昭和25年国重要文化財指定(大正2年国宝指定)
平安時代 弘法大師空海作伝 高さ109㎝ 一本造り 檜材
明治時代に廃寺となった妙法寺の御本尊であった。妙法寺は、正嘉年間(1257~59)頃の草創になるとされ、中世には七堂伽藍を備えた尼寺であった。元亀元年(1570)、大友氏の兵火にあい、本尊だけは難を逃れて小堂に祀られていたが、明治7年(1874)、佐賀の役で羅災し廃寺となる。小堂は羅災した知足庵へ移転し、御本尊は東妙寺に移安された。
大正4年、釈迦如来坐像と共に調査と抜本的な修理が行われる。
令和元年、釈迦如来坐像と共に文化財保存事業により調査と修理が行われる。
創建当時、東妙寺には三つのお寺がありました。一つは東妙寺、一つは尼寺の妙法寺、今一つは奥ノ院の石塔院です。
江戸末期から明治頃のことです。妙法寺に尼さんが住まなくなった為か、廃寺になる事になりました。その時、御本尊観音様をどこにお移ししようか、どこにお祀りしたほうが良いかと相談がなされ、石塔院にお移しすることに決まったそうです。そこで、大人の人たちが荷車に乗せて運ぶことになりましたが、分かれ道にさしかかるや、あまり大きくもない木造の仏さまが急に重たくなり、荷車は押しても引いてもビクともしません。だんだん日が暮れてきます。困りはてた大人たちは「今夜はひとまず、東妙寺にお連れして又明日のことにしよう。」と話しあいました。ところがどうしたことでしょう。方向転換をするやいなや、勢いよく荷車が自分からコロコロと動き出しました。前引きの人は「後ろはあまり押すなよ!」と言い、後ろの人は「前引きはあまり早すぎるぞ!」と言っても、荷車はドンドンと行ってしまいます。そして東妙寺まで来ると、ピタリと止まってしまいました。。大人たちは誰言うこともなく「石塔院への道は人ひとりがやっとというほどに細くてあぶないから、けがでもしたら大変というので、こちらに来られたんだろう。さすがにお観音様のありがたいお慈悲じゃ」と言いあって帰って行かれたそうな。
この仏さまも東妙寺の御本尊お釈迦様と共に穏やかにしておられます。(真如)