山手線 Yamanote Line
山手線では、0番台の10両編成 (Tc–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc') が山手電車区
(後の東京総合車両センター)に配置された。色は■。 中央線快速、中央・総武緩行線に続く首都圏で3番目の省エネ車投入区となった。当初は201系の投入を予定していたが、当時の国鉄の財政事情より、安価な本系列の開発・投入をする方針に変更され、10両編成34本(340両)が投入された。
本系列の第1編成となるクハ205-1以下の10両編成は1985年(昭和60年)1月31日に東急車輛製造で落成・出場、同日に入籍した。出場後は横須賀線で公式試運転を実施し、夜間に品川電車区(当時)へと回送した。同年3月3日には「山手線開業100周年記念号」としてクハ205-2以下の10両編成が臨時列車において営業運転を実施した。同年3月25日から、クハ205-4以下の10両編成がシナ16編成として初めて一般営業運転を開始した。その後、0番台量産車となるシナ5編成(クハ205-5以下)は1985年(昭和60年)7月15日から営業運転を開始している。落成当初所属していた品川電車区(南シナ)は1985年(昭和60年)11月1日付けで山手電車区(南ヤテ)に改称した。 山手線ではJR東日本化後も引き続いて200両(10両編成20本)が投入された。ただし、上述の通り欠番が生じている。欠番発生により、山手線では先頭車の車両番号を編成番号にしているため、国鉄時代製造分の編成番号はヤテ1 - 34編成、JR東日本投入分はヤテ41- 60編成となっている(クハ205-60・クハ204-60まで・なお、ヤテ35 - 40編成の編成番号は欠番)。 山手線は最大で10両編成54本が配属されていた。その後は1990年5月22日に特発時の予備車を削減することで、1本(ヤテ41編成)を捻出して埼京線へと転属し、ハエ7編成(2代目)となった(1996年にハエ29編成へと改番)。 1991年12月から外回り品川方向10号車に6ドア車のサハ204形 (T') を組み込んで11両編成化(Tc–T'–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc')された。ただし、1990年の登場から本投入までは一部の10両編成にサハ205形の代用として組み込まれたほか、改造工事による編成の不足を補うために浦和電車区から205系1本を借用し、帯色を変更してヤテ35編成として使用していた。11両編成化後しばらくは先頭車の前面に「11CARS」のステッカーを貼付していたが、1996年までに撤去された。 1996年2月には埼京線恵比寿延伸開業用に1本(ヤテ42編成)が埼京線へと転属し、ハエ30編成となった。なお、一部編成が運用を離脱し、量産先行車(ヤテ2編成)が1993年の一時期、横浜線へ貸し出されたこともあった。 その後、D-ATC導入に合わせ2002年4月21日からE231系500番台が投入され、2005年4月17日限りで同線の運用を終了した(E231系500番台に置き換えられたのは10両編成52本)。このうちサハ204形はサハ204-30が横浜線へ転出して横クラH27編成に組成され、同線唯一のサハ204形0番台となった以外はすべて埼京線へ転出している。2005年4月17日には、最後まで運用されていた量産先行車であるトウ4編成(元ヤテ4編成)によるさよなら運転が行われた。
横浜線 Yokohama Line
山手線への本系列投入後は、サービス向上策の重点を首都圏の西南部地区へ置くこととなり、投入線区として横浜線が選ばれた。横浜線では1988年9月22日に運用を開始し、蒲田電車区に0番台7両編成 (Tc–M–M'–T–M–M'–Tc') 25本(後にH1 - H25編成となる)が、1988年9月から翌1989年2月までの半年間に投入され、103系を置き換えた。色は■■。この横浜線向け以降の車両では客用ドアのドアガラスが拡大されるとともに、前面に種別・路線表示器(幕式)が設置されている。ラインカラー帯はうぐいす色と緑15号のツートンカラーとすることで、横浜地区と多摩地区を結ぶ さわやかなイメージを表現している。横浜線は1989年までに205系で統一された。 1993年4月のダイヤ改正時に、新規製造のサハ205-232を組み込んで京浜東北線から1編成が転入し、カマ26編成となっている。1994年12月3日のダイヤ改正時に、全編成が東神奈川(大船)方の2号車に6扉車サハ204形100番台を組み込んで、8両編成 (Tc–M–M'–T–M–M'–T'–Tc') 化された。 1996年10月に横浜支社が発足し、横浜線東神奈川駅 - 橋本駅間が同支社の所管とされたのに伴い、12月1日付けで大船電車区に全車が転属した。転属時には編成番号がカマ1 - カマ26編成からH1 - H26編成に改番されている。横浜線向け新製車最終編成のH25編成7両のうち、サハ205-145、モハ205・204-230の3両は東日本旅客鉄道大船工場で製造されている。 大転配では山手線用11両編成1本からサハ205形1両とモハユニット2両を抜き、横浜線にH27編成として転入した。この編成は当初より横浜線で運用している本系列に、京浜東北・根岸線で使用するD-ATCを設置するにあたり、これに先駆けて同機器を設置して他編成に同様の機器を設置するための編成不足を補うための予備車として入線し、全編成に同機器が設置された後はデジタルATC化に伴う増発で使用された。ATSについてはATS-Pのみを追加搭載し、ATS-SNは横浜線の他の205系と同様に最初から取り付けられていない。転入の際に前面行先表示器をLEDに変更して転入しており、残る26編成もデジタル列車無線搭載により前面の種別表示器が使用できなくなることから、順次前面行先表示器がLED化された。 2009年の根岸線におけるデジタルATCの使用開始に先立ち、2007年3月までに全編成に関連機器が取り付けられた。また、デジタル列車無線搭載に伴い前面種別表示器が使用できなくなるため、2006年11月よりデジタル列車無線の搭載工事と並行して、前面行先表示器のLED化改造を施工した(H27・H28編成は鎌倉車両センター転入時に搭載。側面は幕式)。埼京線用のものとは異なり英字・ローマ字表記はすべて大文字である。2009年には3月ダイヤ改正時の増発目的で、武蔵野線のM66編成(元ケヨ23編成)が4M4T化された上でH28編成として横浜線に転入した。転入の際、残りのモハユニット2両は廃車となった。なお、H28編成は横浜線の205系では唯一6ドア車が連結されず、全車4ドア車だった。編成は TcMM'TMM'TTc'であった。 横浜線向け205系の運用路線で保安装置にATS-SNを使用した路線はないため、首都圏で運用されている本系列では唯一ATS-SNが装備されていない(H1 - H26はP・C。H27編成のみP・B・C)。2009年 - 2014年まではH1 - H28編成の28編成が在籍していた。H26 - H28編成の3本は他線からの転入である。 後述の埼京線に続いて、2014年(平成26年)2月16日よりE233系6000番台による置き換えが開始され、同年8月23日をもって横浜線における営業運転を終了した。 2014年3月15日のダイヤ改正でのE233系6000番台の運用開始に伴い余剰となったH26編成は、サハ205-232およびサハ204-126を抜き取り6両編成となって2月25日付で中原電車区に転属し、ナハ17編成となって増発された南武線で運用を開始した。なお、編成から外された残りの2両は2月5日付で廃車となった。
南武線・南武支線 Nambu Line & Branch Line
南武線 Nambu Line:南武線では中原電車区(現・鎌倉車両センター中原支所)に0番台6両編成 (Tc–M–M'–M–M'–Tc') が使用されていた。色は■■■。 1989年3月11日ダイヤ改正の輸送力増強用として投入されたもので、同日より営業運転を開始した。南武線への新車投入は、国有化前にあたる南武鉄道時代の1942年(昭和17年)3月に製造したモハ150形10両・クハ250形5両以来、47年ぶりであった。南武線への車両増備は103系の転用でも可能であったが、直接新車を投入することで新会社となったJRのイメージアップを目指したものである。 以降は1990年9月までの4回に分けて6両編成16本が新製投入されている(ナハ1 - 16編成)。このうち1編成(ナハ7編成)はのちに三鷹電車区(当時)に転出している。この代替は209系(クハ209-13を先頭とする)で補った。この時209系をナハ1編成とし、元ナハ1 - 6はナハ2 - 7に繰り上げされた。在来車を半数ほど置き換えた時点で投入が終了し、のちに209系も2本が投入されるが、前述の三鷹電車区に転用した205系1本の補充と列車増発用としての投入であり、引き続き6両編成15本の103系が残った。これらが一掃されたのは山手線からの転入車を受け入れた2004年12月のことである。 ラインカラー帯は、旧型国電時代の茶色(ぶどう色2号)、中央線からの借り入れ車のオレンジ(黄かん色2号)、路線カラーの黄色(黄色1号)を採用しており、いずれも南武線で運用されてきた歴代車両のカラーである。これは沿線住民へのアンケート結果から決定したものである。保安装置にATCの搭載がなく、乗務員室内の機器が減少したため、乗務員室背面仕切壁を 130 mm から 80 mm へ薄くし、合わせて背面仕切窓を拡大した。 1993年4月のダイヤ改正時に209系(ナハ1編成)を投入することで、1本が中央・総武緩行線に転属した。大転配時には増発および103系置き換えのため、6両編成17本(そのうち、5本が先頭車改造車)の配属が予定されていたが、本路線用には山手線編成からサハ204形と T–M–M'–T を抜いたものが転入した。2004年に一部編成が武蔵野線の原形先頭車統一のため転出し、代わりに改造先頭車を含む編成を受け入れている。なお、理由は武蔵野線の項に記載する。この結果、最終的な転入数は6両編成17本(そのうち6本が先頭車改造車)に変更ないが、改造先頭車が1編成多くなった。原形先頭車と改造先頭車の両方が混在する唯一の線区となっていた。 2009年には改造先頭車編成1本が仙石線に転用された。2014年2月には横浜線から1本が転入した。 埼京線、横浜線に続いて、2014年(平成26年)10月4日より、E233系8000番台が営業運転を開始し、全編成が置き換え対象となり、16両(Tc–M–M'–M–M'–M–M'–Tc' × 2本)が武蔵野線増発用として転用、0番台120両がインドネシアのPT KAI Commuter Jabodetabekへ譲渡されたほかは、全て廃車となった。
南武支線 Nambu Branch Line:南武支線の101系置き換え用として転入した1000番台2両編成(Mc–Mc')のうち、最初の2本は中央・総武緩行線→武蔵野線の転属で余剰となったモハユニットで2002年8月に運用を開始した。色は■■。残り1本は山手線からの転入のモハユニットで2003年11月に運用を開始したが、それまでの約1年間は置き換え対象の101系が1本だけ残されていた。その後、2016年の小田栄駅開業に合わせリニューアルが実施され、モケット、吊り革の交換が行われた。外観では側面帯の一部が張り替えられ5羽のカモメと音符が入ったデザインとなった。2023年9月に転属してきたE127系2本により置き換えが行われたが第4編成の1本のみ現在も残り、活躍している。なお、同編成は首都圏で営業運転されている唯一の205系となった。
中央・総武緩行線 Chuo Sobu Line
中央・総武緩行線は1988年時点で205系投入計画になかった線区だが、東中野駅における追突事故で車両不足が発生し、本来埼京線用として製造中だった2本を仕様変更して投入した。このため、非ATC線区ながらATC設置準備車であった。色は■。編成は10両編成(Tc–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc')、配置は三鷹電車区)であった。運用期間は1989年8月1日- 2001年11月27日までである。 205系就役以前は中央緩行線中野駅 - 三鷹駅間および総武緩行線西船橋駅 - 津田沼駅間において「銀色の電車は東西線」とアナウンスされていたが、同系就役により、その原則が崩されたうえに誤乗問題が多発したため、地下鉄直通301系・103系の帯を青色に変更した上で「青帯の電車は東西線」とアナウンスした。その後、編成に余裕が出た際に1本(クハ205-97ほか10連・当時ミツ23編成)は本来の投入線区である埼京線へ転出し、ハエ9編成となったが、もう1本(クハ205-95ほか10両・当時ミツ6編成)はしばらくの間残された。 1993年4月ダイヤ改正時に京浜東北線・根岸線と南武線から合計3本30両が転入した(この時点で最大4本が運用される)。
その後、1996年12月ダイヤ改正時の埼京線輸送力増強用として1989年に新製投入された編成(クハ205-95ほか10両)が本来の配置線区である埼京線へ転出し、ハエ7編成(3代目)となった。 最後まで10両編成3本が103系や201系とともに使用されていたが、同線のE231系投入に伴い、2001年までに撤退した。車体幅が広く定員が多い209系500番台およびE231系による車種統一のため、2001年より201系とともに数回に分けて転出した。
埼京・川越線 Saikyo Line & Kawagoe Line
埼京線・川越線では1989年7月1日から運用を開始し、川越車両センターの0番台10両編成 (Tc–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc') が使用されていた。色は■。 1989年6月から翌1990年12月までに3回に分けて10両編成23本が新製投入された。埼京線には本来は新製投入車が25本投入される予定であったが、投入予定車のうち2本は中央・総武線用に転用されたため、103系の完全置き換えには2本不足することとなった。この103系の置き換えのため1990年5月22日付けで山手線から(ヤテ41編成)、5月31日付けで中央・総武緩行線から(ミツ23編成)1本ずつ転入した。 このグループより主電動機が内扇形に変更されている。基本的な仕様は山手線用に準拠しているが、埼京線と山手線は新宿駅 - 池袋駅間で併走(運転開始当時の区間)することから、車体カラー帯にはグリーン(緑15号)を採用したほか、前面に「埼京線」の線区表示を設け、乗客の誤乗車防止を図っている。
これ以降の車両(昭和63年度3次予算発注分:南武線向け中期車と中央・総武緩行線向けも搭載)では車内の快適性向上のため、マイコン式温度調整装置が導入されている(HS70形電子式温湿度調節器)。このほか、前面ジャンパ連結器を床下格納箱に収納、MR締切コック位置の移設、側面行先表示器の字幕検知をバーコード方式に変更している。また、配電盤を211系と同じ配置に変更したほか、同系で採用した多重表示装置(簡易モニタ装置)が搭載され、これに伴い計器盤の高さが上げられている。この簡易モニタ装置はドア開扉、非常警報、ブレーキ不緩解やMG出力異常、OCR(過電流)、OVR(過電圧)などの故障が発生した際、運転台に該当号車を含めたモニタリングをする装置である。 1996年3月の恵比寿延伸開業時に京浜東北線から3本と山手線から1本(ヤテ42編成)、さらに同年12月のダイヤ改正時に中央・総武緩行線から1本が転入した。この時点で埼京線用の本系列は10両編成30本の配属となる。山手線から埼京線に転属した本系列は ATC がそのまま残されたほか、ATS-SNとATS-Pが設置された。 当初の編成は Tc–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc' だったが、2001年にハエ8編成が従来4号車に組み込まれていたサハ205-161に代わって山手線から転入したサハ204-902を2号車に組み込み、従来7号車に組み込まれていたサハ205-160を3号車に移した組成 (Tc–M–M'–M–M'–M–M'–T–T'–Tc') に変更され、翌2002年からは6編成を除き、4号車と7号車に組み込まれていたサハ205形に代わって、2号車に加え3号車にも山手線から転入のサハ204形を組み込んだ組成 (Tc–M–M'–M–M'–M–M'–T'–T'–Tc') へ順次変更された。
(前述のハエ8編成もサハ205-160に代わってサハ204-11を3号車に組み込み、この組成に再度変更)
この組成変更によって余剰となったサハ205形50両のうち46両は各線向けの転用改造を実施の上で、鶴見線、仙石線、武蔵野線へ転用され、T107,108,220,221の4両は廃車となった。 2002年12月1日より東京臨海高速鉄道りんかい線との相互直通運転が実施されている。これに伴い、前出のサハ205形転用車を除き行先表示器の幕式からLED式への交換が行われた。E233系7000番台での置き換え前では全車がLED式のものであった。また、ほとんどの編成において優先席付近のつり革が白色から黄緑色に交換されたが、2008年春までに他線区と同様にE233系タイプのオレンジ色のものに変更されている。
大転配では山手線からの転入のみで、11両編成(元ヤテ17編成)からサハ3両を抜いて別の編成のサハ204形2両を組み込んだ10両編成1本(ハエ31編成)と既存の編成のサハ205形を置き換えるためのサハ204形のみ2両の転入の仕方があった。
しかし2004年の列車増発用に計画が一部変更され、さらに山手線の11両からサハ204形を抜いた10両編成1本(トウ54→ハエ32編成)が転入した。それと前後して転入車も含めて方向幕などのLED化が行われたが、既存編成のサハ205形はサハ204形に置き換えられて転出するため、これらのみ幕式で残された。
なお、サハ204-1 - 4が長らく編成から外れていたが、2007年12月から2008年2月にかけてハエ32・26編成のサハ以外の8両とともに検査を受けて出場した。その後、1月15日ごろにハエ1編成とハエ32編成で、2月9日にハエ2編成とハエ26編成でサハの組み替えが行われ、ハエ1編成にはサハ204-1・2、ハエ2編成にはサハ204-3・4が組み込まれ、サハ205-146・147はハエ1編成からハエ32編成へ、サハ205-148・149はハエ2編成からハエ26編成へそれぞれ組み込まれた。車両替えの際にサハ205-146から149の行先表示器がLED式のものに交換されている。これにより、検査を受けずに差し替えられたサハ205形4両が保留車に指定され、同年6月に廃車となった(後述)。 2009年12月28日と2010年1月末よりそれぞれ1本ずつ、計2編成に、痴漢件数最多路線ゆえの対策・試行として防犯カメラが設置されている。設置車両は埼京線で最も痴漢が多いとされる1号車である。2010年6月以降は埼京線で運用される205系の全32編成の1号車に防犯カメラを設置している。 なお、埼京線・川越線の205系0番台は2013年6月30日からE233系7000番台の運用が開始されたことにより置き換えが進み、2014年3月以降は全車4扉車のハエ28編成1本のみが運用された。これは埼京線では2017年秋にATACSの導入を予定していることから、それに伴う車両の改造時の予備車を確保するためで、期間限定で運用されていたものであった(予備運用)。同車は2016年10月で運転を終了し、富士急行譲渡改造分と廃車解体分の2回に分けて長野総合車両センターへ配給輸送の後、前者は同年11月9日に富士急行へ譲渡され「トーマスランド号」となり、後者は11日に廃車された。これにより、埼京線の205系は全車消滅した。
京浜東北線・根岸線 Keihin-Tohoku Line & Negishi Line
京浜東北線・根岸線では1989年秋に4本が、翌1990年秋に2本が投入されている。このうち、前者4本は京葉線、武蔵野線に転用した103系の代替と後者2本は老朽車置換用である。103系とともに水色(■青24号)の帯をまとって1989年10月26日より最大6本が運用されていたが、埼京線延伸用に使用することから本系列で最も早く1996年2月1日をもって撤退している。編成は10両編成(Tc–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc')、配置は浦和電車区であった。
209系投入に伴い1993年4月ダイヤ改正時に3本が横浜線と中央・総武緩行線へ転属、その後1996年3月ダイヤ改正に合わせて3本が埼京線へ転属した。本系列を投入した路線で一番早い1996年春までに撤退した。なお、2001年以降の大転配とは直接関係がない。
最後まで残ったウラ91編成(ウラ4→ウラ81編成からの改番。Tc107ほか10連・後のハエ28編成)は特製ヘッドマークを掲出してのさよなら運転を行った。この編成は1991年度のウラ4編成時代に、山手線用車両のサハ204形連結対応改造工事による編成不足を補うため、山手電車区に貸し出されて暫定ヤテ35編成として運用されていた時期があった。
京葉線 Keiyo Line(東京ベイライン Tokyo Bay Line)
京葉線東京延伸開業に伴う快速電車用として10両編成12本が新製投入された。東京開業となる1990年3月10日から運用が開始され、京葉車両センターに0番台10両編成 (Tc–M–M'–T–M–M'–T–M–M'–Tc') が配置されていた。色は■。 同線は従来ラインカラーがスカイブルーだったが、東京全通時の本系列投入に合わせて同系列の帯色であるワインレッドに変更された。ただし、鋼製車は101系を利用した塗色変更試験の結果が思わしくなかったため塗り替えは見送られ、後年京葉線に転属した201系もスカイブルーで登場している。 従来車とは異なり、前面デザインが大幅に変更され、全体をFRP成形品で覆う構造となり、合わせてフロントガラスも曲面形状とした。これは沿線にある大型娯楽施設「東京ディズニーリゾート」へアクセスする電車にもなることから、同ランドへの「楽しいイメージ」を表現したものである。南武線向け同様にATCを搭載しないため、乗務員室背面仕切壁の窓拡大が行われている。これは以降の相模線・武蔵野線向けも同様である。 1995年には直通先である内房線・外房線内での110 km/h 運転に備えてブレーキの増圧工事が施され、対応する車両には形式番号標記の前に○印が付与された。2002年からは中央・総武緩行線および山手線からの転入車も配置されたが、これらには上記の対応工事が施されておらず、運用は分けられていた。 転入車のうち、最初の1本は中央・総武緩行線からケヨ21編成として転用された。残りは山手線からサハ204形を抜いたもので、2002年に量産初期型編成2本(ケヨ22・23編成)、2005年に量産先行車編成4本(ケヨ24 - 27編成)が転入した。
京葉線に新製投入された編成が最高速度110 km/h 対応車であったのに対し、転入車は従来の103系貫通編成(最高速度100 km/h)の置き換えが目的であり、転入当初は201系、現行ではE233系5000番台が充当されている外房線・東金線直通列車の6 + 4両の分割・併合運用に対応していないこともあって京葉線内のみの運用に就くため、110 km/h 対応改造は行われなかった。 最初の1編成は中央・総武緩行線の幅広車統一に伴う転属で、大転配とは無関係だった。最後に入った4本はサハ204形以外の量産先行車編成で、新造時の編成に戻っている。ダイヤ改正で運用本数が削減されており、この時点での所要数は3本であったため、当初の置き換え計画になかった201系900番台10両が廃車された。
2005年頃には幕が交換され、書体は「新ゴ(英表記はHelvetica)」に、側面幕の上部には「京葉線」と表記されたものとなった。中央・総武緩行線から転属した車両は先頭車の前面の方向幕が黒地に白文字で、他は白地に黒文字と異なっていたが、2005年11月頃よりこれらの山手線転属車の方向幕を白地から黒地へ統一し、同時に全編成とも側面の方向幕を上部に「京葉線」と表記されているものに交換した。これは新製導入車にも施工された。
2007年1月21日に川越線内で発生した乗用車との踏切事故の影響で、ケヨ21編成がモハ1ユニット(モハ205-277 + モハ204-277)を代替として転用するため運用から離脱。また同年3月18日のダイヤ改正で武蔵野線の列車が増発されたことから、ケヨ23編成がサハ2両を抜いた8両編成とした上で同線へM66編成として転用された。不足分として豊田電車区から201系10両貫通編成が2月と3月にそれぞれ1本ずつ転入している。なお、ケヨ21編成の残りの8両は保留車となったが、2008年にVVVF化改造を行い武蔵野線へM36編成として転用された。 2010年7月1日から京葉線にもE233系5000番台が導入されたため、本系列全車両の置き換えが実施された。京葉線所属の本系列は新製車・転入車とも2011年(平成23年)7月25日をもって同線での定期運用を終了している。なお、運用終了後は大半の車両は廃車となったが、4両編成化の上、40両が日光線・宇都宮線へと転用されている。 後年に車内ドア付近の床面が黄色い点字模様付きに交換された。また他線と同様、座席のモケットがオリジナルのものから交換されているが、こちらは地色が濃い青色系のものである。山手線からの転入車にも同様の例が存在する。2011年9月に運用を終了した。
武蔵野線 Musashino Line
武蔵野線では、京葉車両センターに配置されている0番台8両編成
(Tc–M–M'–M–M'–M–M'–Tc') が使用されていた。色は■■。 1991年12月1日ダイヤ改正時の武蔵野線輸送力増強を目的とした8両編成化増強用として投入した8両編成5本で、捻出した103系を組み換えることで同線の8両編成化を実施した。最初の1編成はダイヤ改正前から103系の組み換えを行う関係から、6両編成で落成して1991年10月8日から営業運転を開始した。2編成目は10両編成で落成し、その後8両編成2本に組み換えられた。205系では編成単位での最終増備車となった。 前頭デザインは京葉線向けと同様だが、シルバーメタリック塗装に変更した。また「直動式ドアエンジン」を採用。当初は豊田電車区(現・豊田車両センター)所属だったが、2004年3月13日付で京葉電車区(現・京葉車両センター)に転属した。京葉線用と同デザインの前面を持つが、内房線・外房線直通運用には就かないため、110km/h対応改造は行われていない。 車内内装は従来の0番台タイプだが、座席表地は茶色1色としながら、背ずり部に区分柄を織り込んだものを採用した。また、つり革は全て三角形としている。先頭車の前面に8両編成を表す「8CARS」のステッカーを貼付していた時期があった(登場時は6両だった)が、後に撤去されている。この武蔵野線向けの編成と次に述べる500番台では、運行番号表示器が字幕式からマグサイン方式に変更されている。 本系列で唯一前面排障器を装備していないほか、京葉線トンネル区間の急勾配に対応するためMT比を 6M2T と高くしている(後に同線に投入された5000番台は 4M4T であるが、0番台と同等の性能を確保している)。また、ブレーキ装置には本系列の新製車で唯一「耐雪ブレーキ」を装備している。 モハの大半は5000番台化改造を施工したが、クハとサハは0番台のままである。増発用として投入された最初の2本は中央・総武緩行線編成からモハユニット1組を抜いたもので、他は山手線編成からモハユニット1組とサハ204形を抜いたもの、抜かれたモハユニット2組と山手線のクハ2両と埼京余剰サハ2両を組み合わせたもの、一旦南武線に配属された編成に埼京余剰サハ2両を組み込んだもの、転用計画変更に伴い元々武蔵野線用だったモハユニット1組をVVVF化して組み込んだもの(下記M32編成)の計5パターンが存在するため、側扉窓の大きさが不揃いな編成も存在する。
転配時には増発および103系を置き換えるために8両編成34本が配置予定で、武蔵野線用は原形先頭車(ツーハンドルマスコン車)だけが配置される予定であった。しかし、前述した計画変更で埼京線へ原形先頭車を含む6M4T編成を充当したため、本路線用に配属予定の電動車ユニット1組と原形先頭車1組が不足した。このため、原形先頭車(ツーハンドルマスコン車)と改造先頭車(ワンハンドルマスコン車)が混在する南武線に改造先頭車を1編成多く投入し、捻出した同線の原形先頭車を捻出して配属されたのが4パターン目の編成である。 計画変更で2006年現在のM32編成が転入する際にモハが1ユニット不足したため、同年に旧M61編成がモハユニット1組を転出し、不足分2両をトウ16編成のサハ205-31とサハ205-32に差し替えた上で5000番台化改造を受けている。このため旧M61編成は編成番号も5000番台の続番のM35となった。旧M61編成は元々あったモハユニット3本が5000番台化されるのに際し、中間のモハ204-393はMG準備工事で補助電源がなかったため、MGを取り付けている。 2007年3月18日のダイヤ改正で列車が増発されたため、京葉線用のケヨ23編成がサハ2両を抜いた上でM66編成として転用された。この編成は同線に転属された元山手線用のオリジナル前面車で唯一の6M2Tの編成となっていた。その後、保留車となっていたケヨ21編成8両がVVVF化改造されM36編成となり営業運転を再開したため運用を離脱し、4M4T編成に組成を変更して横浜線に転出した。 2015年3月14日のダイヤ改正に伴う武蔵野線増発および南武線へE233系8000番台投入に伴い、同年2月2日と3月5日に中原電車区から205系6両編成3本を組成変更した8両編成2本計16両が転入、M51・M52編成として運用していた。この転入車は、ナハ5・6・9編成を組合わせた組成変更車で、ナハ5編成4両+ナハ6編成4両での組成分がM51編成、ナハ6編成2両+ナハ9編成全車での組成分が、M52編成である。6M2T編成であるが、モハ205のパンタグラフはシングルアーム式で、両編成の5号車のモハ204(-271、-356)のMGは撤去されている。 前述の通り中央・総武緩行線用E231系0番台を武蔵野線および川越線・八高線へ各線の仕様に改造・転属するため、武蔵野線用0番台は2018年3月から2020年にかけてインドネシアの鉄道会社「PT Kereta Commuter Indonesia」へ譲渡が行われた。 2020年10月19日の早朝の運用をもって、最後のM20編成が運用を離脱、これにより全編成が引退した。武蔵野線からの引退で東京23区の路線から国鉄型の通勤車両が引退した。
相模線 Sagami Line
相模線では1991年3月16日から運用を開始し、国府津車両センターの500番台4両編成 (Tc–M–M'–Tc') が使用されている。当初は豊田電車区(現・豊田車両センター)所属だったが、1996年10月に横浜支社が発足し相模線は同支社の管轄とされたため、1996年12月1日付けで国府津電車区(現・国府津車両センター)に転属した。色は■■。
2018年5月時点でドア付近のつり革増設工事は行われていない。
なお、2021年11月18日より同線区にE131系電車が総数48両(4両×12 編成)投入・営業運転を開始し、2022年2月26日をもって全編成が置き換えられ運用を終了した。その後転属などはなく、長野総合車両センターおよび郡山総合車両センターにて全車両が廃車解体された。
鶴見線 Tsurumi Line
鶴見線の103系を置き換えるため、2004年より205系の改造車1100番台
(中間車のみ0番台)3両編成(Tc–M–Mc')が運用を開始している。色は■■。
クモハユニットは山手線編成の転属で抜かれたモハユニットの改造、クハは全車埼京余剰サハ改造で、側扉窓の大きさが全編成揃っていない。当初は南武支線車両との共通予備車としてクハを1両多く用意し、工場入場などで編成数が減った時、比較的運用に余裕のある南武支線車に増結して鶴見線で運用する予定だったが、計画の見直しにより本系列3両編成9本のみで103系3両編成10本が置き換えられた。なお、103系1本は運用の見直しにより廃車された。
2024年2月27日をもって運用を終了した。
川越線・八高線 Kawagoe Line & Hachiko Line
川越線・八高線の川越 - 高麗川 - 八王子間で運用される103系3000・3500番台を置き換えるため、205系の改造車3000番台(4両編成、TcMM'Tc')が2003年より投入されている。色は■■。
山手線編成のT、MM'(MG装備車)を転用した。103系3000・3500番台を置き換えるために7本が配属される予定だったが、前項で記載した2004年秋のダイヤ改正時に本路線用の車両の一部が埼京線用に充当されたため、4両編成5本の転属となった。なお、不足する4両編成2本は東京臨海高速鉄道70-000形を改造した209系3100番台により補充した。
2018年7月15日をもって運用を終了した。
日光線・宇都宮線 Nikko Line & Utsunomiya Line
2013年から、日光線で運用される107系および東北本線(宇都宮線)小金井駅・宇都宮駅 - 黒磯駅間で運用される211系の置き換え用として、リニューアル改造を施工したTc–M–M'–Tc'の600番台4両編成12本が配置されている。うち4本は日光線用となる。4号車(黒磯方先頭車)にはトイレ・車椅子スペースが設置されている。
2022年3月12日のダイヤ改正より、日光線および宇都宮線小山 - 黒磯間にE131系600番台が導入され、「いろは」を含めた205系600番台は一斉に置き換えられた。
東北地方:仙石線 Tohoku Region: Senseki Line
仙石線へは103系の置き換えのため205系改造車の3100番台が投入され、Tc–M–M'–Tc'の4両編成を組成する。色は■■(一部編成は■■+■■+■■+■■) 山手線編成から抜かれた TMM'T を利用しているが、埼京余剰サハを種車とする編成は側扉窓の大きさが揃っていない。さらに、最初に改造されたM1編成は両端のクハの出自が異なる。
これらの投入で仙石線の103系は撤退したが、必要最低限の本数しか配置していないため、多賀城駅付近の高架化工事で一時的に車両必要数が増える間、保留車として残されていた103系1本を運用していた。しかし、この103系も老朽化が進行していることから、南武線から1200番台先頭車編成1本が3100番台化の上で仙石線に転用された。
関西地方:京阪神緩行線
Kansai Region: Keihanshin Local Line
東海道本線・山陽本線(京阪神緩行線)では明石電車区(現・網干総合車両所明石支所)に Tc–M–M'–T–M–M'–Tc' の7両編成が配置された。色は■。のち2011年3月14日より■□■。 1986年11月1日のダイヤ改正時の福知山線・山陰本線(福知山駅 - 城崎駅間)電化開業用として投入された。205系投入で捻出された103系は阪和線・関西本線を通じて転配され、関西本線で捻出された113系が福知山線・山陰本線城崎電化用に転用されている。この205系投入による103系捻出車は武蔵野線の輸送力増強用にも転用された。 この京阪神緩行線用は山手線用と大差ないが、保安装置にATCの搭載がなく(当時はATS-Sのみ搭載)、乗務員室内の機器が減少したため、乗務員室背面仕切壁を 130 mm から 80 mm へ薄くし、合わせて背面仕切窓を拡大している。JR化後の増備・旧型車置き換えは主に207系で行われたため、7両編成4本(28両)という極めて小所帯となった。民営化後に201系と同様に運転範囲を拡大し、福知山線(JR宝塚線)などにも乗り入れるようになったたが、321系の投入によって2006年2月7日までに全車が京阪神緩行線運用を離脱し、阪和線へ転用された。 2011年のダイヤ改正から直通快速が207系・321系に置き換えられることによる車両補充を見越し、阪和線に転用されていた205系0番台の全車が2010年11月から12月にかけて宮原総合運転所(現・網干総合車両所宮原支所)に転出し、207系・321系に準じた帯色(■■)に変更された。転属に際し、全4編成がサハ205形1両を増結した7両編成となった。 2011年3月12日のダイヤ改正より朝ラッシュ時限定で東海道本線(JR京都線・JR神戸線)の京都駅・高槻駅 - 大阪駅・尼崎駅間で運用を再開した。所属期間内、前述の体質改善工事が4編成に施工されたが、サハ205形については転属の処遇を考慮して簡易的な工事に留まった。
関西地方:阪和線 Kansai Region: Hanwa Line
1988年(昭和63年)3月13日ダイヤ改正時における阪和線輸送力増強用として205系1000番台4両編成 (Tc–M–M'–Tc') が製造され、ダイヤ改正より早い同年2月22日から営業運転を開始した。配置は日根野電車区で、色は■。
110 km/h運転対応のほか、随所にJR西日本独自の仕様を取り入れているが、5本のみの製造で打ち切られた。 前述の体質改善工事が施工されるまでは、各先頭車に前面排障器(スカート)が取り付けられ、クハ205・204-1003の運行番号表示器がLED化された程度で、比較的原形を保っていた。2005年からの321系投入で余剰となった東海道・山陽緩行線の205系は、阪和線に転用されることになった。すでに本系列1000番台の配置があり、車両メンテナンスや乗務員教育の観点から、全編成が網干総合車両所明石品質管理センター(現・網干総合車両所明石支所)から日根野電車区に転出した。 阪和線に7両編成の運用は存在しないため、サハ205形を組み替えて6両編成と8両編成(各2本)とし、同数の103系を置き換えた。ただし、当初は2006年1月30日および同年2月16日から運用を始めた編成ともにサハ205形を抜いた6両編成で運用され、その後同年3月30日に組み替えられた。 転属時に201系と同様のスカートの強化、スカート部の車番表記消去、方向幕の交換といった細かな改造がなされたが、201系で施行された屋根上の通風器撤去工事や1000番台にある車外スピーカーの設置は未施工であった。また、最高速度が100 km/hである103系の置き換え用であるため、110 km/h対応改造工事も行われなかった。 2010年12月1日までに225系5000番台が日根野電車区に配属された。205系0番台は2011年に東海道本線へ再転用され宮原総合運転所に転出したが、2013年3月16日のダイヤ改正で東海道本線での運用を終了し、阪和線へ再転用されて吹田総合車両所日根野支所へ順次転入した。 2013年3月18日にはC1編成がサハ205を抜いた6両に減車のうえ、約2年ぶりに阪和線の運用に復帰している。その後、他の3編成についても同様の形で阪和線に再び転属し、同線に所属する103系の6両編成との共通運用に就いている。 4編成とも当初は引き続き東海道本線時代のままの帯色(■■)で運用されていたが、2014年1月より順次、スカイブルーの帯(■)に戻され、その際前面の帯下部と乗務員室扉には、細いオレンジのラインが新たに2本追加された。同年2月17日に全4編成の変更を終えている。 オレンジのラインは、最高速度の異なる0番台と1000番台を区別するための視認用のもので、6連の0番台は103系と共通運用であるが、4連の1000番台は共通運用を組んでいない。また運転台には「この編成は205系0代」と書かれたシールが貼付されている。 なお、編成から外れたサハ205形4両は2015年9月9日付で廃車された。 2016年夏からの225系5100番台導入により順次置き換えられ、1000番台は同年12月までに全編成が運用を離脱した。2017年10月から2018年2月にかけて1000番台全編成が吹田総合車両所奈良支所に転属され、2018年3月17日ダイヤ改正から奈良線で運用を開始している。 2018年3月17日のダイヤ改正で、阪和線の全快速・普通列車が3扉車(223・225系)で統一されたため、残る0番台も阪和線での運用を終了した。0番台も4両編成に短縮して奈良線に転用された。
関西地方:奈良線 Kansai Region: Nara Line
阪和線での運用を終了した1000番台は、2017年10月から2018年2月にかけて吹田総合車両所奈良支所に転属され、2018年3月17日のダイヤ改正より4扉車運用の一部を置き換える形で奈良線および大和路線木津駅 - 奈良駅間での営業運転を開始。同年10月28日のダイヤ改正以降、平日朝の下り1本のみだが奈良駅 - 王寺駅間の乗り入れを開始した。また、阪和線時代とは異なり、103系と共通運用となっている。 0番台も長らく日根野支所に留置されていたが、元HI601編成がモハユニット2両を2018年6月20日付で廃車した上で、同年7月14日付で奈良支所へ転属。NE401編成に編成番号を変更し、2018年7月26日より奈良線で運行を開始した。帯色は103系・201系電車のようなウグイス帯(■)に変更されておらず、阪和線時代の青帯(■)のままとなっている。2018年8月16日付で元HI602編成が、同年8月31日付で元HI603編成が、それぞれ4両化の上で奈良支所へ転属し、NE402・NE403編成となっている。余剰となったモハユニット4両は2018年8月31日付で廃車された。2018年10月6日付で最後まで残っていた元HI604編成も4両化の上で奈良支所へ転属し、NE404編成となっている。余剰となったモハユニットは2018年10月9日付で廃車された。
首都圏地方:富士山麓電気鉄道 - 富士急行線
Greater Tokyo Area: Fujikyu Railway Co., Ltd. - Fujikyuko Line
この車両は6000系です。 This train is 6000 Series.
富士急行6000系電車は、富士山麓電気鉄道の通勤形電車である。東日本旅客鉄道(JR東日本)で使用していた205系電車を譲り受け、JR東日本系列の東日本トランスポーテック(後のJR東日本テクノロジー)で改造を行った。 JR東日本で使用されていた205系電車に3両編成化等の改造を施した車両である。JR東日本から地方私鉄に通勤型車両を譲渡するのは、民営化初期に101系を秩父鉄道に売却(1000系)して以来2例目となる。また、富士急行が保有する普通列車用車両では初の3両編成である。2012年2月29日に運用を開始した。なお、「6000系」の形式称号は昭和60年(1985年)に種車となった205系が登場したことに由来する。本系列は、JR時代からの形態差によって3つの番台に区分されている。なお6000番台・6500番台はJR東日本での205系の運転台新設改造と異なり、運転台は通常の先頭車と同じ構体を取り付ける改造が行われている。0番台の量産先行車を種車とする車両で、2013年までに京葉車両センターから3編成が導入された。2段窓(いわゆる「田の字窓」)が特徴である。譲渡時に下段窓を固定する改造がされており、上段の窓のみ開けられるようになっている。0番台の量産車を種車とする車両で、2012年に京葉車両センターから1編成、2018年に川越車両センターから1編成が導入された。前者はドア部の窓が小窓、後者はドア部の窓が大窓となっている。側面窓は1段下降窓。3000番台を種車とする車両で、2019年に川越車両センターから2編成が導入された。前頭部形状はJR時代に先頭車化改造されたものをそのまま引き継いでいるため、6000番台および6500番台とはデザインや運転台の機器・内装の一部などが異なる。中間電動車である旧モハ205形に運転台および前面部分を余剰の制御付随車から移植して制御電動車としたほか、パンタグラフをシングルアーム式のFPS33E形に換装し、2基に増設している。また、使用線区の気候条件に合わせてスノープラウと耐雪ブレーキの新設、床下機器の耐寒耐雪装備の追設がされている。前面の帯板部分は上部手すり部分を黄色の細帯.下部を富士山をイメージしたライトブルーの帯とし、中央に富士山をモチーフにしたマークと"CT"の文字が入ったロゴマークを配している。また窓下に"FUJIKYU COMMUTER TRAIN"の文字が入る。側面のラインカラー部分はライトブルーの帯となり、客用扉間の窓下部分に"FUJIKYU COMMUTER TRAIN"の文字が配されている。また客用扉も種車のステンレス無地からライトブルーとなり、扉の窓下と各扉両側の戸袋部分に前述のロゴマークが貼られている。内外装は1000系のリノベーション車両「富士登山電車」や下吉田駅、富士山駅のデザインを手掛けた水戸岡鋭治によるデザインとなっており、つり革や床板に木材が多用されている。寒冷地対策として客用扉の開閉ボタンの設置、温風ヒーターの追加による室内の暖房強化がされた。また、屋根上はベンチレーターが撤去された。自動放送装置も搭載され、日本語と英語による案内がされる。6502編成からは4ヶ国語対応のLCDも稼働している。この他6700番台は、大型のスーツケースが置ける荷物棚が3号車(クハ6750形)の連結面側に設置されている。2016年9月15日に6501編成が「(3代目)マッターホルン号」に改装された。6502編成は、2018年3月21日の運行開始時から「トーマスランド20周年記念号」として運行している。車内も改装され、壁面や座席モケットなど隅々までキャラクターが描かれている。6003編成は、2019年3月15日から「リサとガスパールトレイン」に改装して運行されている。6702編成は、2019年7月26日の運行開始時から「NARUTO×BORUTO 富士 木ノ葉隠れの里号」として運行している。6001編成は、2021年5月1日から6月20日までアイドルマスターシリーズのラッピングが車内外に施工された。6002編成は、2018年8月1日から9月17日までラブライブ!サンシャイン!!、2021年7月28日から9月12日までBanG Dream!のラッピングが車内外に施工される。2011年度中(2012年3月まで)に2編成、2012年度に2編成、2017年度(2018年3月)に1編成、2019年度に2編成の計7編成が導入され、1000系の一部と5000形を順次置き換えた。
海外地方:KRLジャボタベック
Overseas Region: KRL Jabodetabek
2013年度からはE233系7000番台の投入により余剰となった川越車両センター所属の180両が6扉車も含めて、インドネシアのPT Kereta Commuter Indonesia(以降PT KCI)へ譲渡されることが発表された。この譲渡に伴い、先にインドネシアに譲渡された元東京都交通局6000形や元JR東日本103系、元東急8500系などが置き換えらえている。そして、実際に譲渡されたのは埼京線で使用されていた6扉車となるサハ204を組み込んだハエ1・4・7・11 - 15・18・20・22 - 25・31ならびに6扉車を含まないハエ26・30・32編成(計180両)となっている。埼京線での営業運転終了後は、高崎車両センターまで自力回送され、その後高崎駅から新津車両製作所(当時)まで機関車牽引によって配給輸送された。新津車両製作所収容後は、トレーラーによる陸送によって新潟東港まで運ばれ、海上輸送によりインドネシアまで輸送された。海上輸送は7回に分けて輸送され、2014年3月までに全車両が運び込まれた。また、E233系6000番台の投入で余剰となった鎌倉車両センター所属編成についても、6扉車を含めた約170両が同国へ譲渡された。ただし、横浜線所属であった車両は鎌倉車両センターから総合車両製作所新津事業所まで機関車牽引である。2015年度からは、埼京線と横浜線に続きE233系8000番台の投入で余剰となった南武線の中原電車区所属編成についても、約120両が同国へ譲渡された。こちらも国府津車両センターから総合車両製作所新津事業所まで機関車牽引で行われた。ただし、1200番台を含む編成については運転操作方法が異なることから譲渡されなかった。2017年2月、編成番号がKCIに変更された。KCIの編成番号制度はJRの制度とほぼ同様であり、車両基地の短縮記号とそれに先頭車の番号が続く。たとえば、BUD89編成は、先頭車(クハ)の番号は205-89号車と204-89号車(JR制度から保有されている車番号)で、ブキットデゥリ電車区が所有する編成である。ボゴール電車区の組織を示す短縮記号は「BOO」である。2017年4月現在、KCIに譲渡された205系476両は管内の主力車両として運用しており、主にジャカルタ・コタ駅とボゴール、もしくはブカシを結ぶ系統で運用されている。2018年3月からは、武蔵野線への209系・E231系の転属で置き換えられた205系がKCIへ譲渡されている。同線で運用されてきた全336両が譲渡される予定となっている。武蔵野線用の編成についても、当初は、京葉車両センターから総合車両製作所新津事業所まで機関車牽引で行われたが、2019年12月以降、京葉車両センターから蘇我駅・京葉臨海鉄道千葉貨物駅経由で輸送されるルートに変更されている。2020年11月までに全編成が譲渡された。
おまけ:207系900番台 -
常磐緩行線 Joban Local Line
国鉄207系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が1986年(昭和61年)に製造した直流通勤形電車。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に伴い、全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。 国鉄では1984年(昭和59年)から北陸新幹線での本格採用を目標としたVVVFインバータ制御の研究を進め、101系を改造して試験を行いデータを取得した。次の段階として、量産に向けその結果を反映した車両を新規に製造することとなり、投入路線としては常磐緩行線が選定された。 常磐緩行線は帝都高速度交通営団(営団、現・東京地下鉄)千代田線との相互直通運転を行っており、協定を満たす高い加減速性能と、車両使用料の関係から営団車両と同等の省エネルギー性能が要求される路線であり、また同線にはすでに103系1000番台に代わって電機子チョッパ制御を採用した203系が投入されていたことから、性能の比較検討もできるので投入するに適当であるとされ、1986年11月1日国鉄ダイヤ改正での同線の所要車両数の増加に合わせて製造・投入された。製造後は同線および千代田線の営業運転にて運用し、経過を見ることにした。 この経緯から、試作車900番台の10両編成1本が投入された。 当時製造中の205系に準じたステンレス製軽量車体としている。地下鉄対策で前面中央部に非常用貫通扉を設け、各部の装備品がA-A基準に対応したものとなっており、側面も電動車の電動機冷却風取り入れ用の通風口がないなど、205系と異なる点がある。203系などと同様、登場当時は先頭車の前面右上と各車の側面幕板部(片面につき2箇所)にJNRマークを掲出していたが、分割民営化時に前面はJRマークに差し替えられ、側面は消去されて両先頭車のみ別の位置にJRマークが掲出されている。また、前面の運行番号表示器は当初は巻き取り式であったが、2004年ごろにLED式に改造されている。 外部色は203系と同様の青緑1号が使用されている。室内はクリーム色系の内装板、床敷物は薄茶色と205系のほぼそのままの内装カラーを踏襲している。座席はロングシートで、205系に準じた構造である。座席モケットも新造時は205系と同様に7人掛けの中央1人分が薄茶色で、他は茶色であったが、203系と同様に後年1人ごとの着座位置を示す印が入った青色ベースのものに取り替えている。あげぶたは、誘導電動機の採用により、保守の省力化がなされたことにより廃止。乗務員室背面仕切壁は、203系ではATC装置などの機器スペースとしていたが、本系列では205系同様にこれらを床下艤装としたため、仕切壁には窓が設けられた。客室側窓は大型の一枚下降式とし、視野も広くすっきりとした構造とし、側戸袋と妻窓は省略されている。背面窓は205系に比べ高さが50mm、開戸窓も高さが280mmそれぞれ拡大された。台車は、205系が採用しているものと同等の軽量ボルスタレス台車DT50E(電動車)とTR235F(制御車・付随車)が採用されている。ただし電動車については主電動機が小型軽量化された高速回転型の誘導電動機になった為、主電動機取り付け部の変更と、駆動装置の歯車のモジュールを6とし、歯数比を14:99=1:7.07としている。 後述するが、性能比較のため、別々のメーカーのインバータ装置(SC20形)を搭載したが、本系列のインバータユニットは東芝、ゲート制御部については日立製作所が設計を担当するOEM方式を採用している。このため、磁励音は製造メーカーが違うものであってもほぼ同一であり、また日立製作所製のものをベースとしていることから、先に登場した東急9000系に類似している。インバータ装置の使用素子はGTOサイリスタ(4,500V-2,000A)で素子の冷却はフロン沸騰式の自然通風方式である。 フィルタ装置はリアクトルとコンデンサから構成され、リアクトルはH種絶縁で自然通風とし、外部への磁界の影響を少なくする為、クローズコア型の鉄心入りで構成されている。 システム制御装置は16ビットマイコンを2個使用した演算回路方式をとっており、PWM変調方式を採用している。また7パルスモードの同期制御とともに非同期制御を取り入れ、超低速度時のインバータの連続制御を可能としている。 補助電源装置は201系以降実績のある190kVAブラシレス電動発動機を採用した。 各電動車はモハ207形(M1車)とモハ206形(M2車)で2両ペアとなっているが、各車毎に制御装置、インバータ装置、断流器、ブレーキ制御装置を搭載している(1C4M制御)。ただし、パンタグラフとフィルタ装置、電動空気圧縮機、除湿装置はM1車に集約搭載している。また2M車には電動発電機が搭載されている。 富士電機製の制御装置は、在来線での以後の採用例は209系900番台(製造当初はパワートランジスタを採用。2001年のD-ATC導入に伴い三菱電機製GTOに交換)や山陽電気鉄道5030系(富士電機製IGBT)など、一部に限られている。MT63形主電動機の基本性能は定格出力150kW(端子電圧1,100V、電流100A、定格回転数2,200rpm、すべり率2.5%)で統一されている。1時間定格速度は48.5km/hである。駆動装置は国鉄の車両としては唯一、TD平行カルダン駆動方式が採用されている。 VVVFインバータ制御は203系の電機子チョッパ制御よりも高い加減速性能を発揮することが可能だが、常磐緩行線で電動車比率を下げても問題ないとの結論は出せず、電動車 (M) と付随車 (T) の比率(MT比)は203系と同一の6M4Tとされた。 ブレーキ装置は205系と同等の回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキだが、本番台区分ではVVVF車の特性を生かし、遅れ込め制御を採用している。 編成表は松戸車両センター所属 - マト71編成です。1986年11月上旬に川崎重工業において6両編成で落成し、山陽本線、東海道本線で試運転を行った。数日後、関東へ回送して東急車輛製造に入場し、中間車4両を組み込んで約1か月半もの期間、各路線で試運転を継続した。各種試験終了後の同年12月29日から営業運転に入った。 1本のみが試験的に製造され、営業運転をしながらの試験が続けられたが、悪天候時は空転が多いなどの欠点がある上に、製造コストが203系より高く、常磐緩行線における必要編成数も既に充足していたことから、製造は1編成のみに留まった。 1980年代後半の時点ではVVVFインバータ制御の車両は製造費が非常に高価であり、当時山手線で運用されていた205系10両編成 (6M4T) 並みのコストにするには4M6Tまで電動車比率を下げなければならなかったが、比率を下げると営団との乗り入れ協定において要求される加速性能を満たせなくなる。このコストと性能の問題点は、国鉄→JR東日本だけでなく乗り入れ先の営団にも影響を与えた。営団はインバータ制御を用いた車両の導入を検討していたが、電機子チョッパ制御や独自に開発した改良型の高周波分巻チョッパ制御を用いて6000系などを追加新製している。 本系列以降、常磐緩行線と千代田線の直通運用にVVVFインバータ車が新規導入されたのは、営団は1993年(平成5年)の06系、JR東日本では1999年(平成11年)の209系1000番台となる。 その後、常磐緩行線には2008年(平成20年)に千代田線直通用のE233系2000番台が新製されることが発表され、翌2009年(平成21年)5月に第1編成が落成した。 これにより、203系とともに本系列は置き換えられる事となり、同年9月上旬までに定期営業運転から離脱する予定と報道された。その後、同年12月5日にさよなら運転を実施することが報道された。当日は「ありがとう 207系 松戸車両センター 2009.12.5」と表記された三角形のヘッドマークが両先頭車貫通扉部分に装着され、団体専用列車として常磐緩行線松戸 - 取手間を1往復し、その後松戸車両センター内において当該列車の乗客を対象とした車両撮影会が実施された。 2010年1月5日に長野総合車両センターへ配給輸送され[、翌6日付で廃車された。
なぜは西日本の207系を関係だよね?!
西日本旅客鉄道(JR西日本)が1991年(平成3年)から2003年(平成15年)にかけて導入した同名の207系は、4ドアのVVVFインバータ制御車であることを除き設計が大きく異なるものの、『鉄道ファン』や『鉄道ゼミナール』等の鉄道趣味媒体では同系列として扱われている。これは、国鉄時代の形式を継承しつつも民営化後にJR西日本が別設計で導入した183系や211系、415系と同様のケースであった。 このため、『鉄道ファン』で毎年特集が組まれる「JR車両ファイル」では2023年4月1日現在の残存率が4730%となっている。 なお、JR西日本の207系には900番台が存在しないため、車両番号の重複は発生していない。