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石高のうち「総検地」は日本では太閤検地、「置県時」は廃藩置県に相当する時代を表し、その時点での石高を表示しています。
古代から近世までの長きに渡って都(北陽京)が置かれた、歴史あるかつての豊津国の中心地。南端は河川が流れ人・モノの流れが盛んで、商業も大いに発達した。
総検地:36万4134石
置県時:41万9519石
古代政治の中心地であり、北東部は現在でも遺跡が数多く発掘されている。隆城国への遷都後も寺社勢力が強く、宗教の地盤が代々強い地域である。
総検地:33万2642石
置県時:43万162石
国名は「蕗(フキ)」に由来する説と、穀倉地帯であることに由来する説がある。後者の説の通り畿内屈指の穀倉地帯で、新田開発や農業技術の発達で置県時には131万石余を計上している。
総検地:88万1202石
置県時:131万8554石
西隣の隆城国・飛賀国とは大河川で連絡し、良港を多数備えていたこともあり舟運と商業で大いに栄えた。東の印慈系国家とも海運で繋がる、畿内の玄関口。
総検地:47万5040石
置県時:67万9832石
国名は海峡を挟んで接する保国(のち保前・保後に分割)への道(路)を表し、隆城国から4国を割譲され成立。陸では都の後背地として、海では海峡に接し、「御食国」としても重視されている。
総検地:10万7884石
置県時:15万7728石
保路国とともに都の後背地をなし、国土に大きく食い込んだ湾は天然の良港。外交の玄関口のひとつでもあり、西に広がる北洋道を睨んで国防・財政ともに重要視された。
総検地:33万529石
置県時:48万8276石
西陸道の東端に位置し、北隣の日津国とは大河川が国境を成す。陸・海ともに畿内の喉元に位置する要衝だが、古来より宗教勢力が強く難治国に数えられることも多い。
総検地:41万3170石
置県時:60万4711石
面積はさほど広くないが、国土の大部分を肥沃な平野部が占める。北隣の飛賀国とは山ひとつ越えた先に位置し、首都防衛上は最重要視された歴史を持つ。
総検地:50万9414石
置県時:71万3704石
国土は全体的に低地が広がっており、また河川が多くかつては広大な湿地帯だった。当初は馬の一大放牧地として利用され、のちに干拓や開墾が行われて穀倉地帯へと変貌した。
総検地:68万982石
置県時:97万3257石
近柄国から気賀・波多2郡、下榛国から保田・三滝2郡をそれぞれ割譲され成立。国土は山がちだが畿内に近く、南の海路を抑える要衝として機能していた。
総検地:7万4008石
置県時:11万151石
古代は南隣の下榛国とともに広大な「榛国(はしるのくに)」を形成。3本の大河川の源流を擁し、「交通の要衝」と「穀倉地帯」の二面性を持っていた。
総検地:49万5349石
置県時:75万9824石
古代は北隣の上榛国とともに広大な「榛国(はるのくに)」を形成。3本の大河川が国土を縦走し古代は湿地帯だったものを、間断なく開拓され現在に至る。
総検地:53万3072石
置県時:94万1430石
北西の加科国境は国内屈指の高山地帯であるほか、南東の興渡国境以外は全て山稜に隔てられている。一方で南東部を中心に平地も広がり、首都近郊の穀倉地帯・工業地帯として繁栄した。
総検地:53万3072石
置県時:94万1430石
いくつもの河川が国土を縦走し、古代は広大な湿地帯だった。時代が下るとともに治水と開墾が進み、近世に実質的な首都となってからは豊津国最大の人口集中地帯となっている。
総検地:88万1886石
置県時:139万9582石
北隣の興渡国とは河川を挟み平野部を共有する。地形は西高東低で、小河川が何本か国土を西から東へ横断する。中世の一時期は、この名原国に武家政権の拠点が置かれた。
総検地:38万1843石
置県時:50万5426石
東隣の名原国と対となって半島を構成し、国土は全体的に山がち。一方で良質な木材の産地として知られ、中世以降は一大供給地となった。また大南幹島への玄関口としての顔も持つ。
総検地:20万9461石
置県時:26万9183石
国境地帯は北隣の耶磨国を除き、ほとんどが山陵となっている。一方で湾を擁し良港も多く、沿岸部は平野も多いため経済的には豊かな土地である。
総検地:50万5084石
置県時:68万5822石
郡の総数は4郡と少ないが、河川が多く国全体がすり鉢状の地形を呈している。そのために水害こそ多いが、河川が形成した平地を利用した稲作が盛ん。
総検地:26万7367石
置県時:37万6582石
2本の河川が急流となって国土を北から南へ流れ、文化も大まかに東部と西部でやや異なる。沿岸部は東西を貫く街道が大動脈となっている。
総検地:23万2301石
置県時:31万2228石
国土の中部に湖を抱え、その沿岸は舟運で栄えるとともに穀倉地帯としても機能している。また西端の列島は畿内と西島道諸国を最短で連絡し、交通・軍事の要衝として重視された。
総検地:46万4285石
置県時:64万6118石
ムクノキを国名の由来とし、かつては椋後国と一体の地域だったがのちに分割。椋後国・遼維国との三国境から南西へ河川が流れており、これが国境を成している。
総検地:36万6419石
置県時:47万2438石
椋後国・遼維国との三国境から南西へ流れる河川を東の国境を成し、沿岸部は街道が東西を横断する。対岸の仁栄国と一対となって海上交通の要衝を担う。
総検地:34万5013石
置県時:46万2295石
4本の河川が南部で集まって南端の三国境へ流れ込み、全体的には北高南低の地形を呈する。山陵が険阻で一国単位のまとまりがなく、難治国とされている。
総検地:20万4090石
置県時:26万3577石
国土は南北に長く、1本の河川が長躯して貫く。南の沿岸・平野部から北の山岳部までバリエーションに富んだ地形を擁し、森林・鉱物資源も豊富。
総検地:49万607石
置県時:64万4097石
上古の時代はこの吉前国を東端とし、迫水国・吉中国・吉後国の4国に跨って時の中央政権を凌駕しうる大国が栄えていた。沿岸部は舟運が盛んで、陸海ともに交通の要衝。
総検地:39万5890石
置県時:52万1284石
面積は狭いが、温暖な気候故に農業は盛ん。しかしそれ以上に多数の島嶼を擁し、漁業もさることながら水道の要衝としても重要視される国。
総検地:34万2466石
置県時:45万9879石
英賀・深溝両国境以外は基本的に平野部が多く、周辺地域では西隣の吉後国とともに屈指の穀倉地帯。古代は吉前・迫水・吉中・吉後の4国に跨る範囲に、中央政権を凌駕しうる大勢力があった。
総検地:70万1237石
置県時:97万6893石
国土は大きく東・中・西に大別でき、それぞれを1本の河川が縦貫している。東隣の吉中国、西隣の須幡国とは街道で結ばれており多くの人口を涵養する素地があるが、国全体の連帯感には欠ける。
総検地:61万4711石
置県時:83万7822石
地形は北部が山塊、南部は平野が広がる「北高南低」。その平野部を中心に稲作に向く平地が広がり、その他多数の人口を涵養できる要素を多く持つ。
総検地:54万9634石
置県時:74万3598石
水系は東部と西部に分かれ、国土は全体的に山がち。5郡を数珠上に繋ぐ2つの盆地を中心に発展し、東部と西部で人となりが異なるため、為政者は常に統治の困難を来たした。
総検地:23万1521石
置県時:32万303石
内海に面し多数の島嶼を抱え、海運の要衝として重要視された国。標高の高い山陵もなく、気候も比較的温暖。宗教上も重要な地位を占めた。
総検地:36万3343石
置県時:49万8131石
山がちな北部と河川が形成する扇状地や沖積平野が多い南部、そして南端の島嶼部からなる。特に海岸部と島嶼部は陸海それぞれの交通が盛んで、中央からも重視されていた。
総検地:58万5219石
置県時:79万9510石
西陸道の最西端に位置し、周辺島嶼もその版図としている。海防の要として古代から現代に至るまで軍事上の要衝であり、人とモノの流れも盛んだった。
総検地:24万9490石
置県時:33万8318石
上代は中央政権とは別に、この磐座国に相当する地を根拠地とした「伊備祢(いびね)国」があった。伊備祢の滅亡後も、北西の北島道諸国への睨みを利かせる戦略上重要な地として機能した。
総検地:25万581石
置県時:33万7736石
国名は「贄」に因る。多数の島嶼はほとんどが複雑な海岸線と山塊を擁し、平地が少ないため稲作には向かないが、国名が示す通り海産物が豊富。交通・軍事上のチョークポイントでもある。
総検地:3万7223石
置県時:4万6518石
八州島の最東端に位置する。東の遠敷国からと、北の仁栄国から英賀国・迫水国経由で豊津本州へ島伝いに移動できる立地を擁する交通の要衝。
総検地:8万323石
置県時:10万1712石
八州島の南東部に位置し、国土は全体的に山がち。平野部も広くはないが気候が温暖なために農業は盛んで、また海にも面しており漁業も栄えている。
総検地:29万3206石
置県時:38万9319石
国土は全体的に山がちで、まとまった平地は南部の河川沿いに集中している。面積に比して米の収量は多くないが、海運では八州島の東の玄関口として機能しており地政学上重要な立地である。
総検地:25万399石
置県時:33万1105石
八州島の北東端に位置し、まとまった平野部は中部にある程度で基本的には山がち。気候的にも降水量が少なく稲作には向かないが、立地的には交通・軍事の要衝となっている。
総検地:14万4084石
置県時:18万4651石
八州島の北中部を占め、全体的に山がちな八州島の中では比較的まとまった平地を有している。長い海岸線を有しながら良港には恵まれないが、陸上交通は古来より栄えている。
総検地:19万1617石
置県時:25万784石
八州島の中南部を占める。温暖な気候を持つが平野部が少ないため、農作物の収量は多くない。国土を囲むように険しい山地が連なり、周辺国から文化が流入し辛い「難治国」のひとつ。
総検地:14万4111石
置県時:19万88石
八州島の南西部に位置し、気候は温暖多雨で木の産地として有名。国土の中央部をなだらかな山地が横たわっており、文化と風土が東西で二分されている。
総検地:19万2573石
置県時:26万3469石
八州島の西端部と、西へ飛び石状に連なる玖和諸島を領域とする。温暖な気候に加え西島道諸国で最大規模の平野を有し、穀倉地帯としても交通・軍事の要衝としても栄えた。
総検地:36万5613石
置県時:51万3225石
国名は「玖和路」に因る。東の内海と西の外洋を分かつチョークポイントに位置し、海運上は国内屈指の重要立地である。地形は山がちだが、起伏は激しくない。
総検地:5万7333石
置県時:7万5713石
北洋道の「起点」にあたり、畿内防衛の最前線としても重要視された国。2本の河川に沿って形成された平地では稲作が盛んで、国土面積以上の豊かさを持つ。
総検地:26万3533石
置県時:34万8587石
令制国の制度確立後間もなく、賀勢国より5郡を割かれて成立。概ね四方を山に囲まれた盆地の地形を呈しており国境付近は山塊が目立つが、河川周辺は中央部を中心に湿地帯を形成している。
総検地:12万5830石
置県時:16万4261石
南北に細長く、U字谷や河岸段丘を形成する1本の河川が国土を縦貫する。農業に不向きだったが故に武を重んじる風土が生まれ、畿内近国において「射鞘武士」は精強無比の代名詞だった。
総検地:16万7533石
置県時:21万3891石
山がちな半島の東部と、多数の河川が沖積平野を形成する湾口の西部に二分され、北方ではあるが地の利があり国力は豊か。畿内からの距離も遠くなく、交通・軍事ともに重要な地。
総検地:29万2307石
置県時:40万1788石
北の伊防国から広がる沖積平野を北西部に有し、内陸にありながら稲作に向く平地が多い。南端部は高山地帯で、国土全体が豪雪地帯でもある。
総検地:31万5063石
置県時:41万6993石
南東部・中央部・北西部の平地をそれぞれ隔てるように山塊が連なり、文化も大まかに三分される。舟運によって商業は大いに栄えたが一国単位での連帯感はなく、「難治国」と認識されていた。
総検地:25万5474石
置県時:33万5056石
国土全体の標高が高く四方を山に囲まれているものの、農業に向く盆地が数多く点在しており、国力は豊か。南部の国境線を成す稜線は豊津国屈指の高山地帯。
総検地:28万4914石
置県時:37万7720石
地形は概ね西高東低。高山地帯かつ豪雪地帯であるが、裏を返せば豊富な雪解け水を有し古代から開拓が進んでいた。周辺国とともに鉱山資源も豊富で、宗教的にも重要な地。
総検地:32万980石
置県時:44万3590石
豊津本州の最北端を擁し、沿岸を流れる寒流の影響で豊津国屈指の寒冷地として知られる。ただし西の深溝国との国境を成す山脈がフェーン現象を生み、夏と冬との寒暖差が激しい。
総検地:23万2104石
置県時:30万3724石
領域は南北に細長く、地形も典型的な南高北低。海岸線は短いが良港に恵まれ、特に湾奥部の港町は風待ち港として中世以降に繁栄を極めた。
総検地:34万8037石
置県時:46万5524石
歴史としては令制国成立後に東隣の深溝国から分割された経緯を持つ。海に面してはいるものの地形の制約から良港は少ないが、鉱山資源に恵まれ鉱業が発達した。
総検地:20万7615石
置県時:28万5石
国土に食い込む形で広がる湾が天然の良港の役割を果たし、特に中世以降は交易で栄えた国。一国で河川の水系がほぼ完結することもあって比較的統治が易しく、西部を睨むには好立地だった。
総検地:20万7615石
置県時:28万5石
冬は北西から吹き付ける風の影響で降雪量が多いが、春になるとその積雪が雪解け水として農業に大きな恩恵をもたらす。産業は他に漁業と製塩も盛ん。
総検地:24万5924石
置県時:32万7389石
長い海岸線に双子のような汽水湖を擁し、西隣の津野国とともに豊津本州北西端の鎮護を担う。古来より製鉄が盛んで、中世以降は銀の産出地として世界的に名が知れ渡った。
総検地:34万3982石
置県時:46万1102石
豊津本州の最西端にあたる。大西幹島に向かって突き出す半島は背骨のように山脈が連なり、東隣の磯後国・勝貫国とは山稜が国境を成す。古来より現在に至るまで軍事・交通の要衝。
総検地:41万6876石
置県時:53万626石
大西幹島の最東端で、西隣の君岐国から分割されて成立。中世以前は辺境の地の代名詞的存在だったが、中世以降は相次ぐ鉱山の発見で人口が増加し発展した。
総検地:15万1761石
置県時:20万6358石
豊津本州から大西幹島へ渡る、その玄関口に位置する。南部8郡は農業と商業で、北部を1郡で占める金指郡は鉱業と海運でそれぞれ栄えた。国名は「クヌギ(椚)」に因る。
総検地:49万5014石
置県時:67万2762石
大西幹島の南端に位置し、山がちで僻遠のために3郡で成立。中世以降に鉱山が発見され、また良港が多いために航路・舟運も栄えるなど、中世経済を支える一端を担った。
総検地:26万5894石
置県時:34万3489石
大西幹島の中南部に位置し、河川とそれによって成立した沖積平野が東西の筋となるように流れる。海運はさほど発達しなかったが、陸上交通では要衝と認識された。
総検地:44万3910石
置県時:57万2625石
大西幹島の「くびれ」の南東部を占め、北島道諸国の中では比較的平野部が多い。陸上交通、海運ともに中継地点としての役割を担ってきた歴史を持つ。
総検地:51万4304石
置県時:69万4714石
大西幹島の「くびれ」を占め、交通の結節点として古来より人の往来が盛ん。平野部が多く耕作面積を確保できるため、面積に比して人口を多く涵養できる素地がある。
総検地:35万869石
置県時:45万7421石
4本の主要河川が南部の平野部で合流し沖積平野を形成。かつては氾濫原であったが、中世以降盛んに新田開発が行われた。鉱物資源は石灰岩が豊富。
総検地:27万7091石
置県時:36万5534石
地形は相後国境を除いておおよそなだらかで、平地も少なくない。海運の中継地点であると同時に、中世以降は国防上の補給・兵站基地として重視された。
総検地:41万7586石
置県時:55万8194石
大西幹島北西端を占める3国の南端を占め、平地は少ないが良港を有し海運と漁業基地で栄えた。山が多い地形を生かした森林資源も国を富ませた。
総検地:21万4570石
置県時:27万4652石
平地は多くないが、北辺の白江国境以外は基本的になだらかな山稜を形成している。鉱物資源が豊富で中世からは金、近代以降は石灰岩の採掘が盛んに行われている。
総検地:25万9474石
置県時:33万7045石
大西幹島の北西端に位置し、直海国との国境を成す山脈部区から緩やかな丘陵が海岸線まで連なる。馬の飼育が古来より盛んで、また北西の島嶼部やエウポリー系諸国への玄関口として機能した。
総検地:17万9356石
置県時:23万6114石
豊津国の最北西端を成す「西北三島」を構成する国のひとつで、国名で察せるように豊津国屈指の金鉱山を有する。歴史上何度も他国の侵略・占領を受け、文化としては異国情緒に溢れる地でもある。
総検地:2万8743石
置県時:3万5960石
「西北三島」を構成する国のひとつで、風待ち港や漁業基地として発展した歴史を持つ。南の金成国が金鉱山を抱えていたのに対し、天津国は製鉄が盛んだった。
総検地:3万7417石
置県時:4万6640石
「西北三島」を構成する国のひとつで、豊津国の最西端。外国との北西の玄関口にもあたり、史上何度も外国勢力の侵攻を受けた。それ故に外国と融合した文化が発展した。
総検地:7075石
置県時:8808石
畿内とは海峡を挟んだ立地で、軍事・交通の要衝として大東幹島諸国の中では最重要視されていた。歴史的にも農工業より海運・商業が発達した地域。
総検地:26万1400石
置県時:34万5868石
2本の河川が作用して形成された平地では稲作が盛ん。東端は標高の高い山脈が連なり、それが球後国との国境を成している。南端の山部郡のみは水系が異なり、中世に保前国から編入した。
総検地:23万4979石
置県時:30万4991石
大東幹島の最南端に位置し、海運上重要な補給地点として栄えた。沖合に好漁場が広がり古来より漁業が盛んで、付随して造船業も発達した。
総検地:28万9856石
置県時:38万892石
国土の東沿岸部を中心に稲作に向く平地が広がり、石高が面積に比して多い。面積に比して多くの人口を涵養する素地を持ち、商業が発達した。
総検地:32万8630石
置県時:43万7116石
河口付近では国境を成す2本の河川が形成した沖積平野を中心に、沿岸部は穀倉地帯として発展。山岳を主とした険しい地形の多い西部は林業を中心に、特に中世以降は鉱山開発が進んだ。
総検地:28万7529石
置県時:37万9020石
大東幹島の「くびれ」の南部を占め、面積は比較的狭いが平地が多く、人口を涵養する素地がある。海運上も中継地点としての発展を果たしている。
総検地:35万9906石
置県時:47万7268石
国土は概ね山稜が多いが、河川沿いに平地が広がっており稲作に向く。海上交通の中継地点としての性格も有し古来から人口が多く、特に中世以降は地域一帯の中心として機能した。
総検地:43万32石
置県時:55万6590石
稲作に向く平野部も面積に比して少なくないが、それ以上に早くから銅鉱山が発見されたことが一国分立の最大要因。貿易の進展に伴って風待ち港も発展した。
総検地:21万8718石
置県時:28万1534石
大東幹島本土の揖前国から南東に約85km離れた孤島。豊津国の東に位置する香西半島諸国との航路の中継地点として、また近代以降は国土防衛の最前線のひとつとして重視された。
総検地:1万9656石
置県時:2万2255石
伊芸国から約50km東に位置する。海岸線のほとんどがリアス海岸で構成されており、平地が少なく農業には適さない。主に漁業基地と、東の印慈系国家との貿易中継地点として栄えた。
総検地:4010石
置県時:4689石
鹿相国から約80km強東に位置する。鹿相国同様にリアス海岸が非常に長く続くが、土砂流出により形成された平地で農業が営まれている。漁業基地や貿易中継地として古来より重要な地位を占めた。
総検地:8025石
置県時:8811石
海岸線に沿って平野が広がり、東の久馬・球後国境以外は山容もなだらかで起伏が緩い。畿内に近いため古来より人口も多く、古くより発達した穀倉地帯である。
総検地:31万9917石
置県時:42万5623石
大東幹島の最西端にあたり、国土の中央を山脈が一本貫くため、南北で文化・風土が異なる。近世以降は海防の拠点としての重要度が増した。
総検地:29万2972石
置県時:39万1660石
三方向の国境線全てが山陵で、南から北に流れる3本の河川ごとに小さな文化圏を形成し、一国単位でのまとまりには欠ける。古来より稲作が盛んで林業も栄えた。
総検地:20万6029石
置県時:26万9690石
国土の南部に起伏の激しい複雑な地形が多く、国名も「隈」が転じたものとされている。一方で沿岸部は沖積平野が連なり、大街道が東西を横断して人とモノの流れが活発だった。
総検地:34万2556石
置県時:45万2373石
南部の国境地帯は険しい山岳地帯となっているが、その他は概ね沖積平野が広がる。冬は冷え込みが厳しいが、夏はフェーン現象の影響で緯度に比して暑い日が多い。
総検地:27万209石
置県時:35万1297石
国内を山稜が大まかに北東・北・南と三分し、古来より一国としての連帯感が薄い土地柄。林業・漁業・鉱業が盛んで、豊津国では珍しく石油も産出する。
総検地:30万3950石
置県時:39万5902石
国名はススキの「のぎ(芒)」に関連した神話に由来。周辺諸国と比べて平地面積が多く、穀倉地帯として古くから発展した。西部森吉郡にはカルデラ地形を抱える。
総検地:35万8420石
置県時:47万6013石
北東部を中心に平野が広がり、水は豊富で農業は盛んだったが、同時に度重なる水害に悩まされた。南部から西部にかけては山塊が多く、鉱山も点在している。
総検地:29万6568石
置県時:38万9657石
大東幹島北東端に位置し、多くの火山を抱え、降り積もった火山灰層を有するため、かつて稲作は盛んではなかった。立地上「外界」との窓口として、また海運の要衝として栄えた。
総検地:26万5384石
置県時:34万287石
豊津国の最北東端に位置し、吹越諸島の3分の2ほどを領域とする。歴史上独立国が存在、また亡命政権が樹立した時期も長かったが、近世以降は豊津国が領有権を確立させている。
総検地:3万7152石
置県時:4万6030石
大南幹島の北中部に位置するが、畿内に近く豊津本州との結びつきも強いため、南島道の起点は当国に設定されている。沖積平野や盆地が多く、肥沃な穀倉地帯として古代より名高い。
総検地:32万825石
置県時:44万2629石
9世紀頃に関前・関後両国から数郡ずつを分割され成立。南北に細長い国土を無数の河川が縦走するため治水は困難を極めたが、その分肥沃な穀倉地帯として栄えた。
総検地:23万3288石
置県時:30万6649石
国土を無数の河川が南北に縦走し、沖積平野が広く穀倉地帯として古代より栄えた。山岳部では鉱業も盛んで、主に鉄の山地として知られている。
総検地:31万4213石
置県時:41万1876石
豊津本州を目と鼻の先に捉える立地で、大南幹島の陸路の起点として古来より重要な地位を占めた。地形としては平野部も多いが、山岳地帯も広がっている。
総検地:39万5015石
置県時:52万8794石
大南幹島北西部の半島部を領域とする。南北を緩やかな山稜が縦貫し、尾根によって隔てられた各郡同士の繋がりは弱い。中世以降は金鉱山の開発が進んだ。
総検地:16万1749石
置県時:20万8684石
東西の国境を鋭利な山脈に隔てられているが、南の相楽国とは川を通じて行き来が比較的容易。比率の少ない平地は北端部に集中している。
総検地:10万9187石
置県時:14万690石
大南幹島の中部に位置する山あいの国。なだらかな山稜が国境をなし平野部は広くないが河川が多く、産出した材木の輸送へ大いに生かされた。
総検地:6万6364石
置県時:8万5035石
国名は南部にある「福の神」伝説を持つ福釜湖に由来し、その南部は広大なカルデラ地形を呈する。中部は河岸段丘を形成し、北部は沖積平野が広がる。
総検地:18万8838石
置県時:24万5311石
北西部を中心に発達した平野部は穀倉地帯として、また舟運でも栄えた。北東の沿岸部は典型的なリアス海岸の様相を呈する。またいくつかの島嶼も領域としている。
総検地:32万5399石
置県時:43万2791石
大南幹島の北東端・最東端に位置し国土は全体的に山がちだが、高山地帯は多くない。東に泗登島を望み、海運上の要衝として発達した。
総検地:29万178石
置県時:38万1531石
南西部を中心に多数の山岳が聳え、そこを源流とする河川の浸食によって形成された谷に沿って平地が広がる。地形が障壁となり、一国単位でのまとまりには欠けた。
総検地:22万4418石
置県時:28万5450石
大南幹島の東部に位置し、肥沃な平野部と良港を備えた湾を擁して古来より栄えた。東に浮かぶ泗登島への航路も多くはこの国を起終点としている。
総検地:26万8739石
置県時:35万8693石
いくつかの盆地と内部を流れる河川、それを囲むように山陵が連なる山あいの国。山間部ではあるが、南西部を除いて標高はさほど高くない。
総検地:18万2928石
置県時:23万6875石
大南幹島の南東端に位置し、東西に細長い国土を山脈が概ね横断している。海路の要衝であると同時に、遠洋漁業や捕鯨が古来より盛ん。
総検地:21万227石
置県時:27万4540石
大南幹島の東方に浮かぶ泗登島の最西端に位置し、泗登島の玄関口として海運の一大拠点を担った。山地はあっても標高は低く、気候は温暖。
総検地:36万8600石
置県時:48万4345石
泗登島の中央部に位置する。国土の全体がなだらかで高山はないが、大規模な河川が存在せず稲作に向く土地ではなかった。農業生産が盛んになるのは近代以降のことである。
総検地:25万8644石
置県時:34万4505石
泗登島の東部に位置し、国土を東西に横断する山脈が気候と文化を隔てている。西隣の永見国と同様に大きな河川がなく、平野部自体は広い。
総検地:31万8877石
置県時:41万7189石
泗登島の東南端に位置し、国土の中央を北東から南西にかけて緩やかな丘陵が広がる。漁業基地の一大拠点であるとともに、近世以降は海防の要衝として重視された。
総検地:25万3778石
置県時:33万2295石
国土のほとんどは沖積平野や扇状地で、面積は狭いながら穀倉地帯として古来より知られていた。大南幹島の北西の玄関口としても機能した。
総検地:23万2651石
置県時:30万7809石
国土は平野・盆地が多く古来より穀倉地帯の地位を確立するとともに、沿岸部は港町が海岸線に比して多く建設されて、中世以降は特に栄えた。
総検地:40万2921石
置県時:54万299石
大南幹島中西部に位置し、南東へと広がる豊津国最大級の湾の北岸入り口にあたる海運の要衝。北部の国境地帯は山岳部だが、北で接する三国とも標高の低い峠で連絡が容易。
総検地:32万8087石
置県時:43万5872石
国土は東西に細長く、長大な海岸線を有する。海上交通の中継地点として発展するとともに、農耕に向く平地も多く穀倉地帯として知られる。
総検地:30万1817石
置県時:39万6671石
大南幹島の最西端に位置し、国土のほとんどを丘陵が占める立地は農業には不向き。一方で海上交通の要衝であり、山地の多さは林業に好影響をもたらした。
総検地:13万9351石
置県時:18万8791石
沿岸部は平野が広がり、穀倉地帯であるとともに補給基地としての港が多く建設され、人・モノの流れが古来より活発。陸上交通の結節点でもある。
総検地:35万963石
置県時:46万4070石
令制国制度確立後に桂葉国から数郡を分割され成立。複数本流れる河川が作用して形成された平地が多い一方、北部は山間僻遠で数多くの落人伝説が残る。
総検地:18万192石
置県時:23万5880石
領域の南半分はほぼ平地で古来より農耕が盛んだが、多数の河川が流れ込み水害に悩まされた土地でもある。北東部は山間だが、北へ抜ける街道が走る。
総検地:29万2436石
置県時:38万1638石
内陸国ではあるが河川が多く、南西から広がる平野は温暖な気候と相まって農耕が盛ん。立地的に通商は盛んでなく、人となりや文化は質実剛健とされる。
総検地:30万4185石
置県時:40万4418石
国土面積は狭いが南部を除いてほぼ平地で、豊津国内屈指の肥沃な穀倉地帯として古来より栄えた。自然人とモノの流れも活発で、陸海両方の交易が盛ん。
総検地:32万7043石
置県時:42万9529石
複数の河川の中流域に位置し平地が多い一方で、河川の合流地点も多く常に水害に悩まされた地域。南東の野生郡は、地形的に国内よりも須曽国との結びつきのほうが強い。
総検地:30万3623石
置県時:39万5120石
西へ流れる数本の河川の上流域があり、その河川が形成した農耕に向く平地も多いが、一方で水害も多い。東部は炭鉱がまとまって点在する。
総検地:19万3900石
置県時:25万7890石
北部国境線は山陵がひだのように連なり、その山「裾」が国名の由来。沿岸部は平地が多く、内陸も盆地が点在しており、温暖な気候と相まって農耕が盛ん。
総検地:31万4964石
置県時:42万2347石
大南幹島の南端を西へ伸びる半島の基部に位置し、北部5郡と南部4郡を東西に伸びる緩やかな山稜が分断している。温暖多湿な気候で、良質な木材の山地として知られた。
総検地:37万732石
置県時:50万2603石
大南幹島の最南端にあたる。標高は概して高くないものの山地自体の面積は広く、多くの谷戸が形成されている。温暖多湿な気候で農耕、そして漁業が盛ん。
総検地:34万1548石
置県時:45万7469石
大南幹島の南に浮かぶ渡走島を領域とする。カルデラ地帯でカルデラ湖が多く、火山灰層が厚く農耕においてはその克服が長く課題となっていた。漁業や鉱業が盛ん。
総検地:11万2127石
置県時:15万139石
渡走島から南へ約5~60km離れた明楽島(あきらがしま)の東部を領域とする。顕著なカルデラ地形を呈し、海流の影響もあって周辺は好漁場として知られる。
総検地:14万2894石
置県時:19万4589石
豊津国全体の最南端に位置し、明楽島の西部を領域とする。東隣の明前国よりは地形が緩やかで、近世以降は開墾が進んだ。立地上、国防の要としても重視される。
総検地:14万9258石
置県時:20万174石
渡走島から西に約85km、明楽島から北西に約55km離れた洋上に浮かぶ簸沖群島を領域とする。移住・開拓の歴史は比較的新しく、海防の要として注目されるのは近世以降のこと。
総検地:2万279石
置県時:2万5125石