昭和25年 国重要文化財指定(大正2年国宝指定)
鎌倉時代 運慶作伝 座高110㎝ 寄木造り 檜材
東妙寺創建と共に総本山西大寺より来られたと推測される。
大正4年、美術院の新納忠之介の手により調査と抜本的な修理が行われる。
令和元年、文化財保存事業により美術院によって調査と剥離止めなどの修理が行われる。
「泣きべそをかいたほと仏さまけさまけさま」
七百年前に後宇多天皇様の命令によって造られた東妙寺は、それはそれは大きなお寺で、寺領が3,300町歩といいますので、吉野ヶ里町、神埼市全体がその配下にあったというわけです。ところが明治時代になって廃仏毀釈の論が出ると、とても苦しくなってしまいました。屋根はおちて雨もりはするし、かべは落ちて竹だけがむき出しになって、とても哀れになってしまいました。そしてとうとう、お金のかたにご本尊のお釈迦様までも質屋にとられてしまいまいした。ところが質屋さんの蔵の中におさまったお釈迦様は、いつも夜になると「東妙寺に帰りたい。東妙寺に帰りたい。・・・」とシクシクと泣いてばかりおられたそうです。これを見た質屋のご主人は「これはいけない」と思って、すぐさま東妙寺に返しに来られたそうです。 今はお釈迦様も東妙寺でニコニコ笑っておられます。(真如)