日本武尊が東征の際鉾を松の樹上にかけて休憩されたところ。その老松を矛の樹と呼んだことからこの地名がある。かつてこの地にあった神明社は鉾ノ木の生えていた場所に建立したと思われる。『張州府志』に「戒衣を解き此処に憩う」という記載があり、戒とは戦の服のこと。戒衣を脱ぎ矛を置いた事は遠征が終わった事を示す。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
名古屋市ホームページ 2025年1月2日閲覧
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