昭38豪雪~旧北陸街道
串の由来
水辺の突き出た小高い場所を「くし」と言う起源から来ているとも言われているらしい。
串村伝説
まだ串村の時代にあったとされる昔の話です。
隣村との境界の争いが絶えず、村境を決めるため両村の話し合いの上、夜明けに出発して出合った場所を境とすると決まった。
串村は夜中に家を出て山の中で夜明けを待ち、隣村へと走って行ったが隣村の人と出合う前に隣村まで着いてしまった。
隣村の人は「寝過ごしてしまった」と家を出ると串村の人が既に家の前にいた。
こんな処まで来るなど話が違うではないか!と言っても串村の人は譲らず隣村の人はせめて石を投げて落ちた先を境と欲しいと頼み合意したらしい。
串村と隣村との境として松が生えていたらしいですが今は跡形もありません。
虫送り
本来は農作物の害虫駆除が目的で豊作を祈願する目的であったのだが近年は消毒散布もあり「虫送り」の必要性は無いのが現実であろう。
昔からの行事を残して伝えて行く事も今の時代だからこそ大切な事でもある。
一度廃れた事を復活させるのは見た目以上に大変で苦労があった事だと思い虫送りを復活させた方々には脱帽である。
夏の夜の風物詩「虫送り」が平成に入り復活し、子供達がたいまつを持ち田んぼの横を歩く姿は情緒のあるものであると感じる。
串民族資料館
平成2年11月4日開館。
我が町の歴史を後世にと、大正、昭和初期の生活用具など600点を展示。
【入館無料】
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参考資料:串町史