創造紀元1万年の世界


上図:創造世の最初期に、カナリアは数多くの種に分岐した。この図では、上から時計回りに、昆虫食カナリア、草食カナリア、卵食カナリア、種子食カナリアの4種が描かれている。

~~~

カナリアたちが新天地に放たれてから100世紀が経った。絶えず流れゆく時間の中で、7000世代に及ぶ小鳥たちが生まれ、そして死んでいった。創造紀元1万年を迎えたこの世界は、すでにかつてのそれとは大きく異なるものになっている。


カナリアの個体数は、入植からさほど経たないうちに爆発的な増加を遂げた。天敵がいないため親鳥は子育てに専念することができ、つがい1組につき毎年15羽以上のヒナが生まれることになったのである。植物の種や新芽、あるいは昆虫のたぐいの食糧が際限なく存在するのも、このすさまじいベビー・ブームに拍車をかけた。

そのような状況が1万年続いた現在、かつての色とりどりのカナリアたちの子孫の間には、すでに顕著な多様化の傾向が認められる。その気になれば未だ交雑が可能な程度には生物学的には近いものの、1万年前の1種は、今では細かいものまで含めると数百種に分化していた。アンシスカ大陸の平原は、この原始生態系の格好の観察場所である。灰色と白の毛色をした丸々と太った種は、単独で背の高いヒマワリの子孫の花に止まり、そのアーモンドほどの大きさの種子をむしり取るのに専念している。一方で、小柄で目の覚めるような赤色をした種がヒマワリの周囲に集まるのは、その茎をかじりにやってきた大ナメクジを捕食するためである。でっぷりと肥えたこののろまな獲物が集まったのを見計らって群れで襲いかかり、その細長いくちばしでひょいとつまみ上げていただくのだ。クローバーの草原に目を見やると、他の鳥たちの何倍も大きな体躯をしたウズラのような鳥が、あちらこちらを飛び跳ねながら柔らかい芽を摘み取っている。身長10インチ(およそ25センチ)に達するこの種は、おそらく地球では少しだけ跳躍するのがせいぜいだろうが、地球より幾分か重力の低いこの世界では自力で軽々とはるか空高くまで飛び立つことができるのだった。

ところがこれらのカナリアたちは、共通して地べたに棒きれを適当に並べただけの粗末な巣で子育てをしていた。ヒナたちを狙う敵が存在しない以上、襲われないように巣作りを工夫するという発想など浮かびようもなかったのである。だがこの時点では、たまたま近くを通りかかったアリたちをどうにか追い払うことができれば、いくら粗雑な巣でも何も心配することはなかったのであった。

・・・・・・しかし、この世界にも「卵泥棒」が現れつつあった。親鳥が餌を取りに行った隙に、巣の卵が無残にも砕かれる事件がよく見られるようになった。親鳥が帰ったときには時すでに遅く、たいていの場合ばらばらになった殻の破片が散乱する巣と、そそくさと離れゆく一羽の小鳥の影が見えるだけだった。その影のかぎ状のくちばしからどろりと滴る黄色い液体が、その蛮行の主犯が誰であるかを物語っていた。だがこの卵食カナリアは、産卵し子育てをしていく上で必要な大量の栄養分が、他でもない卵に豊富に含まれていることに気づいただけであった。競争を避けつつ自分だけで卵を産み育てていくためには、他者の卵を食べてしまうのが一番だ。好い鳥であっても不自由なく生きていけた時代は終わったのである。ようやく親鳥にも、ヒナの安全を守るための策を講じる必要が出てきたのだった

~~~

自然環境自体にも変化が生じていた。森林という環境が姿を現したのだ。創造時のセリナの植物の中で唯一の「樹木」だったタケは、入植から100年をかけて北方の温帯地域から赤道方面へと拡大し始めた。タケは地球でもよく見られた植物ではあったが、他の樹木や大型植物との競合もあり、全世界に広がるまでには至らなかった。しかしこの世界には、競争相手になりうる他の樹木など存在しない。日光が降り注ぎ土壌も豊かな平原に、タケは何にも遮られることなくひたすらその勢力を浸透させていった。500年もしないうちに竹林は数百マイルもの地域を覆うようになり、その範囲はアンシスカ大陸南部にまで達した。1000年経った頃には、赤道直下でもタケは普通に見られる存在となっていた。創造から1万年が経った現在、竹林は北極から南極までの全地域で定着するに至った。この急速な拡大には、少しの水分さえあればどこにでも根を張る抜群の適応能力と、1日に34インチ(およそ86センチ)も伸びるという驚異的な成長速度とが関わっていると思われる。また、当時はまだ地球で見られるような大型草食動物が存在していなかったことも考慮する必要がある。このため、豊富な植物資源は数千種におよぶ昆虫等の無脊椎動物の日々の糧となっている。特に、餌が過剰なまでに存在するために少ない餌をめぐる争いがほとんど起こらなかった結果、腹足類(カタツムリの仲間)が躍進を遂げることとなった。体長20インチおよそ50センチ、体重4ポンドおよそ2キログラムにもなる巨大カタツムリは、まぎれもなく当時最大級の陸生動物であった。しかしカタツムリの天下は儚いものだった。まもなくして地上に棲む種子食カナリアが、植物だけでは補いきれない貴重なタンパク源としてこのカタツムリの幼体に目を付け始めたのだ。動きがのろく、その上身を守る手段も持たないこの生物に、種子食カナリアの大きく太いくちばしから逃れるすべはなかった。天敵のいない間、カタツムリたちはまったく自由な世界に安住していたが、それは三日天下に終わってしまったようだ。当分の間、カタツムリが再び世界の主役となることはないであろう・・・・・・。

~~~

水中では、淡水域に持ち込まれた胎生魚類が空前の繁栄を迎えていた。数万におよぶ世代交代を経て、魚たちは雨や川の流れに乗って世界中に生息域を広げていった。目立った捕食者がまだ現れていなかったこの時代、魚類の総個体数は数百億を超えていた。数千匹の群れを形成するこれらの魚は、危険のない世界で、藻類や小型無脊椎動物を食べながら悠々と暮らすことができたのだった。__体重1ポンド(およそ450グラム)に達する大型のザリガニに目を付けられなければの話だが。

海洋では、高い塩分濃度への適応に成功した一部のグッピーやソードテールが、海鳥や海棲捕食者といった天敵のまったくいないセリナ最初の__そして最後の時代を満喫していた。この魚たちにとって脅威となりうるのは、当時最大の海洋生物で毎日数十匹の小魚を平らげてしまうことで知られた体長20フィート(およそ6メートル)大のハコクラゲの1種だった。だが、これらの魚類の出生率はクラゲによる死亡率をはるかに上回っていたため、生態系が崩壊する恐れは少しも生じなかったのである。海底に視線を移すと、人間の腕とほぼ同じ大きさをした蛍光色の大ウミウシが、さながら幽霊のごとく藻が繁茂する中を這いずり回っている。ウミウシたちもカタツムリと同じように、敵のいない楽園を謳歌していた。

この牧歌的で、だがどこか頽廃的な海中世界は、高度な捕食者が姿を現した途端にもろくも崩れ去ることだろう。__しかし今のところは、水中はまさしく生命の楽園であった