もともとは「ししやま」と呼んでいたそう。もともとは作の山のあたりも字鹿山であり、小鹿山、北鹿山、南鹿山、向鹿山と、多くの分割地名が存在した。耕地が乏しく山ばかりであったそう。
「しし」は獣で、猪や鹿(かのしし)を指す。雷貝塚から出土していた鹿の骨はこの地に群生していた鹿のものと思われる。また、猪の骨も大量に出土しているため、「しし」は猪と鹿の両方を指していたと思われる。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
JLogos 『角川日本地名大辞典』中部地方>愛知県 2024年1月1日閲覧
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会