San Diego 留学直前のおはなし(2)
「文部省(当時)国際交流派遣学生」という制度には学内定員があり,国費で交換留学するにはその枠に入らないといけない.私がD1の秋に留学する予定だったので,選別のための英語の試験をM2の秋に受けた.受験の際に,志望する大学と指導教官を提出するのだが,その際にMacLeod教授の承諾をもらった.半年前に,ろくすっぽ研究の話もできなかった私のことをなんとか覚えていてくださり,留学の受け入れも快諾してくれた.
学内の試験は問題なかったのだが,留学(派遣)先として University of California(以降, U.C.と略)を志望していると,U.C.の基準を越えていないと受け入れない,という関門があることを知らされた.U.C.の日本オフィスが三鷹の国際基督教大学(ICU)キャンパス内にあり,ここへ面接を受けに行った.日本離れした素晴らしいキャンパスだった.この ICU での U.C. 代表の先生との面談は問題なかったが,TOEFLで必ず550点以上を取るよう言われた.また,GRE (Graduate Record of Education) というアメリカの大学卒業検定試験のようなテストを受験するように言われた.こちらは参考程度でいいので点数を提出するように,とのことだった.
TOEFLはアメリカの学年度(school year: 9月~6月)の期間に5回行われ,試験を受けるのにも申し込んですぐには受験できない.従って,留学まで1年あるとしても,残り2回ほどしか受験機会がなかった.最初に受験した時は,試験そのものに対する慣れが足りなかったせいか(そもそも,非常に緊張しやすいタチなので),530点台と少し届かなかった.2回目に受けた試験が何とか560点台にのり,TOEFLの条件はクリアした.GRE も TOEFL と同様に個人の進路に関わる重要な試験なので,ID チェックなどは厳重であった.四谷にある日本外語学院で試験を受けた.こちらはボロボロだった.事前に多少の準備はしたものの,とくに verbal exam (語彙テスト)では「下線と同じ意味の単語を選びなさい」という問題の5つの選択肢のうち1つしか知っている単語がない,というような状況だった.まぁ,こちらは参考程度ということだったので,これで勘弁してもらった.今なら,もう少し解けるかな.
D1の9月に留学することになり,5月頃から実際の準備に掛かった.まず,留学ビザ (F-1) の取得のため,書類を集め,アメリカ大使館に行った.パスポートを預けてビザを発行してもらうのだが,書類とパスポートを大使館のゲートに設置された郵便受けに投入し,返送されるのをまつだけ,という心細くなるようなシステムだった.すでに観光目的などの短期の渡航にはビザが必要なくなっていたので,受け入れも簡素化されていた.ビザは1週間程度で発行された.ある日パスポートだけが封入された封筒が自宅に送られてきて,ビザはどこだ?と紙を探したら,パスポートの1ページに大きなスタンプがドンと押してあり,それがビザだった.
文部省からの奨学金は135,000円くらいで,これは留学先で開設した銀行口座に送金されるルールだった.私はこの奨学金とは別に某リクルート財団の奨学金も頂いていたため,必要な費用をこの奨学金の口座から出して日本から送ってもらう目的で Citibank(2020年現在,SMBCプレスティアが引き継いでいる)に口座を開いた.当時は秋葉原に支店が存在し,ここで口座を開設したが,いまはもうない(註:大手町支店?本店?に統合).当時は,送金のために留守宅用のカードを発行してもらい,家族に適宜入金を依頼することができた.
お金の問題の次は住むところである.U.C., San Diego からは住居について簡単な案内しか送られてこなかったが,家賃は日本とあまり変わらず,一般に海岸沿いは家賃が高く内陸は家賃が低い,ということだけはわかった.U.C., San Diego の内陸には映画「トップガン」で有名な海軍のミラマー航空基地(NAS; Naval Air Station)があった.海岸近くはお金持ちが引退後に住む保養場所として有名で,ケネディ大統領の未亡人が晩年をすごしていた.本来の砂漠的な気候を海からの潮風が緩和しているというのが実情だろう.大学より内陸はカラカラの砂漠だった.
実際に行ってみて初めて知ったことだが,大学キャンパスの緑は海の湿気(夜露)とスプリンクラーによる人工的な散水で保たれていた.夜露が降りる季節にキャンパス内に置かれた銀行のATMへ行くと,小切手入金用に置いてある封筒の端の糊がぜんぶ夜露の湿気でくっついていて使えなくなっていた.ちなみに,当時の日本の ATM は現金を入金すると自動で計数され記帳されるシステムだったが,北米の ATM は封筒に現金を入れて後日(手動で)記録がつく形で入金された.おそらく,小切手を使う習慣があったからだろう.出金の方はどちらも現金が出てきたが,北米では 20 ドル札がメインだったような.
また,San Diego も冬に雨が降る時期があったのだが,1日中雨が降っているような時期にも,大学キャンパスの植え込みでは各所に設置されたスプリンクラーから水が散水される間抜けな光景が広がっていた.
話を留学前の宿舎探しに戻そう.1年とはいえ,何とかして条件のいい所に住みたい,と思うのは人情である.ただ,日本からではどうやっても詳細な家探しは無理である.MacLeod 教授宅に新学期(年度)開始の少し前から泊めてもらい,家探しをすることにした.その一方で,大学の国際学生寮(International house)にも応募し,こちらの1人部屋が当ったら,そこでもいいか,という気分でいた.ただ,International house は学期が始まるまで部屋の割り当てを教えない,というので少々不安だった.これはもう,行ってみるしかない,という気分だった.
文部省の奨学金を受け取るには銀行口座の開設をしなければならないが,どういう会話になるのだろう?また,病気になったらどういう会話をしなければいけないのだろう?想定問答集のようなものは無いか…,と気になり,神保町の本屋へ出かけてこの手の会話文例集を買った.散々予行演習をしてから銀行へ行けば,大丈夫だろう.あとは,歯の治療を日本でしておくことが大事だと知人に進められ,歯医者へ通ってめぼしい所は直した.
親しい友人が何組か歓送会を開いてくれた.とはいえ,こじんまりと飲むだけの会だったが.うち何人かは出発の時に成田空港まで見送りに来てくれた.面白いものだが,出発も帰国も,航空券は文部省が調達して送ってくれた.出発の時は出発だけの片道切符,帰国の時は帰国だけの片道切符が送られてきた.
これでいよいよ留学準備が整った.