丹下は台地の意味。字清水寺の高台を指し、低地にも広がった。丹家とも書き、「下」は当て字で何かの下を指す意味はないと思われる。もともとは北岡と呼ばれる場所(「上野三ノ山ノ二字」とされ、上ノ山と三王山のことだが、当時の字地は現行の字地とは多少範囲が異なる。清水寺や鉾ノ木を含めた北の高地一帯を指すと推測されている)にあり、天正年中に現在の地へと移った。弘治2年に「字清水寺」にあった清水寺も移り、清水寺は後に「光明寺」と名を改めた。
旧字は「片町」等。「片町」は「字丹下」の一部の旧字で、北部の東側には家が無く、西側のみに家があったことから命名された。
【余談】
①現在の光明寺の門前は、移転前の時代には海辺であったそう。
②『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』では「丹下」について「台地の下」を意味すると書かれているが、同著者の『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』と『緑区の史蹟』では、「下」は当て字で何かの下を指す意味はないことが書かれていたので、出版の新しい方に合わせた。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会