クラゲやサルパ* など柔らかな体を持つ動物はしばしば透明な体を持っています。身を守る硬い装甲を持たない動物は、攻撃を受けると傷つきやすいので、透明な体は天敵になるべく見つからないための適応と考えられており、天敵が多くの魚類のように主に視覚を利用して餌を探す場合に有効だと考えられます。 クラゲヤサルパの体はどのくらい透明なのでしょうか?また、体が透明なら本当に見えないのでしょうか?
*サルパ:ホヤに近縁なプランクトン。濁りの多い沿岸部ではあまり見られないが、海洋全体における現存量は大きく、マイナーな動物ではありません。
サルパとホヤの皮(被嚢)の吸収スペクトル Hirose et al. (2004、2015) , Kakiuchida et al. (2017), Sakai et al. (2018) を改変
サルパの皮の吸光スペクトルを測定すると、可視光の全域で光はよく透過しています。特定の色(波長)の光を吸収していないことから、「無色透明」であると考えられます。さらに、水中に到達する範囲の紫外線もよく透過しています。つまり、紫外線を感知できる動物にとっても「透明」ということです。
藍藻と共生するホヤも透明な皮を持っていますが、紫外線を吸収する物質が含まれています。これは有害な紫外線から体や共生藻を守るためだと考えられています。クラゲには紫外線吸収物質を含むものが知られているます(Price & Forrest, 1969など)。紫外線を吸収するクラゲは、私たちには透明に見えても、紫外線を感知できる動物にとっては「不透明」なので、発見されやすくなるでしょう。
透明な物体でもその輪郭が視認できることはあります。その鍵は物体の表面で反射される光です。表面でよく光が反射すれば、無色透明であっても見つけることは簡単です。では、光が反射する量はどのように決まるのでしょう?
反射は屈折率の異なる2つのモノ(媒質)が接している時に、その境界面で起こります。入射光はこの境界面で反射光と透過光に分かれますが、反射光の割合(反射率:「反射光/入射光」)は、「入射角」と「屈折率の違い」によって決まります。
入射角が0度の時は、理論的には反射はおこりません。入射角が90度に近づくほど反射率は大きくなります。また、屈折率の違いが大きいほど反射率は大きくなります。
周りの媒質(水や空気)よりも屈折率が0.02大きい場合の、平らな表面上の光の反射率
クラゲやサルパの体を包む皮の屈折率はどのくらいでしょう?エリプソメーターやアッべ屈折計を利用して測定したところ、屈折率は海水よりほんの少しだけ大きい(0.002–0.02)ことがわかっています。クラゲヤサルパの皮は含水率が高い(=ほとんど水)ことからも、屈折率が海水に近いことは予想できます。屈折率が海水に近いことからほとんどの光は反射しない(水中で目立たない)ことになります。屈折率の差が0.02とした場合の反射率をシミュレーションすると、入射角80度でも反射率は3%程度です。
もし、動物の組織の屈折率が海水より小さいとどうなるでしょう?仮に屈折率が0.01小さいと、入射角が80度以上で反射率は100%(全反射)になってしまいます。屈折率が0.02小さい場合では76度以上で全反射となります。これは水中で目立ってしまいます。水の中で泡がよく目立つのも、海水の屈折率が1.34であるのに対して、空気の屈折率は1.00だからです。海水の屈折率は塩濃度や温度などで変化するため、透明な動物の組織の屈折率は海水よりも少しだけ大きい方が目立たず安全なのでしょう。
蛾の複眼や蝉の翅の表面より、モスアイ (moth-eye) 構造と呼ばれるナノ構造が見つかっています。これは高さ100 nm程度の乳頭状の構造が密生したもので、ニップルアレイとも呼ばれます。
昆虫の複眼や翅の表面と空気の間には大きな屈折率の違いがあるので、表面でかなりの光が反射されると予想されます。しかし、ニップルアレイの表面では光反射がほとんどなくなることが知られています。これはモスアイ効果と呼ばれる現象で、ナノ構造が昆虫の表面と空気の間に構造と空気が混ざり合った層をつくり、屈折率の変化がゆるかになるからだと考えられています。
反射しなかった光は表面を透過することになります。従って、ニップルアレイは光反射を低減するだけではなく、光の透過率を上げる機能を持ちます。夜行性の蛾の複眼では、光反射の低減によって天敵に発見され難くなると同時に、光をより多く透過することで暗い環境での視覚を向上させているようです。
昆虫に見られるニップルアレイとほぼ同じナノ構造が工業的に製造できるようになっています。三菱ケミカルのモスマイトは光反射防止フィルムとして利用されています。光透過を高める機能は太陽電池などへの利用も期待されています。
ニップルアレイの断面模式図
ニップルアレイが表面に密生した状態
ニップルアレイが表面の屈折率が緩やかに変化する層を作ることで、光の反射を抑制する
モモイロサルパのニップルアレイ
トゲヒメサルパのニップルアレイ
オオサルパのニップルアレイ構造を元にした平面(青線)とニップルアレイ(赤線)上の光(TE波、TM波)反射シミュレーション
ニップルアレイが最初に発見されたのは昆虫ですが、海の無脊椎動物の体表でも同様なナノ構造が発見されています(ホヤ、サルパ、ウニ、ゴカイ、寄生性のケンミジンコなど)。
サルパは透明なゼラチン質のプランクトンで、系統分類ではホヤに近縁な動物です。サルパの体は「被嚢」と呼ばれる、セルロースを主成分とした皮で覆われています。この被嚢の表面にニップルアレイを持つものがあります。プランクトンであるサルパの仲間には、昼間もたくさんの光が届く浅い深度に分布する種と、昼間はあまり光の届かない深い場所にいて、夜になると浅い深度に移動する種があります。これまで被嚢の表面の構造が観察されている種の中では、昼間も浅い深度に分布する種でのみニップルアレイが確認されています。これは、サルパのニップルアレイの機能が光環境と関係があることを示しているのかも知れません。
オオサルパのニップルアレイは高さが約60 nm、間隔が約140 nmで、皮(被嚢)の屈折率は海水よりも約0.04大きいので、これを元に光反射のシミュレーションを行ったところ、ニップルアレイ上の反射率は平面上の反射率よりもほんの僅かですが小さいことがわかりました (Kakiuchida et al., 2015)。先に説明したように、海水と外皮組織の屈折率の差が小さいので、反射率は平面であっても小さいことから、ニップルアレイの反射抑制効果も空気中と比べて相対的に小さくなっているのです。このわずかな反射率の違いがサルパの生存を大きく左右するだけの機能を果たしているかどうかはわかりません。水中におけるニップルアレイのその他の機能として、泡の付着低減、細胞の付着低減、他の生物の付着低減などが考えられています (Hirose et al., 2013, 2019; Ballarin et al., 2015)。
シミュレーションでは、実際のニップルアレイよりも乳頭状構造の高さや間隔が大きい(または小さい)場合の反射率を推定することもできます (Sakai et al., 2015, 2018, 2019)。様々な条件を試してみたところ、もっと大きい構造の方が反射率が低いことがわかりました。また、構造の間隔も反射抑制効果に大きく影響し、最適の間隔があることがわかりました。例えば、高さ200 nmの構造が約180 nmの間隔で配列したニップルアレイ上の反射率は平面の反射率に対して半分以下になると推定されます。光反射抑制の点では実際の動物に見られるニップルアレイは最適化されているとは言えません。これは構造を作る仕組みにサイズの限界があるからかも知れません。また、ニップルアレイが果たしている他の機能とのバランスでサイズや間隔が決まっているのかも知れません。
透明なプランクトンの代表とも言えるクラゲは光反射低減の仕組みを持っているでしょうか?クラゲの体で最も目立つ器官である「傘」の表面微細構造を調べてみました。クラゲの体全体は表皮と呼ばれる1層の細胞シートに包まれていますが、種によってこの細胞シートの形態は異なり、大きな多様性を示しすことがわかってきました(Hirose et al., 2021)。なかでもハブクラゲとタコクラゲの傘の表皮細胞は、細胞突起を伸長しており、体表の物理的な性質に影響を与えていることが期待されます。
細胞突起の長さはハブクラゲで500 nm、タコクラゲででは長いもので2000 nmほどになります。いずれも太さは約100 nm、間隔は約350 nmです。細胞突起を直径100 nmの円柱と仮定して、高さ100–5000 nmの円柱が100–2000 nmの間隔で配列した構造の光反射のシミュレーションを行うと、条件によって反射率が平面と比べて大きくなる場合と小さくなる場合があることがわかりました。上記のハブクラゲの条件では反射率は平面の1/3程度に、タコクラゲの条件では70%に抑制されます。ただし、サルパのニップルアレイと異なり、細胞突起はかなり柔軟な構造なので、シミュレーションと実際の傘の表面では光反射の特性がかなり異なる可能性もあるでしょう。さらに、表皮細胞からは粘液も分泌され、傘の表皮表面を覆います。粘液は細胞突起の隙間を満たし、傘の光学的な性質に影響を及ぼしていると思われます。
クラゲは種も多く多様性も高いので、より多くのクラゲについて傘の表面微細構造を調べてゆく必要があるでしょう。
ハブクラゲの傘の表皮にみられる細胞突起
タコクラゲの傘の表皮にみられる細胞突起