第三分科会

写真:銀閣寺 from 京都フリー写真素材

「高分解能分光による分子間相互作用の決定」

  • 講師:住吉 吉英 先生 (群馬大学 教授 : 研究室HP)
  • 担当:村井 友海 (東京工業大学 大島・山﨑研究室 M2)
  • 担当連絡先:sec3_at_ymsa.jp (※担当連絡先はお手数ですが「_at_」を@に変えて頂きますよう、よろしくお願い致します。 )

紹介文

弱い分子間力により結合した分子クラスターは、分子間結合の座標に沿った大振幅振動運動を行っています。そのため比較的低い励起エネルギーに対応した量子状態の測定を行う事で、広域の分子間相互作用ポテンシャル曲面(Intermolecular potential energy surface:IPES)を決定する事ができます。そのため、分子クラスターを対象とした、赤外レーザー分光やマイクロ波分光などの高分解能分光研究が活発に行われてきました。中でもマイクロ波分光法は、ラジカルなどの開殻分子の純回転スペクトル中に、電子スピンに由来した微細分裂や、核スピンに由来した超微細分裂を観測できる程の優れたスペクトル分解能を有しており、それらの情報を利用して高精度のIPESを決定する事ができます。どの様にしてマイクロ波のデータからIPESを決定するのか、希ガス原子とOHやNOなどの2原子ラジカルから成る分子クラスターの系を例に解説します。これらの系は、振動運動の自由度が3つしかなく、回転運動も含めた全自由度を考慮した解析を行う事ができます。例に挙げた2原子ラジカルの電子基底状態は、分子軸に対する不対電子の軌道運動が縮重したP電子状態です。希ガス原子が結合してクラスターを形成すると、電子の軌道角運動量はクラスター全体の回転の角運動量と結合し、新たな2重縮重状態が形成されます。この2重縮重状態は、クラスターの振動回転運動によるコリオリ力の影響で僅かに分裂します(パリティ分裂)。その分裂幅は分子間大振幅振動運動の影響を受けるため、その分裂幅の回転量子数依存性を測定する事によって、主にIPESの異方性に関する情報を得る事ができます。更に、不対電子の電子スピンと核スピンの相互作用による超微細分裂からは、クラスター形成によって、ラジカルの不対電子がどのような影響を受けているかを知る事もできます。

マイクロ波分光のデータを用いた最小二乗解析によってIPESを決定するためには、分子間振動運動を考慮した解析を行う必要があります。一般には、クラスターの分光データのような結合状態を取り扱う場合は、振動と回転の運動エネルギー演算子、およびポテンシャルエネルギー演算子をあらわに含むハミルトニアン行列を対角化する方法が便利です。この方法では、行列要素計算における多重積分の回避策や、十数万次元のハミルトニアン行列を対角化して得られた固有値の中から任意のエネルギー固有値を取り出す方法など、様々な工夫が必要になります。また、最小二乗解析ではポテンシャル曲面を表す適当なモデル関数も必要になります。実際に最小二乗解析を行う上で必要となる細かな計算上の技法なども解説します。

上述の方法で決定したIPESは、マイクロ波分光のデータを実験精度内で再現できる高精度のIPESです。しかしながら、IPESの“広域的”な信頼性は最小二乗解析で用いるIPESの初期値に依存します。その理由は、マイクロ波分光でサンプリングできるIPESの空間的領域に限界があるからです。この問題に対する簡便な解決策のひとつは、高精度の量子化学計算を併用する事です。比較的小さなクラスターに対して、高精度のIPESを計算するために提案されている幾つかのab initio計算法について紹介します。

クラスターの純回転遷移の観測には、フーリエ変換マイクロ波分光法が広く用いられています。この手法は、超音速ジェット法と組み合わせやすい事、またセンチ波などの低周波数帯で高感度化が実現できる事など、分子クラスターの研究に関して、吸収による従来のマイクロ波分光法よりも格段に優れた分光法です。また、IPESに対して空間的に広い領域の情報を得るためには、ミリ波やサブミリ波帯に存在する分子間振動回転遷移を観測する必要があります。これらの遷移は、フーリエ変換マイクロ波分光法を利用した2重共鳴分光実験によって観測する事ができます。これらの実験手法の原理と装置について解説します。


担当者コメント

第三分科会では群馬大学の住吉吉英先生をお招きして、高分解能分光の基礎から分子間相互作用の理解まで、体系的に解説していただきます。

住吉先生はマイクロ波分光法を用いて、分子クラスターの構造やそのダイナミクスについて研究されています。さらに実験結果と量子化学計算とを組み合わせて、相互作用ポテンシャルの解析なども手掛けておられ、実験と理論計算の双方のアプローチを駆使して、分子クラスターにおける相互作用の解明に取り組まれています。

分子クラスターを対象とした分光実験では、分子同士の相互作用という、分子の機能や物性、多分子の化学反応過程などの現象を理解するうえでの最も基礎的な性質について、微視的な立場から考察することが可能になります。中でもマイクロ波分光法はその高い分解能ゆえに、分子の構造を正確に決定できるだけでなく、核スピンの情報まで引き出せるなど、数ある分光法の中でも特徴的な地位を占めています。そこで本分科会では、そのマイクロ波分光に焦点を当てて、高分解能スペクトルから分子間相互作用に関する多次元のポテンシャル曲面を決定するところまで扱っていきます。

分光実験をしている方、分子間相互作用に興味のある方はもちろんのこと、ポテンシャル曲面の決定という実験と理論の協奏的なアプローチに興味のある方など、ぜひご一緒に学習しましょう。皆様の御参加をお待ちしております。