ヒトの社会には時代や文化を問わず、子育てに献身的な父親が存在するという特徴があります。こうした父親が、なぜ、いつ、どのようにヒト社会で進化したのかという問いは、人類学における重要課題のひとつです。本論文では、ゴリラのシルバーバックを中心に、これまで報告されてきた霊長類のオスによる子育て行動を概観したうえで、従来の「子育て行動(paternal care)」の定義の曖昧さや問題点を指摘しました。また、私がムカラバ国立公園で行った野生ニシゴリラのシルバーバックを対象とした調査結果から、ヒトにつながる進化の過程で、父親の子育ての原初的形態として「ただ子供の近くにいて見守ること」があった可能性を考察しました。一方で、父親役割として「子供との積極的な親和的交渉」をヒト以外の霊長類に求める姿勢は、現代西欧社会的な文化的要請にとらわれている可能性を指摘しました。
昭和堂が出している初学者向けの教科書3STEPシリーズの『自然人類学』で「第5章 採食技術」を執筆しました。現代のヒトの食物環境は様々な採食技術のうえに成り立っています。身近過ぎて日ごろ意識することのない採食技術が、実は人類進化に大きく影響したことを理解してもらうのが本章の目的です。本章では、まず野生霊長類の採食技術を「道具使用」「基盤使用」「道具・基盤を伴わない技術」に分けて、その代表例を紹介しています。また、人類に特徴的な採食技術として「石器の作製と使用」「火の意図的な使用」を取り上げています。そして、ヒトとヒト以外の霊長類の採食技術の共通点と相違点を指摘し、人類進化の過程で採食技術がどのような影響をもたらしたのか、特に知性の進化について解説しています。
129人の人類学フィールドワーカーが織りなすエッセイ集に寄稿しました。私が野生ニシゴリラの調査を行っているムカラバで、研究対象群のニダイ群に出会ったときのエピソードを綴っています。大学院生時代の調査中にフィールドで感じていた混乱と感動を思い出しながら、楽しく執筆しました。私の他にも、研究室の先輩後輩、調査地で世話になった人々の面白いエッセイが目白押しです。ひとつのエッセイは見開き1ページで、数分で読めてしまうので、気軽に手に取ってみてください。特に、ヒトや野生動物を対象としたフィールドワークを志している学生さんにはオススメです!
野生ニシゴリラの単雄群では、成熟オス(シルバーバック)と子供が血縁に基づく親密な父子関係を形成します。しかし、ムカラバ国立公園のニダイ群には、シルバーバックの血縁子供2頭に加え、隣接群から来た非血縁子供8頭が在籍していました。そこで、2018~2019年にかけて、非血縁子供たちの群れ内の社会関係を調べ、血縁子供と比較しました。その結果、シルバーバックと非血縁子供の親密度は血縁子供より顕著に低いことが分かりました。一方で、非血縁子供において母親からの独立の遅延は見られませんでした。母親以外で最も親密な個体を調べたところ、血縁子供ではシルバーバックでしたが、多くの非血縁子供では姉のオトナメスでした。これらの結果から、非血縁子供が父親ではないシルバーバックと同居するうえでは、姉の存在が重要であった可能性が示唆されました。また、シルバーバックが非血縁子供の同居に対して寛容であるのは、彼らの母親との将来の繁殖に繋げるための繁殖戦術である可能性が考えられます。
野生ゴリラの追跡中、群れを率いるシルバーバックが観察者に対してチャージ(突進威嚇)をしてくることがあります。この現象はゴリラ調査ではほとんど避けられないものです。そこで、この状況を利用して「シルバーバックがチャージした時に、観察者から一番近くにいた群れ個体をシルバーバックが保護しようとした個体」と操作的に定義することで、シルバーバックが誰を保護するのかを定性的に調べました。その結果、シルバーバックは血縁の子供や繁殖相手のメスだけでなく、非血縁の未成体や若いオスさえも保護することが分かりました。これらのシルバーバックの保護行動には、育児努力や繁殖努力の他に、群れサイズを維持する機能があることが示唆されました。
ガボン共和国ムカラバ・ドゥドゥ国立公園の研究対象群には、「ドド」という右腕を失ったオスが在籍していました。ドドは3歳時に右腕を失いましたが、14歳まで成長しました。しかし、2019年12月、身体の前面に大怪我を負っていることが確認され、その数日後に死体で発見されました。直接証拠がないため大怪我の原因は不明ですが、他のオスゴリラによる攻撃かヒョウによる捕食未遂の可能性が考えられます。また、原因に関わらず、片腕という身体的不利が大怪我に影響していることが考えられます。野生大型類人猿の中には、人が仕掛けたくくり罠によって四肢が変形している個体がいます。今回の観察は、こうした四肢の変形が成熟後の個体の生存にも負の影響を与える可能性を示唆しています。
ヒトの約90%は右利きと言われています。集団レベルの右利きは通文化的なヒトの特徴のひとつです。右利きの発現は言語脳と関連していると考えられており、それゆえに右利きは言語を持つヒト特有の現象とされてきました。私は、ムカラバ国立公園の野生ニシローランドゴリラ21頭を対象に、アフリカショウガという草本植物の採食時に細かい操作を行う手を計4293例記録しました。その結果、21個体中15個体が顕著に右手を好んで使い、統計的にも有意に右手を好む個体が多いことが分かりました。この結果から、ヒトの右利きの進化的起源は言語獲得より前に遡る可能性が示唆されました。
宮城県金華山島に生息する野生ニホンザルは、秋になるとオニグルミ(以下、クルミ)の種子を採食します。ニホンザルは種子に含まれる子葉を食べるために、子葉を覆う堅い外殻を歯で噛み割ります。この行動を詳細に観察したところ、クルミの割り方には4つの型があり、個体によって使う型が異なることが分かりました。さらに、身体的に成熟しても上手く割れない個体がいることから、クルミを割るには技術の獲得が必要であることが示唆されました。クルミ割りのように、直接目に見えない食物を事前に処理して食べる行動は「取り出し採食 (Extractive foraging)」と呼ばれます。取り出し採食は個体に採食方法の工夫を促すことから、霊長類の知性の進化との関連が指摘されています。
ニホンザルの群れは、メスが生まれた群れに残る「母系社会」です。しかし、宮城県金華山島に生息する野生ニホンザルB1群で、19歳のメスが約1ヶ月半群れ内で確認されず、その後、群れに戻ってきたであろう瞬間が観察されました。再合流直後、複数個体との短時間のグルーミングや成熟した娘との緊張緩和行動、オスによる性器検分、順位が逆転した敵対交渉など、通常とは異なる群れ内の社会交渉が短時間に高頻繁で起きました。こうした現象は“collective arousal”として他の霊長類でも報告されており、社会関係の再構築に役立つと言われています。また、高齢メスの群れからの離脱は、この報告前後でも様々な調査地で複数観察されており、「母系」のニホンザル社会と言えど、比較的一般的な現象なのかもしれません。
2015年8月、修士課程1年だった私は、屋久島を訪れ、初めての野生ヤクシマザルの予備調査を行っていました。サルが森林内の小川で休息している時、ふと川の中を覗くと、小判形に切られた葉が2枚重なって落ちているのを見つけました。前年まで信州大学理学部の水棲昆虫の研究室(東城研究室)に所属していた私は、すぐにそれがコバントビケラだと分かりました。大学時代の先輩に確認すると、屋久島では分布の記録がないとのことでした。そして、学部時代の指導教員と先輩ともに、記載論文を執筆するに至りました。霊長類の研究を開始して最初に書いたのは、サルとは似ても似つかぬ、コバントビケラの論文です。