入口マテ湖水漫々と岸ヲ浸ス
駅中ヘモ湖水ヘ続キタル川三流アリテ
皆店前ヨリ賣物ヲ船ニ積ム
故ニ商家ノ利沢推テ知ルヘシ
此地の繁栄も又見るへし
夫レ商家ノ貨殖ハ水利ニ如クハナシ
一、小松ノ御城ハ町ヨリハ地形高シトイヘトモ
郊野ヨリモ見ユルコトナシ
故ニ安宅ノ湊ヲ留ムレハ四方水ニナリ
城浮フカ如シ故ニ浮城ト云テ名城ナリ
お旅祭りと共に有名な小松の曳山の成立については、
小松町の絹商人が京都に商いに行く途中に立ち寄った
近江長浜の曳山祭りからの伝播説が根強いようです。
画像8: 長浜の説明文
画像9: 小松の説明文
さらに商家の「貨殖は水利の如し」とあり、
水の流れが大河に繋がるような商いがよしとされ、
単に「リスクをとれ」という今日の勧めよりは、
参考になります
画像8: 長浜の説明文
画像9: 小松の説明文