21世紀における伝統スポーツの可能性 -- 日本武道を中心に

投稿日: Apr 06, 2011 4:26:29 AM

以下は、2005年8月に中国福建省の集美大学で行われた中国武術国際会議「21世紀伝統スポーツの展開」での招待報告の資料論文

----- 本国際会議の主題「21世紀における伝統スポーツの進展」にいう「伝統スポーツ」とは何か。日本で伝統スポーツという場合は、ふつう武道や民族スポーツを指す。ここでは対象を日本武道に限定し、21世紀の解決すべき諸問題を提起してみたい。伝統には、自生・土着的伝統、パターンとしての伝統、コミットメントに媒介された伝統(C伝統)の三つが考えられる。以下では、妥当性のあるC伝統は如何にして形成可能か、について考察する。

日本相撲協会は土俵に女性が上がることを禁じている。女性の大阪府知事太田房江は、本場所後の表彰式で自ら土俵に上がって大阪府知事杯を直接優勝力士に手渡したいと、2000年 以来、相撲協会に申し入れを行ってきたが、相撲協会が受け入れないことから、未だに実現していない。女性学の秋山洋子は、この事態の核心を、公務員が性別 によって公務の執行を妨害された点に見、相撲協会のいう女人禁制の起源が「血を流す女性の身体を忌み、汚れとする考え」にあることは否定できないとし、協 会の主張の不当性を批判している(朝日新聞,2001.3.29)。 相撲協会は、男女平等の人権思想に反するのではないかという批判に対して、大相撲の伝統であるから、あるいは土俵上は神事の場であるので、ご遠慮いただき たいというのである。しかし説得力ある説明とはなっていない。ここに見られるのは、伝統の解釈をめぐる二つの思想間の軋轢である。ある伝統にコミットする のはたやすいが、その伝統が社会の中に存在する以上、他の価値を重視する思想(ここでは男女平等)との対立を免れない。対立を止揚し、伝統の維持・改変へ のコミットを大方の納得のいくものとするには、歴史的知識に裏打ちされた強力な理由付けが必要であろう。

一方、コミットしようとする我々を取り巻く今日の環境は厳しい。グローバル化に伴う異文化間の文化接触は文化対立や民族対立を生み出しており、民族紛争は 宗教対立を伴って悲惨なテロや戦争を生み出している。こうした問題を解決するために異文化理解の必要性が強調されているが、その理解はそれほどたやすくな い。

柔道における小さな事例を考えてみよう。柔道における試合前後にする相手への礼式(姿勢を正して頭を下げること)が宗教的作法の強制であり、宗教的信念に反するとして、米国の少年選手と親によって訴えられ裁判となる事件があった。米国シアトル連邦地裁の下した判決(1997)は、信教の自由に軍配を上げる形で「対戦時に礼をする必要はない」とし、礼式が非宗教的なものであるとする見解を退けた。これについて全日本柔道連盟の幹部は、礼は社会的マナーと理解していると、この判決に対する批判的なコメントを寄せていた(朝日新聞,1997.6.5)。しかしこの判決は2002年 の判決で覆され、「礼の強制は宗教差別に当たらない」と述べ、礼を拒むことを認めた仮処分を棄却したという。しかしこの問題は良心の問題でもあり、この棄却でも問題が決着したとはいえない。「礼に始まり礼に終わる」といわれ、日本では規範性とともに当為性をももつ柔道の礼の慣行も、同種の慣行を行った方式で行う異文化においては、必ずしも受容されないのである。ここに国際化の生み出す新しい問題、国際化の時代に形成すべき伝統スポーツとは何か、何を以て普遍的な伝統とするか、などの問題が顕在化する。

本国際会議の主題「21世紀伝統スポーツの展開」との関連で考察すれば、まず、慣行や伝統の根拠(知識)をもつことが必要である。つまり、一人一人がそれぞれの立場から自らの文化 の伝統に内在する文化的・歴史的認識を深めることだ。次に、その根拠の妥当性を異文化の人間の立場から考え直すことが必要であろう。つまり異文化理解であ る。青木保(文化人類学)は、異文化理解の困難さを象徴レベルの理解つまりその文化の価値とか象徴を理解する点にあると指摘している(青木保,異文化理解,2001)。異文化理解のためには体験を通しての学習が必要であるが、同時にまたその文化の歴史的知識も必須であろう。時間と金がかかるという点でも困難なのである。伝統スポーツについて具体的に考えれば次の課題が指摘されよう。

1.国際化時代に、自文化の伝統スポーツのもつ伝統性に対してとるべき態度

2.自文化の伝統スポーツが異文化に輸出された場合に、自文化の伝統に対してとるべき態度

3.異文化の伝統スポーツが自文化に輸入された場合に、異文化の伝統に対してとるべき態度

1では、自生してきた「伝統スポーツ」の実態を、民族固有なもの(と考えられているもの)と、非民族的なものとの関係を考える必要があるだろう。2では、 日本人は外国にいる外国人に対してどのようにその伝統的な礼式を教えるのか、伝統武道やスポーツが海外に普及した後も、日本人はその習慣や慣行を維持すべ きなのだろうか、などが考えられねばならない。3では、異文化に対する日本人の寛容度を測る試金石となろう。日本の武道界には「正しい武道」の普及と称し て、海外においても伝統の維持に固執するものの、異文化に対しては日本的変容を加えることに痛痒を感じない習性がある。2と3は関連して論じられねばなら ないだろう。

(付記:当初計画されていた完成論文の提出が、日本語の翻訳に伴う経済的問題から不可能になった。よって、編集当局の指示に従って概要を記した。)