Exhibition
Exhibition 2022
「都会化された荒野で」
槙原泰介・片山初音
2022. 5. 14(土) 15(日) 21(土) 22(日) 4日間
11:00-18:00 ※予約制
会場:長野県南佐久郡南相木村山荘とその周辺
Concept
私たちはこの何年間かで生活を大きく変えることを余儀なくされました。その変化とともに都会から田舎へ眼差しを向ける人々も増えています。それは単なる逃避ではなく、むしろ都会的な技術を持って荒野を取り込み、移り住むことに発展してきています。都会と荒野はいまやシームレスに結びついて垣根を失い始めました。もしかすると、元から垣根などなかったのかもしれません。私たちは今、精神的な自然のイメージへの逃避ではなく、この実在する「都会化された荒野」とじっくり向き合うことで、その中間領域に新たな指針を見つけ出したいと思うのです。
作家の二人は世代もキャリアも大きく異なりますが、互いに身体や事物が存在する地平の多層性や不確かさに強い関心を持ち、場所と事物や技術との関係性そのものをインスタレーションとして表現するという共通性を持っています。このプロジェクトを通して、同じ環境・時間の中に身体を置くことで協働し、個々で活動するときよりも大胆に偶然性・他律性を取り入れた作品を発表します。
Statement
美大への進学を志した高校生の時分、試験のために描く油絵に飽きていた私に、しばらく山にでも籠ってきたらと言う美術の先生がいた。私はその言葉を鵜吞みにし、たいした準備もせず近くの山に入って一夜を明かしてみることにした。結局、心配する母親が登山口まで車で送ってくれ、なんとも気恥ずかしい思い出なのだが、山で過ごした特別な時間としてよく覚えている。無論、それでいい絵が描けるようにはならなかった。
そしてその後何年も山を目指したことはなかったが、40歳になる手前、まだ雪が残る2月に石鎚山に向かっていた。その日は滑落者も出たそうで、下りの道にも私の足跡しかなく、当時の装備を思い出すと無事だったことを幸運に感じる。それから時々山に行くようになり、いくつか訪ねた山を振り返ると、マイナーな山や悪天候をむしろ選んでいることに気づく。山中で人と出会わないことを望んで。多くの人がそうなのか分からないが、私が心や身体で「自然」を感じたとき、そこに人間は私しか居ない。いや、待てよ、居たけど居ないと見做していたのかもしれない。この山荘の北側、御座山の氷瀑の前でよく整備された登山道を見つめながらそんなことを思った。「自然」と表裏一体である他者の存在の大きさに改めて気づいた。
繰り返す災害と復旧、大地を刻んだ先人の作品も示すように、人工と自然は二項関係になく、全てが混ざり合っている。ナチュラル系で行きましょう!と軽快に言ってみせる片山と一緒に、この都会化された荒野に「自然」を取り出して見せることができるのか考えている。
2022.2 槙原泰介
幼い頃の私はもっぱら外遊びをする子供だった。木に登り、草や木の実でおままごとをした。その中でも人を驚かせたのが毛虫を手に乗せて遊んでいたことだった。アメリカシロヒトリ、この毛虫は刺さない。
しかし、今の私は虫を恐れている。レジャーシートに上がってくるアリさえ排除したくなる。自然に属する他者がこちら側に入ってきている、そのことが怖いのだ。思えば山中では虫が気にならなかった。私は虫に対する恐怖心に環境を通したグラデーションがあることに気がついた。それは整備された人工的な空間であればあるほど怖く、自然に近づき自然に入れば気にならなくなった。屋内や屋外という明瞭な区分けでもなく、家の庭や道路、公園などでは怖いが、山中のトイレ、自動販売機などに群がるものは気にならなかった。境界線を設ければこちらには影響してこないと思い込んでいたが、人工と自然に明確な境界線などなく、あるのは大きなグラデーション。ほとんどはその大きな中間領域に存在する。そこに明確な境界線を設けたがったのは、クリアーに分けられた状態に慣例化された意識。その内側にいるという安心感と、どちらかに属さなければ群れから疎外された存在になる、という存在の基盤を揺るがす不安なのではないか。
山荘は人工的であり、自然の要素も含む。そのどっちつかずでありながら、どちらでもある姿に作品を重ね、自分を重ね、存在に対する危機感と安心感の両方を感じるのだ。
山荘にはカマドウマやザトウムシなどが出る。それは少々怖いものの、排除しなければ寝付けないほどのものではない。
2022.2 片山初音
Event
2022.5.15(日) 15:00-16:00
アーティストトーク 槙原泰介×片山初音
聞き手:近藤亮介氏(ランドスケープ史/美術批評家)
※録画を公開中です。https://youtu.be/qVYTxRDhbpI
2022.5.21(土) 15:00-16:00
ゲストトーク 伊東多佳子×槙原泰介×片山初音
ゲスト:伊東多佳子氏(環境美学/富山大学芸術文化学部准教授)
Document
01 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
山荘周辺に点在していた岩石を選び、表面の苔や堆積物を高圧洗浄機やデッキブラシなどで取り除くことで、見えていなかった岩石の表面を露わにしていきました。このあたりの地層には、庭石にも使用された数々の奇岩が採掘されていた歴史があるそうです。今回作品とした11個の岩石もそれぞれ生成過程が異なり、混ざり合った石質の様相やその微妙な色味の違いが見受けられます。01のみ、ある時刻の山荘の影のラインで境界を決定しており、陽が当たるとその時刻の影が重なります。
02 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
03 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
04 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
土地の境界を示す杭。それらも苔や堆積物を帯びていました。本展はマップという紙面上に自然物、人工物を並記することで、まずこのフィールドをひとつの環境として捉えてもらいたい意図がありました。その混沌とした環境から物質を見ていくこと。都市で生み出されたこのコンクリート杭にも骨材としての砂利や砕石が使用され、他の岩石と共通する石質を含んでいるのかもしれません。
05 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
06 Wood deck
片山初音 Hatsune Katayama
会場となった山荘は自然に囲まれた環境です。しかし、人の手で管理された林は人工的なものとも言えます。環境を「人工と自然」という二項関係から考えてみると、実は両極などなく、中間領域とも言える大きなグラデーションが存在するだけのように思います。
思い返せばずっと境界と領域について考えてきました。どこを境界にして物質や意識は変化し、違う領域のものになるのでしょうか。境界を一本の線とすることで物事は振り分けられ、クリアになると思われています。しかし境界線自体にも領域があります。その内側の中間領域を排除することは、様々な内包物を無視し、思考と経験を停止させているのではないでしょうか。そこに視線を向け、思考し経験することでしかこの世界に存在するものを認識する方法はないのかもしれません。
林の中に山荘のウッドデッキと同じ構造のウッドデッキを制作しました。
山荘に付随したウッドデッキでは、計画された眺望から、そこに立つ人を無意識のうちに一方向からの視線しか存在しない、支配的な視線へと促します。そういった機能を持った構造物を山荘から離れた林の中に置くことで、この林を鑑賞の対象とするのではなく、開かれた、どちらでもなく、どちらでもある場として改めて認知するのではないでしょうか。そこに立つという行為を意識的に体験する。それによりそこに中間領域が出現するとも言えるでしょう。
07 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
08 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
09 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
わずかに顔を覗かせていたこの二つの石、そこに現れた石肌は繊細な色彩を放ちながら異質な時間を示していました。千、億の時を遡るともともとは一つの石だったのかもしれません。
10 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
11 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
12 Raw stone
槙原泰介 Taisuke Makihara
12は山荘から10分ほど歩いた場所。辺りの景色を眺めながら山荘に戻っていただき、展覧会は終了になります。整然と並ぶカラマツも、この緑に覆われる道も改めて人の手によるものだと気づかされます。