信鈴会の足跡
1963年(昭和38年)
○ 信大病院 今野弘恵看護師長(現相談役)は、患者たちの第二の声を取り戻すため、鈴木篤郎教授の同意を得て、病院独自の発声教室を開設しました。教材は、銀鈴会発行のビデオテープを使用しました。
1964年(昭和39年)
○ 長野赤十字病院 岡部はま子看護師長は、浅輪勲医師(信大から赴任)の協力を得て、看護師1名・患者2名を伴って銀鈴会の練習状況を見学しました。
○ この年、同病院内に「銀鈴会 長野支部」が開設されました。
1966年(昭和41年)
○ 今野相談役の働きかけで、長野・松本の両教室が連携し、島成光氏(松本市)・碓田氏(更埴市)が発起人となって、鈴木教授や石村初代会長のアドバイスをいただきながら、「信鈴会」発足に向けて尽力しました。
1969年(昭和44年)
〇 1月、信大病院で、信鈴会設立総会が開催されました。会の名称は信州の「信」、鈴木教授の「鈴」、そして「鈴」のような声を取り戻そうという思いから「信鈴会」と命名されました。多くの先人たちが東奔西走し「信鈴会」が誕生したのです。
(会員:49名・会長:石村吉甫氏・顧問:信大医学部鈴木篤郎教授)
○ 信鈴会発足に伴い、銀鈴会長野支部が信鈴会長野教室となりました。
○ 同じく、信大病院発声教室が信鈴会松本教室となりました。
〇 9月、県福祉課へ助成金を請願。毎年の委託金給付が認められました。
〇 12月、島成光副会長が台湾医科大学に招かれ、人口笛の使い方を指導しました。
○ 会誌「信鈴」の題字は、島成光副会長の揮毫によるものです。
○ 鈴木教授は、会誌「信鈴」創刊号巻頭で『皆様の会は、決して同病相憐れむためのものであってはなりません』と述べています。(別記4「信鈴創刊号巻頭の言葉」参照)
1970年(昭和45年)
〇 3月、日本喉摘者団体連合会が設立されました。長野県信鈴会も同会に加盟しました。(加盟:23団体)
1978年(昭和53年)
〇 10月(信鈴会発足後10年)、第3番目の教室として伊那教室が伊那中央病院内に開設されました。同病院の矢田剛医師・東原定子総婦長にご尽力いただきました。
1981年(昭和56年)
〇 4月、佐久教室が佐久捻合病院内に開設されました。山浦一男医師が、佐久総合病院として独自に教室(やまびこ会)を開設しようとしていた矢先のことでしたが、快く信鈴会に参加いただきました。
○ 松本市および県折箱工業組合松本支部から寄付をいただきました。
1982年(昭和57年)
○ 松本医師会(耳鼻咽喉科開業医)の好意により、ビデオカメラ・テレビー式を購入しました。
1989年(平成元年)
〇 8月、諏訪教室が諏訪赤十字病院内に開設されました。高木範男医師・雨宮多喜子看護部長にご尽力いただきました。
1990年(平成2年)
○ 会員201名。この年、会員数がピークとなりました。
1991年(平成3年)
○ この年と翌年(平成4年)の2年間、会誌「信鈴」の発行ができませんでした。練習場所の確保に苦労する教室もあり、信鈴会にとって暫くピンチの時代が続きました。
1998年(平成10年)
〇 10月、信鈴会創立30周年記念イベントとして、日喉連東ブロック発声指導者養成研修会が松本市(浅間温泉・みやま荘)で開催され、信鈴会が当番幹事をつとめました。県および松本市から多大なご支援をいただきました。
2005年(平成17年)
〇 11月(信鈴会発足37年後)、飯田教室が飯田市立病院内に開設されました。塚本耕二医師・松島玲子看護部長にご尽力いただきました。
○ 従来の教室は、今野相談役や信鈴会の役員たちの働きかけによって開設されましたが、飯田教室は患者サイドからの要望で開設された教室です。
2006年(平成18年)
〇 11月、日喉連の新美専務理事(現会長)を招き、長野・松本・飯田の三地区で、「遠隔地特別研修会」を実施しました。
2010年(平成22年)
〇 9月、日喉連東ブロック発声指導者養成研修会が長野市(メルパルク)で開催され、信鈴会が当番幹事をつとめました。東日本ブロックの指導員総勢70名が集合しました。研修会開催に伴い、県から多大なご支援をいただきました。また、この研修会で、信州大学の宇佐美真一教授から「耳鼻咽喉科医療の進歩と社会福祉」と題してご講演をいただきました。
2011年(平成23年)
〇 3月11日、東日本大震災が発生しました。4月、各教室からカンパを募り、日喉連経由で被災地に義捐金を送りました。
2015年(平成27年)
〇 6月、今野弘恵相談役が「社会福祉功労者」として長野県知事表彰を受賞されました。
〇 11月、信鈴会が公益社団法人・社会支援財団から「社会貢献団体」として表彰されました。
2016年(平成28年)
〇 4月、九州熊本地震が発生しました。同月、日喉連経由で被災地に義援金を送りました。
2017年(平成29年)
〇 3月、参加会員の減少により伊那教室が休講となりました。
2018年(平成30年)
〇 11月、銀鈴会主催の「代替音声巡回研修」(2泊3日)が松本市浅間温泉の地本屋ホテルで開催されました。銀鈴会から松山会長はじめ3名の講師が来長され、信鈴会員23名が受講しました。
〇 11月、伊那教室が再開しました。
2019年(平成31年・令和元年)
〇 6月、信鈴会創立50周年の記念式典を松本市で開催しました。会員をはじめ病院関係者など50名が出席し、50周年の節目をお祝いしました。
〇 7月、信毎賞を受賞しました。これは信鈴会の50年に亘る地道な活動が認められものです。授賞式が長野市で行われ、今野相談役・上條会長はじめ5名が出席しました。授賞式では、賞状・記念のブロンズ像・副賞金100万円をいただきました。
〇 9月、日喉連東日本ブロック訓練士養成事業研修会(2泊3日)が長野市(メルパルク)で開催され、信鈴会が当番幹事をつとめました。関東甲信越の訓練士70名が参集しました。この研修会で、信州大学の宇佐美真一教授、長野大学の伊藤英一教授から、それぞれご講演をいただきました。また、研修2日目の午後、善光寺の見学会を実施しました。研修会の実施にあたり、県から助成金をいただきました。
〇 11月、台風19号による県内の被災者に対し、信鈴会から10万円の義援金を寄付しました。
2020年(令和2年)
〇 1月、信鈴会のホームページを開設しました。
〇 3月、国から新型コロナウイルスに伴う「緊急事態宣言」が発出されたため、全教室が3月~5月の間休講しました。その後も、国・県とも感染拡大が続き、会場の病院からの休講要請もあり、この年はほとんど発声教室を開催できませんでした。また、定期総会・東日本ブロック訓練士研修会も中止しました。
〇 10月、信鈴会が社会福祉功労団体として、長野県知事から表彰されました。
2021年(令和3年)
〇4月、参加人数の減少により伊那教室を閉鎖(休講扱い)し、松本教室へ統合しました。
〇前年に続き、新型コロナウイルスが蔓延し、信鈴会の活動は大幅な制約を受けました。 発声教室の長期間の休講をはじめ、定期総会・新年会・東ブロック訓練士研修会も中止しました。
2022年(令和4年)
〇新型コロナウイルスが収まらず、教室の休講・東日本ブロック訓練士研修会の中止・会議の縮小や中止が続きました。
〇12月、第一生命保険(株)主催の第74回保健文化賞を受賞しました。受賞式に上條会長が出席、天皇陛下に拝謁する栄に浴しました。 また、第一生命保険から感謝状と賞金200万円、厚労大臣から表彰状、朝日新聞・NHKから記念品をいただきました。
【あとがき】
○ 現在、県内には5教室(伊那教室休講中)が設置されていますが、広い長野県の中で少しでも近くの教室で練習してほしいとの思いからの開設でした。ご尽力いただいた先人たちに改めて敬意を表したいと思います。
特に、今野相談役には、信大病院退職後の現在も、松本教室で会員を激励するなど信鈴会を支えていただいています。
○ 先人たちの苦労を無駄にしてはなりません。全会員が力を合わせて信鈴会の益々の充実を図っていこうではありませんか。
(1)歴代会長
初代:石村 吉甫 氏 (1969~1975) 6年間
2代:吉池 茂雄 氏 (1976~1977) 2年間
3代:塩原 貢 氏 (1978~1979)2年間
4代:鳥羽 源二 氏 (1980~1990) 11年間
5代:田中 清 氏 (1991~2002) 12年間
6代:宇野女 健 氏 (2003~2011) 9年間
7代:上條 和男 氏 (2012~
(2)会員の変遷
1969年(昭和44年): 49名
1976年(昭和51年): 78名
1982年(昭和57年): 123名
1989年(平成元年) : 169名
1990年(平成 2年): 201名
1998年(平成10年): 186名
2005年(平成17年): 178名
2010年(平成22年): 166名
2014年(平成26年): 144名
2017年(平成29年): 110名
2020年(令和 2年): 99名
2022年(令和 4年): 85名
(3)教室の開設
信大教室 :1963年 (昭和38年)
銀例会長野支部:1964年 (昭和39年)
信鈴会長野教室:1969年 (昭和44年)【所属変更】
〃 松本教室:1969年 (昭和44年)【名称変更】
〃 伊那教室:1978年 (昭和53年)【現在休講】
〃 佐久教室:1981年 (昭和56年)
〃 諏訪教室:1989年 (平成 元年)
〃 飯田教室:2005年 (平成17年)