江戸時代の「字旭出」が明治初年に旭出川の上流から「上旭出」「中旭出」「下旭出」に三分割され、その一部から1986年に「上旭」「旭出」が成立した(町名は字名にちなむ)。「朝日」と「旭」が江戸時代から混用されているが、意味に差は無い。
地名の由来については「信長が日の出を迎えたという伝説に由来 」や「方位名による地名で、朝日の出る方角に名付けたもの」等、複数の説がある。鳴海の中でも一際古い地名で、「鹿山」にある新海池周辺の地が上古の鳴海の中心的な集落地であり、そこに支配者の豪族がいて、この地方を統治し、彼らの呼んだ地名が2000年近くも伝わったものであろうと推測されている。「矢切」から「赤塚」周辺は考古学上の出土品も多く、地形からも古代人の集落の好適地であることから、その辺一体の住人が旭出と命名したものと見られている。
現在は住宅街となっており、大通り沿いには飲食店やスーパーなどが立ち並んでいるが、江戸時代にはその多くが山のままだった。
【余談】
①「上旭出」「中旭出」の字名は公園名やバス停名に残っている。ソースがはっきりしないが、現在の「大形山公園」はもともと「下旭出公園」という名称だったそう。
②「中旭出」のかつての通称は朝日山だった。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
JLogos 『角川日本地名大辞典』中部地方>愛知県 2024年12月8日閲覧
JLogos 『角川地名大辞典(旧地名)』愛知県>名古屋市 2024年12月8日閲覧
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会
Japanknowledge 『日本歴史地名大系』県別閲覧>愛知県 2024年12月8日閲覧 平凡社
名古屋市ホームページ「地区防災カルテ」2025年1月3日由来