其ノ参

偉大なる折田先生・其ノ参

そもそも大学当局の立場から見れば

このような行為は全くの愚挙であり

先生の名誉を汚す極めてハレンチな行為ということになる。

しかしここは学生自治の意識が伝統的に高い京大。

実際にこの悪戯への対応する立場を想像するに

極めて頭の痛い問題であったであろうと推察する。

首謀者を捕まえるにも 行為に及ぶのはどうやら深夜である。 しかもゲリラ的なのであるから 終日見張るわけにもいかない。 かといって放置すれば 大学の美観と権威が損なわれる。 この悪戯に対して当初当局は 洗浄を繰り返すという手段でのみ対応していた。

落書きされた像をほぼ完全に元通りになるまで洗い上げるのであるから、

その作業たるや大変酷なものであったはずだ。

「首謀者が卒業すればなくなるはず」

と思う者も少なからずいたが、

これは首謀者の表現へのエネルギーを軽視する行為に他ならなかった。

なにしろその後10年以上たった現在でさえ

形を変えつつも悪戯は毎年続いているのであるから。

しばらくして 銅像の脇に以下のような文言の「立て看板」が設置された。 折田彦市先生は

第三高等学校の校長として

京大の創設に尽力し、

京大に自由の学風を

築くために多大な功績を残した人です。

どうかこの像を汚さないで下さい。

総合人間学部

首謀者の 心に訴えようということなのであろう。

あるいは

京大でよくある

「折衝の末の当局との和解」

という図式に持ち込もうという算段であったのかもしれない。

実はこの瞬間に、

後のハリボテ銅像製作者にとっての必須アイテムのひとつ

『 当局の看板 』

が加わったことになるのだが、

あの頃の私たちはそんなことなど知る由もなかった。

そして、このもくろみは間もなく見事に裏切られることになる。

← 台座に「この像を汚さないで」とピンクのペイントと、完全に当局側をおちょくってしまうのであった。

とあるサークル、あるいは寮生が怪しいという噂は今も絶えない。

実に長きにわたる行為なだけに

首謀者へ繋がる手がかりもたくさん蓄積されているはずである。

しかし首謀者が捕まったという話は未だ皆無なのだ。