02日本丸が宇野港に来た

日本丸が宇野港に来た。主人の思い出

素晴らしい思い出に感謝し、主に写真撮影の内容を残す。

日本丸が近く来ることは知っていたが、具体的な日程まで把握していなかった。

発見出来たのは、全くの偶然である。

もともと写真は好きでした(20年以上前)が、デジタルカメラについていけず、うまく映らないのです。そのためあまり映さなくなっていました。我が家に柴犬のチョコが来て、写真を取ることが多くなり、現在のカメラを購入しました。(先日電気屋さんで1万円という金額の機種は殆どありませんでした。)しかし、なんども写真を取っているうちに失敗する枚数が少なくなり、結構楽しくなったのです。(ただ自分の目はあまりに悪く、パソコンに取り込んでみないと結果がわからないのです。)

今回、日本丸が帆を開いたときに見たカメラの数々はとても立派であった。正直玉野市ではこれだけ立派なカメラの行列を見たことが無い。自分も欲しいが1万円のカメラとゴリラの三脚が一番ぴったりと思う。(いつかは一眼レフが欲しい!猫に小判といわれそう!)

---------前置きが長い-----

日本丸を捉えたきっかけ

十禅寺に写真をとりに車で登る。宇野港の方に変な船が見える。(護衛艦の気がした。)すぐに宇野港に向かう。やはり護衛艦である。

停泊はしていない気がするのだが動きが遅く、もっと近くまで行って写真を撮りたくなる。藤井海岸に向かう。数枚写真をとってぼんやり沖を見ているとマストが見える。もしや! カメラで写真をとり必死に拡大してみる。やはり日本丸に違いない。この興奮はなかった。実は6月に入り気が付いたのであるが、それよりも早く写真に納まっていた。(写真の左端のマストに全く気が付いていなかった)

時間がなくやむなく出勤!気がきではない。ネットで調べて一安心。玉野市の行事のために今日入港する人のこと。

会社からの帰路すぐに藤井海岸を通り宇野港に行く。いた!そこから写真撮影の開始。帰宅して愛犬チョコも引き連れ見学に。のんびり撮影ができる。本当にいい。

更に翌朝は4時起床で見学。

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4時から行けば、「日本丸を独り占め!」しかし4時にはチョコも起きてきた。少し遊んであげると5時を回る。太陽と一緒の写真は諦めた。それでもだれもいない。私一人が写真を写している。接岸しているところ全てから写真を撮る。朝早いのはこれほど気持がいいのか?6時くらいから日本丸の見学に来始めた。場所を移動してまたゆっくり写す。とにかくこの日の朝はとこと写した。1000枚近く写した。ピンぼけや何を写しているのかわからないものは100枚もなかった。

翌日、チョコを置いて靴を買いに行く。そのまま知人宅に行き、烏骨鶏の卵をいっぱい貰う。少し遠回りして日本丸を夫婦で見に行った。なんだかとんでもない人がいる。仕方なく、フリー乗り場へ行きそこで写真を(帆がある!)大感動です。後で知ったのですが、いっぱい帆が開いているのは1時間ほどしかなかったとのこと。本当にラッキーです。

夜最後のお別れにと写真を取りに行き、その後釣りに行きました。

翌日はフェスティバル本番ですが、畑仕事やいろいろで昼間はおやすみです。フェスティバルのあとにすぐ日本丸は出港すると思っていました。

夜のテレビで日本丸は月曜日にいなくなると聞いたのです。

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そこで最後の別れと朝から写真を写しに行く。もうこれで満足と割り切っていました。

実はこの後最高の感動があった。

昼過ぎ(実は申し訳ないがもう出航していると錯覚していた。)偶然宇野に出かけたときにマストが見える。

車で近くまで行くとすごい人がいて近づけない。のんびりできるところに行くと数人。ここで当に偶然出港式?みたいなものに出会えた。

写真を写す人が意外に多く、途中でマストから人が降りていると聞く。自分の目が悪いので仕方がないが、よく見ると白い人がいる気がした。

短時間であったので最後に動画も撮るとこれがなんと「日本丸の汽笛」が聞けた。しかも動画に収まっている。最初は宇高国道フェリーがさようならと汽笛を鳴らしたようだ。その後に日本丸が鳴らした汽笛すべてが収まった。youtubeの再生へ

偶然の一枚日本丸、宇高フェリー、テクノスーパーライナー(TSL))優雅で気品のある船、1時代を必死に生きたフェリー、補助金で作った最先端の技術の高速艇(たぶんもう走ることはないであろう)船にとっては日本丸が最も幸せに見える。

最後の1枚で楽しい思い出も終わりました。

本当に綺麗な船でした。