コラム
~男女共同参画について啓発推進員が思ったこと・感じたこと~
~男女共同参画について啓発推進員が思ったこと・感じたこと~
このコーナーは啓発推進員、市民協働課職員が男女共同参画について、その時々で気づいたこと、感じたことを掲載しています。
(令和7年8月26日/投稿者MM)
日頃、身の回りで「男女不平等だ!」と感じることはありますか?
ジェンダー平等は、SDGsでも国際目標として掲げられており、島田市では、男女共同参画社会を目指して啓発事業や講座の開催など、様々な取り組みを行っていますが、「すでに男女平等な社会になっているのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、経済面に注目してみると、令和6年男女間賃金格差は、男性の給与を100とすると、静岡県の女性は73.1(男性34.3万円、女性25.1万円)と※、全国で最も差が大きいのが現実です。※内閣府「令和7年版男女共同参画白書」31ページより
普段、自身の経験や身の回りの状況だけで物事をとらえてしまいがちですが、男女格差は依然として存在しており、アンテナを高く持って世の中の流れを学び、知る必要があると感じました。
(令和7年7月18日/投稿者H)
企業の採用面接の場面に関わることがよくあります。
入社するまでは企業側が強くて、入社したあとは従業員側が強くなっているという話もよく聞きます。
経営層や上司はパワハラに怯え、従業員は待遇に不満をもち、よりよい環境を求めて転職活動することも。
逆に何も言われなくなったことに危機感を持ち転職する若者もでてきているようです。
そうなってしまう原因はさまざまあると思うのですが、企業側にとっても、従業員側にとってもよい状態ではないな、と思います。
そんな状況になってしまった原因や、それらの解決策は、男女共同参画的視点にあるものも多いのでは?と思うことが多々あります。
アンコンシャスバイアスや男女平等、人権、育児介護問題など、男女共同参画的視点で組織をみて、改善できるところや、皆が働きやすくそれぞれのパフォーマンスが発揮できる環境をつくっていくことができそうだな、と。
それには球体思考で物事を捉え、多角的な考えを知って学びつづけること、違いを知ることを続けていきたいです。
(令和7年6月30日/投稿者しまま)
「今度、久しぶりに教材が変わるんです。ジェンダーに配慮したものになるみたいで。」
先日、我が家の2人の子どもたちが通っている習い事の先生から、こんなことを言われました。
男女共同参画に関わって約4年。ジェンダーについては、少しばかりアンテナを高くしているつもりでいましたが、上の子のテキストを見ていても特に違和感を覚えたことがありません。むしろ、男の子も女の子も偏りなく配置されていて、ちゃんと考えられているなと感じていたくらいです。
これ以上何が配慮がされているんだろう?と思いながら、下の子の新しいテキストを見てみると、、、。なるほど、これがこれからのスタンダードなのかと、自分の感覚もまだまだだなと気づかされました。
例えば職人さんのイラスト。前のテキストは男性1人だったものが、男性職人と女性職人の2人に。
そして王様のイラスト。前の教材も男女ほぼ同数の王様だったのですが、中央に配置されているのは男の王様でした。それがメイン、サブの区別なく全くの並列で描かれていました。
言われてみればなるほど。
でも私は気が付きませんでした。
そしてこの新しい教材には、もしかしたら私の気づいていない配慮がまだあるのかもしれません。
学校での名前の呼び方は男女問わず「〜さん」が基本。幼稚園でもイベントの景品は男の子用/女の子用ではなく、かっこいい系/かわいい系という言い方が浸透してきてきるご時世です。
あからさまな男女の扱われ方の違いに出くわすことは、以前に比べると圧倒的に少なくなってきているかなと思います。
それでもやはりまだ無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)は、社会の中にも私自身の中にもあるのだということ。決してわかりやすい偏見ではないものの、そのぼんやりとした色眼鏡で窮屈な思いをしている人がいることを、改めて考えさせらせました。
この習い事の教材は世界中で使用されているということなので、この細かなアップデートは世界的にも当たり前なのかもれません。
新たなスタンダードの中で生きていく子ども達が作る社会は、どんな世の中なんだろう。
この小さなアップデートに、明るい希望を感じた出来事でした。
(令和7年6月20日/投稿者AM)
2年前、友人に誘われて東京レインボープライドに行きました。
レインボープライドというのは、LGBTQの人々の権利や多様性を祝福して各所で行われているイベントの総称で、東京で行われるものはアジア最大級と言われています。
前々からそういったイベントがあるということは知っていましたが、実際に行ってみると衝撃を受けました。
まっすぐ歩けないほどの人・人・人。各所で企業や団体のブースが設置され、そこかしこから呼び込みの声や音楽が聞こえる様子は、まさにお祭り。
まずは昼食を食べようと歩いている間にも、いろんなブースに呼び止められ、気づいたら両手が虹色の企業ステッカーとチラシでいっぱいになっていたり。列で後ろに並んでいた人の写真を撮ってあげると、お礼に虹色のボディペイントをしてくれたり。そうこうしていると、街中を練り歩いていたパレードが戻ってきて、今度は誰とも知らない人達と笑顔でハイタッチ。
正直に言うと、これが本当にLGBTQのためのイベントなの?大型アーティストが出演するフェスか何かと間違えた?と思うほどの規模感。とにかく圧倒されっぱなしでした。
帰りがけに、そういえば野外ステージのパフォーマンスは全然見れなかったねと話しながら明治神宮前駅に向かう歩道橋を上っていると、木と木のわずかな隙間から、りゅうちぇるのパフォーマンスする姿を見ることができました。
遠くに見えたあのわずかな景色を、今でも覚えています。
「危ないよ!なにやってるの!?」
結婚したばかりの頃、私が味噌汁用の豆腐を手のひらに乗せて切ろうとしたとき、血相を変えた夫に止められたことがありました。驚いて「母からこの切り方で教わったんだけど、お義母さんはどうやって切っていたの?」と聞くと、夫は「母が料理しているところを近くで見たことがない」と言うのです。話を聞くうちに、彼は料理を手伝ったことも、教わったこともなかったと分かりました。
思えば私の実家でも、母は私や妹には料理の手伝いをさせていたのに、弟には一切声をかけず、彼は食事ができるまで自室でのんびり過ごしていました。「男子厨房に入らず」という言葉の影響もあったのかもしれません。
けれども現代では、こうした価値観が男性の健康リスクにつながっているといいます。たとえば、独身男性の平均寿命は既婚男性より10年以上短いというデータがあります。主な死因も独身男性は腎不全や生活習慣病など、日々の食生活に起因する病気が多いそうです。偏った食事や自炊スキルの不足が背景にあると考えられています。
「男だから料理ができなくてもいい」という考え方は、結婚しない選択をする人が増えた今、時代にそぐわなくなってきているのかもしれません。性別に関係なく、誰もが自分の食事を整えられることは、大切な健康を守るスキルです。
我が家も、男の子も女の子も関係なく、健康のために、そして将来の自立のために、子どもたちには一緒に厨房に立ってもらおうと思っています。
今から20年ほど前、とあるショッピングセンターのテナント店で販売員をしていた頃のことです。ある日、高齢の男性がふらっと店に入り、カウンターにいた私に向かってこう言いました。
「お姉ちゃん、女の子なのにメガネなのか?可哀想だな〜。女はメガネをしない方がいいよ」
突然の言葉に私が呆気にとられていると、男性は特に買い物をするわけでもなく、そのまま立ち去っていきました。
私はコンタクトレンズも持っていますが、目が乾きやすいため、普段はメガネをかけています。確かに、メガネを外した方が「おしゃれ」と思われることもあるかもしれません。しかし、見ず知らずの人に突然「メガネはやめた方がいい」と言われる筋合いはありません。余計なお世話では!? せめて何か買っていってほしかった!
あれから年月が経ち、メガネをファッションの一部として楽しむ人も増え、「メガネの女性はダサい」という風潮も少しずつ薄れてきたように思います。
私のメガネ姿がおしゃれかどうかはさておき、これからの時代、誰もが自分の好きなスタイルを自由に楽しめる世の中であってほしい。そして、メガネをかけている女性に余計な一言を投げかける人が、もういなくなっていることを願うばかりです。
高校生の娘は女子校通い。その学校で新しい制服の検討があったそう。
娘は今までスカートしかなかったので、スボンも選べるようになるのかなー?デザインはー?などさまざま思いを巡らせて楽しそうでしたが、着地したところはスボンなし、リボンの色が変わったくらい。
「女子校なんだからジェンダー平等にもっと積極的にならなきゃいけないんじゃないの?!」と腹を立ててました。
よくよく聞いたら別にズボンが履きたいわけでもないけど、「選べないことがムカつく。」とのこと。
制服だけでなく、さまざまなことが自分で選べるようになるといいなーと思う出来事でした。
先日、交通安全のポスターで「“かもしれない運転”を心がけましょう」という標語を見かけました。「急に人が飛び出てくるかもしれない」「急に他の車が進入してくるかもしれない」というような不測の事態を常に意識して運転する姿勢を「かもしれない運転」と呼びます。一方で「きっと大丈夫だろう」という思い込みで運転することを「だろう運転」と呼びます。どちらも運転における心構えを表していますが、運転者の危険認識の違いによって事故の発生率が大きく変わると言われています。
また、「だろう運転」を行いやすいのは「経験豊富なベテランドライバー」だと言います。経験が豊富であることは本来良いことですが、過去の知識や経験に基づいて状況を自動的に判断することが、時に危険を見過ごす要因になり得ます。
このことは、運転時だけでなく、私たちの日常生活のコミュニケーションにも通じるのではないでしょうか。無意識の思い込み、すなわちアンコンシャス・バイアスは、誰もが持っているもの。それ自体を無くしたり、変えることはできません。しかし、自分の言葉や態度について意識的に上手くハンドリングすることは可能だと思います。
「だろう」と思い込まず、「かもしれない」と意識すること。日常の中で自分自身の思い込みに気付き、それを見直したり、相手に確認をすることが、お互いを尊重し合う社会を作る小さな一歩になるのかもしれません。
男女共同参画に関することについて知る中で、よく上がってくるのは「夫が家事をしない」というフレーズ。併せて、「でも最近の若い人は男女問わず家事をやる」ということも聞きます。。
自分も20代で、世間一般で考えれば「若い人」になると思います。自分たちくらいの世代から考えると、パートナーに負担をかけたくない、という気持ちは勿論ありますが、自分のパートナーが「私のパートナーは家事が全然できない」と自分のいないところで言っていたらだいぶショック…。しかし「夫が家事をしない」という声をよく聞くということはそれだけ家事をせず、家庭で少なからず不満に思われている人がいるということなので、「そうはなりたくない!」「自分は違う!」という気持ちから気を付けている部分もあるのではないでしょうか。
最近はSNSでもそういった投稿がよく見られることもあり、反面教師的に考える機会が多いのかもしれないなと思いました。
昨年12月に島田市で開催された「仕事と育児・介護の両立支援セミナー」に参加しました。
この春から施行される育児・看護休業法(令和6年改正)のポイントの解説と専門家による参加企業の個別相談ということでしたが、
労働者の立場としても「え、その制度使いたい!」と嬉しい変更点を知ることができ、とても参考になりました。
個人的に影響が大きいのが看護休暇の拡充です。
子どもの病気・けが・予防接種・健康診断に際に1年に5日以内(子が2人以上なら10日以内)時間単位で取得できる看護休暇。
対象が小学3年生までに延長され、取得理由も感染症に伴う学級閉鎖・入園(入学)式、卒園式が追加されました。
(子の看護等休暇に名称も変更)
この看護休は企業が有給・無給を決められるので、給料が出ないなら有給休暇から使うという人もいるかとは思いますが、
いざという時欠勤扱いにならない、というのは大きいなと思います。
我が家は2人の子どもの病欠などで毎年有給を使い果たしているので、大変ありがたいこの制度。ただ、子どもが生まれてからこれまで一度も職場でこの制度の存在自体説明を受けたことはなく、恐る恐る利用し始めたのは上の子が3歳になってからでした。
法改正により今年10月からは就学前の子どもがいる従業員には仕事と育児の両立について、柔軟な働き方を実現するための制度を2つ以上設けそれを周知し、利用の意向を確認する義務が生じます。
こうした職場からのアプローチもちろん大歓迎ですが、
今回セミナーに参加した企業の担当者から聞かれた声に、私はハッとしました。
「誰が何に困っているのかよくわからず、具体的な対策がイメージできない」
セミナーに自主的に参加する意識の高い企業でもそうなのか。。。
ある意味衝撃でした。
振り返ってみると、子どもの病欠で有休を使い果たして子どもの行事に参加ができないという我が家の困り事を職場に相談したことがあっただろうか。
それは仕方がないとモヤモヤしていただけで、そもそも自分たちが困り事としてとらえていなかった気がします。
モヤモヤの時点で職場に相談していたら、もっと早くこの制度にたどり着いていたかもしれません。
誰かのモヤモヤや悩みは、きっと同じ職場の人の困り事でもあるはず。
働く側からも「使える制度がよくわからない」「子育てと仕事の両立が上手くいっていない」「○○さんがこんなことで困ってる」と、声をあげることは必要なことなのかもしれないと感じました。
私が我慢すれば・・・、という考えは、無意識のうちに他の人にも同じ我慢を求めてしまうことにつながる気がします。
家庭でも職場でも社会でも、自分が感じたモヤモヤは大切にしたいな、と思いました。
→あなたのモヤモヤもぜひ教えてください!
小学校低学年の娘がいる我が家。ある日娘のランドセルを覗いたところ、カバンの底に地層のように積み重なっているぐちゃぐちゃのプリントやチラシが!
思わず「うそでしょ!」と悲鳴をあげていると、さらに落書きで汚れた筆箱、5本入れたはずが2本しかない鉛筆、友達の真似をして遊んでいたらバキバキに折れてしまったという定規、潰れた紙飛行機や工作で切り刻んだと思われる紙の切れ端が出るわ出るわ……。
頭を抱えたくなるような光景に「女の子なのに信じられない」という言葉がよぎりましたが、よくよく考えるとランドセルの中が汚いことと性別は関係なく、かくいう私も子供の頃ランドセルを放り投げたり上に座ってペシャンコにしてしまったことを思い出しました。
そんな私を見て育ったからこのランドセルなのでは……?女の子なのにという色眼鏡で見てしまったことへの反省と、己の日頃の行動を見直すきっかけになった出来事でした。
クリスマスが近づくとよく思い出す子どもの頃のプレゼント事情。
私は性別が「女」だったので、貰うものはお人形さんや、おままごとグッズなど、いわゆる女の子が好きそうなものが多かったです。
でも、弟が貰う「プラモデル」や「ラジコン」が羨ましかったけれど、言えませんでした。
なぜ言えなかったのか、幼心に親族に気を遣ったのか、「女の子なのにそんなの欲しがって」と言われることを恐れたのか、よくは覚えていません。
そのまま育って親になった今、思うことは「欲しいものを欲しいと言っていいんだよ」「やりたいことをやりたいといってみていいんだよ」ということ。
あの時、きっと言えば良かったんだよな、と今では思う。
言わなくてもわかって欲しいという私の我儘でもあったなーとクリスマスプレゼントを用意しながら思ったのでした。
休日は、妻とよく外食をします。
定食屋さんで、ごはん大盛りと並盛りを頼むと、必ずと言っていいほど「大盛り」は私、「並盛り」は妻のところへ運ばれます。店員さんが去った後、こっそり交換しますが、大盛りを頼んだ妻はいつも少し恥ずかしそうにしています。
・・・と、こんなエピソードを職場で話していると、「最近はお客さんに配慮して、男女の間に料理を置くお店も増えているらしい。」という話を聞きました。お店側も精一杯の配慮しているんだなぁ。と感心する一方で、お店としてどこまでがやるのが正解なんだろう?と少し考えさせられました。
人と人が関わるなかで、先入観や思い込み、無意識の偏見といったいわゆる“アンコンシャス・バイアス※”が生じてしまうことは、避けられないものです。お店側がそのようなバイアスに配慮することも大切かもしれませんが、一方で私たち客側も、自分自身にバイアスがあるように、相手(店側)にもバイアスがあることに気づき、寛容になることが、もしかしたら必要なのかもしれません。
ごく稀に、運良く(?)大盛りが妻の元へ運ばれてくることがありますが、それはそれで「私、そんなにたくさん食べそうに見える!?」と結局気になってしまう様子・・・。そんな時は、「それって偏見かも?」と眉をひそめるよりも、「お腹が空いた顔をしているのがバレたんじゃない?(笑)」と愉快に笑いながら食事を楽しむ方が、よっぽど料理も美味しく感じられるのではないかなぁ・・・と思います。
※関連リンク
【内閣府男女共同参画局】無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)・事例集
(外部サイト・別ウインドウで開きます。)
ある漫画を読んでいて、ケーキを買ってきた夫に対し妻が腹を立てて喧嘩をした結果、別れることになった夫婦の話がありました。
ケーキの好みの話ではなく、「たまにケーキのような御礼をしただけで、普段家事育児など協力的でないことをチャラにできると思われているのが嫌だった。それよりも普段から協力してほしかった(意訳)」というもの。
男女共同参画に関して勉強をしている中で、家事育児を「手伝う」と考える男性のケースは最近よく見かけます。というよりもともとあったけれど勉強して気づくようになったのかもしれません。
無意識のうちに家事を女性の仕事だと思い込み、家事を「手伝うよ」と言ってしまう。家事をしないことは普通のこと、ケーキをプレゼントした分プラスだと考えてしまう。他にもプレゼントで掃除機を買うのも、掃除を自分がやらないのが当たり前になっているからそうしてしまうのではないかと思います。(勿論各家庭で話し合って分業していれば良いと思いますが)
質問サイトやSNSでもみかけましたが、そういったことへの不満に対する返信が「男なんてそんなもんですよ」と言われているのも悲しい。そういったイメージを払拭していけるよう、まず自分が気を付けていきたいと改めて思いました。
先日、風呂上りに子どもの髪を乾かしていた夫がモヤモヤした表情でこうつぶやきました。
「いい奥さんって何だろうなぁ。」
部屋には取り込んだまま山積みの洗濯物、シンクに残ったままの鍋や皿。
それを尻目に携帯をいじっていた私。
内心ギクりとしたものの、どうやら私を責めている訳ではなさそうな様子。
話を聞いてみると、職場での会話に引っかかるものがあったようです。
同僚に休日出勤も厭わず、平日も連日遅くまで残って仕事をする人がいるらしい。
聞けば半年前にお子さんが生まれたばかり。
その働きぶりを職場の人たちが「仕事に理解がある、いい奥さんね~。」と、その人と妻を絶賛していたということ。
一方、夫は毎日定時退勤を目指しており、子ども看護休暇、親の介護休暇も利用することも多々。
休日出勤はよほどのことがない限りしたくない、というスタンス。
その場で夫への言及はなかったということですが、もし自分がその場にいたら居心地悪いだろうなぁ、と夫の浮かない表情に納得したのでした。
もちろん、仕事優先を否定している訳ではなく、その家庭が望んで選択しているならそれでいいと思います。
夫自身も、第一子が生まれた時は毎日遅くまで仕事をしていたし、私もその生活に特に不満を感じることもありませんでした。
ただ、今の我が家の状況(未就園児2人、妻仕事あり+介護中)では、仕事優先の働き方は向きません。
そしてかつて「仕事=自分の生き方!」だった夫は、ここ5年仕事と家庭のバランスを模索し続け、今はこの働き方を選択しています。
仕事仲間にとっては、仕事優先の人・家庭の方が「いい人」であることは、当たり前だし、それはそうだろうなと思います。
その意味で私は「悪い奥さん」に当たるかもしれませんが、上等です。
誰かにとっての都合のいい奥さんでいる必要はないし、そんなことより優先したいことがたくさんあります。
と、ここまで考えふと隣をみると…。
子どもと風呂に入るために定時退勤するものの、毎日仕事を持ち帰り、休日も子どもが寝た後で自己研鑽に励む夫。
さらには日々職場からの風当たりをかわし、身を挺して家族を守ってくれている彼の姿を見ながら、そっと携帯を閉じ、皿を洗い始めた夜でした。
今年はパリ五輪が開催されました。テレビで日本選手も活躍し、日本はメダルランキングで3位の大健闘でした。選手たちの活躍は素晴らしいものでしたが、開会式や選手村、セーヌ川の水質、ルーレットなどについても注目され、とりわけ誤審は大きな話題になりました。
ネットニュースの記事やそのコメントでは、判定に関して様々な意見が見られましたが、その中で個人的に気になったものは、
「バスケも柔道も女性審判による誤審。これだから女性の審判はダメ」
という旨のコメントです。
バスケ・柔道での疑惑の判定は女性審判によるものでしたが、このような考え方には疑問を感じました。ジャッジをしたのが男性だったら疑惑の判定は無かったのでしょうか?または別の女性だったら同じように疑惑の判定をする可能性が高いのでしょうか?女性のほうが正確にジャッジできない根拠があるのでしょうか?
前述したコメントのような考えを持つな、と強要することはありません。以前啓発推進員会議でも話題になりましたが、どうしても相容れない、合わない、ということは誰しもあると思います。ただし、そう思っても、自分の中にとどめておくことが大切なのかな、と改めて思いました(たとえ匿名性の高いインターネットであっても)。
島田市役所で開催中のパネル展示「トランスジェンダーのリアル」を見てきました。
会場には5人のトランスジェンダー(=割り当てられた性に違和感をもつ人)の方の写真入りのパネルが並び、自分の性に違和感をもったきっかけや悩みを抱えた時期、そして現在の生活と、それぞれの生き方が紹介されています。
悩みながら、自分の生き方を選びとった人たちの体験や率直な言葉は、これまでになく心にささりました。
その中でもはっとさせられたのが、女性であることに違和感を覚え、男性として就職した方の言葉です。
「子どもの頃から私を苦しめていた女らしさ地獄がやっと終わったと思ったら、今度は男らしさ地獄なのか、私はどっちも嫌だと思うようになりました。」
女性として違和感=男性になりたいとは限らない、ということに気が付かないほど、私自身もこの問題の本質に無頓着なのだと気付かされました。
そもそも「男女共同参画」という言葉自体が、社会が性別を男性、女性のどちらかであることを前提にしていることを表しているのではないだろうか。
島田市男女共同参画啓発推進員の一人として考えさせられました。
LGBTQ、SOGI(ソジ/ソギ)、ALLY(アライ)など、耳にする機会は多くなってきたものの、まだ私も理解が追いついていないなと感じています。
これまで無意識に誰かの生き方を傷つけてきたかもしれないと思うと、まずは「知ること」から始めなければと思った展示会でした。
多様な性のあり方への理解について - 島田市公式ホームページ (city.shimada.shizuoka.jp)
今年、子どもたちはそれぞれ高校受験、大学受験に向かって頑張っています。そんな中、学校選びや部活動選びでちょいちょい男女がでてきます。
私の育った時代と違い、制服が選べたり、男女の差がなく学べたり、ということも増えた中、女子校や男子学科も残っている。
でも、それが決して悪いことではなくって、選べる、ようになったことがいいと思う。
色々見て、考えて、自分の選んだ道に進めるように応援したいと思います。
まだまだ変わって欲しいことがある人もいると思うけど、時代は確実に流れていて、今、声をあげることが未来を創っていくことにつながっていくんだなーと感じました。
先日、友人から「こんなおもしろい曲があるよ」と「メンズ差別」という曲を紹介してもらいました。
ジェンダーに関する違和感について、男性視点で面白おかしく歌っている曲で、聴いてみると「あ~!わかるわかる!」とうなづけるフレーズだらけでした。
具体的には
・男湯に若い女性スタッフがタオル交換に来る
・デパートのメンズ服売り場は、なぜか上の階が多い
・ランチバイキングは男性の方が料金が高い
共感できる一方で、自分は正直なところ、こういった不満を言うこと自体が格好悪いような、恥ずかしいような気持ちで、飲み込んでいたように思います。
学校や職場でも、ちょっと無理をしたり、競い合って勝ったり、そちらの方が「良し」とされてきた世代だったりもするのですが、そういった「男はこうあるべきだ。」という考え方によって、男性も自分自身に無意識の縛りをかけてしまっているような気がします。
この曲のように、男性も「何かおかしくない?」と思ったことについて、たまにはつぶやいてみても良いかもしれません。
約10年前、自動車の免許を取るときに「男はふつうMT車でとるよ」、「筆記試験はふつう1,2問しか間違えないよ」と言われました。結果MT車で何とか免許は取れましたが、実技も筆記試験もかなりギリギリの合格でした。
その人は免許をMT車でとって、仮免は一発でクリアしたのでしょう。それがその人にとっての「ふつう」なのだと思いますし、発言に悪意はなかったと思います。しかしそれらの発言は私にとって「ふつう」ではなかったです。
このようなその人の価値観である「ふつう」が自分にとってはそうではないことはあらゆる場面で存在し、特に性別による役割などはこういった価値観からきていることがあるのではないかと思います。
「男性が働いて女性が家事育児をするのがふつうだ」とか。
ただ、そういった考えを持つ、持たないを変えることは難しいと考えていて、大切なことは、先週男女共同参画啓発推進員会議で啓発推進員さんが仰っていて感銘を受けたのですが、「感情は変えられなくても行動は変えられる」という意識だと思います。自分とは違う意見の人を認める、とまではいかなくてもそういう人がいることを理解して、否定しない。そういった行動をとるだけでも何かを我慢しなくてはならない人、いやな思いをする人は少し減るのではないかと思います。
実家の両親が高齢になり、ぞれぞれ介護が必要になってきました。
これまで介護と言えば食事や排せつの手助けというイメージでしたが、実際身に降りかかってみるとそれに加えて、思った以上に物理的時間が必要なことがわかりました。
通院だけでも待ち時間も含め半日コース。
ゴミ出し、日々の買い物、料理、掃除、畑の管理、ご近所との付き合い、書類の申請手続きなど、家事量だけでも我が家+実家で2倍。
介護サービスも利用させてもらっていますが、パートと育児に加えてのこの負担増は一人ではとても対応しきれず。。。
兄に「介護休暇」を取ってもらうことも増えました。
というより、兄と分担しなければ、私は仕事を続けること自体が不可能!!
兄の介護休暇取得は、家族の私にとってもありがたい制度だと実感しました。
少子化で1人あたりの介護の負担は大きくなり、将来的に介護と仕事の両立に悩む人はもっともっと増えるはず。
「介護休暇」の取りやすい環境は、安心して働ける職場選びの大事なポイントになると感じました。
小学生の子どもがいる我が家。
クラスメイトのランドセルを見ると、赤、黒、水色、ブルー、紫、ピンク、ベージュ、ブラウン、グリーン、さらにはシルバーと本当にカラフル!
色だけでなく飾り鋲や刺繍など、一人一人が違ったランドセルを背負っていて、見ているだけで楽しくなります。
授業で使用する習字や裁縫といった道具セットも、キャラクターやスポーツブランドのロゴをあしらったものから、「これが学校用!?」と驚くほどファッショナブルなものまでさまざま。
昔とは比べ物にならない多種多様なデザインで、学校から配られる学用品の案内を見るたびに「今の子は選択肢が多くていいなあ」と感じています。
そのうち「男の子向け・女の子向け」というカテゴリー分けもなくなり、ランドセル以外の選択肢も増えていくのかもかもしれません。
それぞれ違った色やデザインに囲まれて育つ、現代の子どもたち。
もしかしたら私たち親世代よりも、何倍も何十倍も多様性を肌で理解しているのかもしれないなと、お気に入りのランドセルで登校する我が子を見て思うのでした。
日経ビジネスの記事で『学校の「当たり前」をやめた。』の著者工藤祐一氏のインタビューを拝見しました。
内容は心の教育について。日々の仕事でも活かせるし、子どもたちにも伝えたいと思ったことを書きます。
1.心の教育の問題点
「心を鍛えるとよい行いをする」心=行動に疑問をもってみる。心にこだわりすぎるとおかしなことがおきる(例:ボランティアをしている人をみて「偽善だ!」「売名行為だ!」といってしまう)
なので、心ではなく、行動に着目する。頭で考えて行動する。そのために知識を学び、スキルを身につける。
→これが浸透すると、世の中のさまざまな施策がうまく機能していくのかもしれないと思いました。
身近なところではたとえば頭では体調不良のとき仕事を休んだ方がいいと思っていても、心では「それくらい頑張れよ」ってどっか思ってしまうということもそれかな、と。でも、知識をもっているから「お大事にね」といってあげられたらそれはそれでいいのかもしれないな、と。
2.主体性を失わせない
多様な人々が生きていれば対立は生まれる。対立はあって当然でその中でどうやって解決するかが問題。日本の教育はどちらかに妥協を求めがち。そうではなくて、当事者が「どうしたいか?」を問う。
→私も2児の母ですが、ついつい妥協を見出そうとしがちだと反省しました。主体性を伸ばすよりも失わせないことが大切で、今の状態でいいと思っているのか、どうしたいか、など問いかけていけるようになりたいな、と思いました。
※青字は日経ビジネスデジタルの記事より抜粋。(無料会員登録で全文読めます )
少し時間が経ってしまいましたが、この前のバレンタインデーの話。
私の職場では、ここ数年バレンタインデーは女性陣全員から男性陣全員へ、ホワイトデーは男性陣全員から女性陣全員へ...といったやりとりが通例だったのですが、とあるきっかけでこの暗黙のルール(?)が撤廃されました。
ある職員の意見を発端に、「今までのバレンタインデーのやり方ってどうなの?」という話題に。話をするなかで、「先に渡す側として、女性陣は負担を感じているのでは?」「男女比が偏る職場だったら不満が出そう。」「LGBTQの当事者がいた場合、そもそも男女で分けると戸惑ってしまうのでは?」等、さまざまな意見がでました。結論「男女関係なく、あげることも返すことも自由にしましょう」という話に落ち着きました。
今回の結論がベストかどうかはさておき、本人の合意なしに、いつの間にか存在している「暗黙のルール」は、もしかしたら誰かのストレスや生きづらさに繋がっているのかもしれないと感じました。
「暗黙」ではなく、ちょっとした本音の「会話」ができれば、皆が合意したルールで、過ごしやすく、働きやすい職場づくりができるのではないでしょうか。
先日、子どもの参観会がありました。
当初は私だけの予定でしたが、夫も何とか都合をつけ、初めて2人そろっての出席。
これが想像以上によい時間になりました。
・子どもの頑張りや不安な点を一緒に感じることができて心強い
・子どもの環境についての共通認識ができて、家族の会話が広がった
・子ども自身も喜んでくれた などなど
1人で子育てしてるんじゃないんだなと改めて感じました。
我が家は共働きなので、子どもが病気の際には夫婦で調整して夫に休んでもらうこともあります。
ただでさえ急な休みも多い現状でさらに休みを取ることに、夫は気まずい思いもしたと思います。
「仕事一筋!」「プライベート最優先」「どちらもバランスよく」・・・
職場には色々な価値観の人がいるし、私自身もライフステージによって望む働き方が変わりました。
今は仕事優先派の人も、10年後にはプライベートを優先したくなる時期がくるかもしれません。
諸々のデメリットを考えても、今回休む選択をした夫。
ピンチのときはもちろんですが、誰もが過度な罪悪感なく気軽に休みを取ることができたら、もっと肩の力を抜いて生きられるだろうなと思いました。
参観会は平日でしたが、男性のみ、または夫婦そろって出席の方を予想以上に多く見かけました。
夫婦で参加のみなさんが、とっても嬉しそうに2人でお子さんの様子を振り返っていたのが印象的な1日でした。
中学2年の息子になんとなく聞いてみた。「次に生まれ変わるなら女の子がいい?男の子がいい?」という質問。
答えは「男だなー。だって男同士の方が楽しいし、運動も強いし」だった。
特に何を期待して質問したわけでもないけど、今の性でいいと思っているのかな、と感じた。
ちなみに筆者は生まれ持った性は女性だけど、生まれ変わったら男性になりたい。
理由は様々だけど、一番はいろんなことに「わずらわしさがない」ようにみえているところかも。”そんなことないぞー!”という方もいらっしゃるでしょうけども。
そもそも男女どっちと聞くことすら間違っているのかもなー、どっちかって決めなくてもいいのかもしれないと思ったりもした。
何が正解というわけでもないけれど、だれもが伸び伸びと、楽しく過ごせる社会になるといいな〜なんて思いました。
2月16日に島田市役所で開催された、仕事と育児の両立支援セミナー「男性育休推進で働きやすい職場へ」 に参加しました。
男性育休への企業側の理解が進んでいても、社員に周知できていないことが多く、事前の相談なく突然の出産報告や退職に繋がるケースがあるということ。
また管理職が会社の方針を知らずに育休取得に難色を示すなど、男性育休への理解からさらに一歩踏み込んだ取り組みが必要というお話に、終始「なるほど……」と聴き入りました。
その中でもはっとさせられたのが、出産直後の女性の死亡原因の一位が産後鬱などによる自死というデータ。
私自身の出産直後を思い返すと、まさに戦いでした。
長期入院と帝王切開による身体のダメージが残る状態での慣れない抱っこに、泣き止まない赤ちゃん。一日に数え切れないほどオムツを替え、汚れた服を着替えさせ、3時間ごとの授乳、沐浴、肌のケア、寝かしつけ、黄昏泣きに夜泣き。さらにミルクの用意と瓶の洗浄、大人分の食事の用意や掃除洗濯……。
これまで一度も体験したことがない「初めての育児」が毎日24時間絶え間なく押し寄せ、うまくこなせない自分を責め、泣いたこともありました。
我が家は男性育休を取得しませんでしたが、もしもあの時、夫が常に隣にいてくれたらまた違った思い出になったかもしれません。
企業の規模や環境によってはまだまだ難しい面もあるかと思いますが、赤ちゃんはもちろん、母親の命を守るためにも男性育休の取り組みは大切なのだと感じたセミナーでした。
私は妻と暮らしている30代男性です。先日、とあるきっかけで「家事分担チェックシート」なるものをやってみることに。夫婦間でどれくらい家事分担ができているのかをチェックするものですが、取り組むまでは内心「自分は、お風呂掃除や皿洗いもしているし、割と夫婦間で平等に家事分担できているんじゃないかな?」と思っていました。
しかし、いざチェックを始めると・・・手が止まってしまいました。「洗濯ものを裏返してポケット中身を確認する」「仕分けてネットに入れる」「しつこい汚れの染みを抜く」・・・etc
「洗濯」だけで、なんと15ものチェック項目が!洗濯=「脱いだ服を洗濯機に入れる」くらいの認識だった私は、洗濯にこれほど手間がかかっていたなんて!(しかも私はやっていない汗)と驚愕しました。この時点で既に雲行きが怪しかったのですが、その後も「掃除」「買い物」「食事」すべての項目において圧倒的に妻の比重が多かったです・・・
ということで、今回のチェックシートを通して
・家事って、本当にやることがたくさんある。(シート内では約70項目。育児も入れると100項目!)
・そのほとんどが認識すらしていなかった。(名前のない家事がたくさんある。)
こういった点に気づくことができました。
家事=掃除・洗濯・食事の支度・・・と一括りにしてしまいがちですが、今回のチェックシートのように細分化してみると、改めてその作業量の多さを認識できると思います。パートナーがやってくれてるいことを「認識する」ことが、家事や育児を夫婦間でシェアするきっかけになるのではないかな?と感じました。
※家事分担が気になった人は、こちらのチェックシートへ(サイト内リンク)
去年の男女参画啓発推進委員の会議をきっかけに、私の中でこの言葉に対して小さな小さな違和感が芽生えました。
発端は「みんな違ってみんないい」って本当かな。という、ある委員さんの率直な感想だったと思います。
もちろん、この言葉の持つ意味を肯定した上で、価値観が違う人がすぐ近くにいたら?という敢えての問い直しだったのですが、今まで何の疑問も持たずにこの言葉を受け止めていた私の心に残る出来事でした。
確かにその人が離れたところにいれば「違っていいよね~」と、呑気にしていられるかもしれませんが、その人が家族だったら?、職場にいたら??自分の価値観と合わない人と共にいるメリットって何だろう。
そんな疑問をまた委員のみなさなんと会議でわいわい話しながら、少しずつ自分なりの解釈を探っているとことです。
この「しまだパレット」をきっかけにみなさんとつながって、「当たり前」を考え直すきっかけを共有できたら嬉しいです。