レストランゆずのき物語

 感動物語「できた!を育てる」

料理長の目ににじむ思い

600種類の料理を振る舞う村瀬チーフ(当時)。

赤坂東急ホテル」

キャラバンサライ(六本木)」

ザ・ホテル横浜」など

最高級評価のあるレストランを

切り盛りしてきた料理人が、

レストランゆずのきオープンの日

お客様が姪浜駅近くまで並んでいるのを見て涙した。

こんなに武者震いしたのは初めてだと。

「身につけてきたものは残らず受け渡す」

こんなに期待されているレストランで働ける喜びに

「料理を通して社会貢献ができる」

「次の世代に料理づくりの楽しさを伝えたい」

村瀬チーフは団塊世代に課せられた使命に燃えていた。


16年前の2005年9月7日午前11:00のこと。

炎の特訓

お辞儀の角度は、「いらっしゃいませ」が15度、

「ありがとうございます」が45度。

床に貼ったシールを使って、

角度を体に染み込ませる。

出勤したらまずはお辞儀練習3セット。

気持ちのよいあいさつのために

1フレーズ×5セットの発練習。

閉店後は接客サービス練習。

あらゆるシーンを想定しロールプレイング。

手作りの映像マニュアルを繰り返し視聴。

自分の姿勢も録画して確認する。

言葉の使い方・タイミング・物の取り扱い方、

所作もできる限り美しく、スマートに。

「マンツーマン・スモールステップ・継続」

支援がクルーの成長に、つながる。

成長がお客様の笑顔につながる。

レストランの語源はラテン語の「好状態にする」に由来するという。

胸を張って「レストラン」と名乗るために。

今日もきれいな角度で「いらっしゃませ」 (^。^)

クルーメニュー誕生

包丁はレストランで覚えた。

玉ねぎのみじん切りから始めた。何度も手を切った。

それでも練習を重ね、次第にスピードが上がり、

手元を見なくても均一に切れるようになった。

今では、

フライパンに卵液を流し入れたら、絶えずヘラで混ぜ、

細かい半熟のスクランブルエッグを作り

ケチャップライスを乗せ、手元をコンコン叩いて

表面に凹凸のない美しいオムライスを作る。

ついには!

自分の名前を冠した料理が!

チーフから宣言されるメニュー名

「平野ライス」「鳥越バーグ」

猛練習を繰り返し、すべての工程をひとりでやり遂げる。

努力は実を結び、Grand menuに。

思い結実!レストラン料理

例えば、ハンバーグ。

クルーが糸島の農園で楽しく育てた玉ねぎを

キッチン担当が切れ味よい包丁でみじんに。

「美味しくな~れ」丹念にこねあげ

成形最後は親指で少しくぼみをつける。

旨味を閉じ込める焼き加減。

こんがりふっくら焼き上げたハンバーグは

ウォッシャーがピカピカにした皿の上で自慢顔。

すると、ホール担当がうやうやしくテーブルに運ぶ。

清掃班の手で磨かれ、隅々まで目配りされた店内で

食べるボランティアさんが召し上がる。

16年間かわらず、皆の思いを集結した

「美味しい・うれしい」レストラン料理。

精霊流し

苦境に寄り添う600日

~支援員がクルーに向け続けたまなざしの軌跡~

平成25年11月

お母さまを亡くした。

葬儀を終え、お父さまに付き添われてレストランを訪れた

彼女の目は虚ろだった。

1週間休んで仕事に復帰したが、ぼんやりして料理長の指示も

聞こえているのか聞こえていないのか。

以前のキリッとした表情も「はいっ!」の声ない。

平成26年1月

特異な行動が見られる。

飛び跳ねるような歩き、急に笑ったり泣いたり、怒ったり。

不眠から遅刻も増える。お父さまとの面談で、

状態は職場より自宅のほうが悪いことがわかった。

「一緒に頑張りましょう。」

そう、声をかけることしかできなかった。

お母さまの死から2ヶ月、精神状態はどん底だった。

かつての彼女は、シルバー人材センター配食の

リーダーとして、

サンプル作りやクルーへの指示だしを、

責任もって行っていた。

調理師免許を持ち、刻みはお手のものであったのに、

こともあろうに包丁の握り方さえわからない。

すべてを忘れてしまっていた。

集中できるよう短時間の切り込みだけにした。

よい兆しは見られない。

キッチン内は人が多く、作業は、煩雑  多忙を極めるために

常に強い刺激にさらされる。

心を平穏に保てる空間ではない。

しかし、彼女を持ち場から引き離せば、

真の回復はないと思った。

上向く日を心待ちにしながら静かに寄り添い、

心に耳を傾ける。

でも、低迷は続く。深く長く変わることなく・・・

初夏

季節が三つ移っても、変化はなかった。

落ち着いて仕事に向き合えるように総料理長のすぐそばへ。

指示を一元化。同じ作業を同じリスムで行えるようにした。

それが功を奏した。
作業種目・開始時刻・終了時刻をノートに記録できるようになった。
ノートは会話のきっかけ作りに利用したかった。

少しでも距離を縮めよう、心を少しでも開いてもらおうと

あらゆる支援を尽くすも「だいじょうぶです」と

壁を作られる。

いつもそばにいてくれ自分を愛してくれていた

最愛のお母さまを失ったのだから。

もう言葉は届かない。もう声は聞こえない。

そう簡単に平常心を取り戻せるものではない。

お母さまのようにはできないことはわかっているが、

立ちすくんだままの彼女の心に、私は声をかけ続けた。

極熱の7月末

変化があった。

質問に答えるようになる。時折、笑うようにもなる。

一語の返答が少し伸び、少し伸びしてフレーズになり、

昨夜見たテレビ自宅でのことを

ポツリポツリと話すようになる。

ようやく見えた微かな光。意思を感じる発言。

8月

上向きになる!そう、胸高鳴らせたもの束の間。

迎え火をたく時期が近づくにつれ、落ち着きをなくす。

お母さまの初盆だった。

低迷する精神状態の中で、「寂しい」とこぼした。

を向けるように手助けしたい。

精霊流しをしよう。お母さんに手紙を書こう。

そう思い立った。

ネットを見ながら二人で精霊舟を作る。

残照の中、レストランを出て肩を並べて歩いた。

室見川の川面にそっと精霊舟を置く。

舟が岸を離れていく。

どんな思いで彼女は船を見ているのだろう。

母の面影を追いかけただろうか。

私は祈る。

「お母さん、見守ってください」

彼女に笑顔が戻りますように。

9月

無気力。自信喪失。二人でできることを探していた。ちょうどその頃、

「相良さん、作ってみてください。」

彼女が一枚のメモを差し出した。

お母さまが書き残したレシピだった。

「一緒に作ろう!」

レシピのゼリー作りに取りかかった。

「何かを作るのは久しぶり!」

一年ぶりに見る彼女の清々しい表情。

美味しい!お母さんの味

その後は見間違えるように顔色がよくなり、

会話ができるようになる。

自分から挨拶してくれるのが心底うれしかった。

10月

私の前に立ち、「母の一周忌が終わりました。

お休みをいただきありがとうございます。

母がきつかったのをもっと早く気づいてあげればよかった・・・。」と。

彼女からお母さまの話をするのは一年ぶりだった

月に一度のペースで、二人で料理を始める。

停滞していた作業技術も徐々に回復。精神6割、作業4割の回復と思えた。

平成27年立春

特定の人に何度も挨拶をするような振る舞いは見られていたが、

立春を過ぎてからはそれも姿を消し

作業に集中できる日が続いた。

会話にも無理が感じられなくなり、

何かを抑え込んでいるような表情は見られなくなった。

もとの状態に戻ってきたというよりは、過去を乗り越えて、

今日、自分らしく生きている、そんな印象だった。

初夏

厳しい季節を耐えてきた命が芽吹くように彼女は一歩を

踏み出した。

この夏精霊流しを終える頃には、

得意のメニュー「鳥越バーグ」を出せるかもしれない。

亡き母のため、あの日流した精霊舟は、

彼女自身の船出であったかもしれない。

おばんざい誕生秘話

「レストランに行きたいけど・・・」

「またあの料理が食べたい」

体調を崩した常連さん。

「それならばお届けしよう!」

と始まったおばんざい弁当。

クルーにとっても、あいさつなどコミュニケーション能力のアップ金銭管理の練習になる。

まさに一石二鳥!!

毎日にこやかに受け取られ

「おいしいごちそうありがとう」と言っていただける。

ほんとにうれしい時間。

真冬のある日、いつものようにお弁当を届けに伺うと、

お客様がベランダで倒れている!

119番

発見できたので

大事には至らなかったということをご家族から耳にし、

ただただ、安堵した。

また、温かいお弁当をお届けできる

常連さんからの「ありがとう」がまた聞ける。

母になったクルー

待望の第1子誕生から1年。

一年ぶりの仕事、子育てとの両立。

仕事復帰する彼女の心の中は・・・

緊張と不安だらけ・・・

「保育園の送り迎え大変ですよね。頑張っていますね。」

と声をかける。毎日の会話の中で、

「今日は〇〇がこんなことを言ったんです。」

「今日は〇〇が私の分までご飯を食べてしまったんです。」など家での出来事を話してくれるようになった。

「昨日、〇〇が立ったんですよ!」と報告してくれたときは「すごい!歩けるまでもう少しですね。」と一緒に喜んだ。

お子さんの病気で休まざるを得ないときも多く、仕事に出てきてからも疲れている日もある。夜泣きをして、眠れなかった日も。それでも明るく元気に仕事をしている彼女を見ると

「母」

になったなと感じる。

毎日電車通勤しながら保育園の送迎は大変だと思う。でも、苦労しながら子育てをする中で彼女もまた成長し続けている。

道徳教科書に載る!

小学校中学校「道徳科」の授業に使われる副読本がある。

福岡県社協発行の「ともに生きる」

福岡市教育委員会発行の「ぬくもり」

この副読本にレストランゆずのきから

二人のクルーの実話が掲載された。

クルーの出前講座

西陵小学校、原西小学校、城の原小学校などに出張し、

クルー100人以上もの小学生を前に

「どんな仕事をしているか」

「どんな思いで仕事をしているのか」

緊張しながらも丁寧に伝えていく。

「人権」を考える生きた福祉授業が幸せな未来を作る。