四十雀賞
受賞者ご紹介

第11スリーシェルズ/西耕一 (2023)

【授賞理由】

 株式会社スリーシェルズは「100年以上の歴史を持つ日本のクラシック音楽をアーカイヴして次世代へ受け継ぐ」という経営理念のもと、日本の音楽家による作品の発信、埋もれた名作の発掘と資料の保存、広報、啓蒙を目的としている。

  具体的な活動として、伊福部昭・早坂文雄・「3人の会」(黛敏郎・團伊玖磨・芥川也寸志)などの貴重な作品資料を、散逸を防ぐべくアーカイヴ化している。また演奏会の企画、音源制作、DOMMUNEなどによるWeb配信により、演奏機会の少ない作品を積極的に発信している。加えて、日本人作曲家の楽譜のレンタル事業などを通じて、演奏機会を拡大し研究を促進している。

 スリーシェルズの幅広い活動は、邦人作品を過去から現在、そして未来へ繋げていくものであり、本邦の音楽文化に広く貢献している。

 以上の理由から、「スリーシェルズ」に第11回四十雀賞を授与したい。

【参考】

株式会社スリーシェルズ 公式HP


第10回 音遊びの会 (2022)

【授賞理由】

「音遊びの会」は知的障害者とその保護者、音楽家、音楽療法士、ダンサー約70名で組織される神戸のグループである。2005年に結成され、月2回のワークショップを主とし、加えて地元小ホールにおける自主公演、及び依頼による遠征公演を15年以上にわたり行ってきた。2021年には、初のスタジオ・レコーディング・アルバム「OTO」を発売する等、活動の幅を拡げている。

 活動拠点の神戸で行われるワークショップ、飯山代表の言葉を借りれば「何かを作るという目的のない自由な音楽セッション」において、障害の有無に関係なく、マジョリティの発想を超えた自由な音楽表現の機会が提供される。そこでは2017年から、同会メンバーではない一般の参加も可能になった。

 「音遊びの会」という団体名は同会のウェブサイトにある通り、キャロリン・B・ケニーの「遊びの場」の考え方に基づく。その考え方は人間の苦しみに「何かをすること」で対応するのではなく、苦しむ相手の存在を感じてその空間に「共にあること」「それぞれの美の中を歩むこと」を中心に置いている。実際、「音遊びの会」では障害者と「共にある」「遊びの場」をみごとに実現した。

 「音遊びの会」は、世界人権宣言の「すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。」という第27条の実践であると言える。つまり、「音遊びの会」には障害者と共に自由につくる音楽の豊饒さに気づかせ、社会意識を変革する力がある。

 以上の理由から、「音遊びの会」に第10回四十雀賞を授与したい。

【参考】

音遊びの会 ウェブサイト

第9回 デリバリー古楽/柴田俊幸さん (2021)

【授賞理由】

「デリバリー古楽」は、ベルギーを拠点に活動するフルート奏者の柴田俊幸氏が2020年5月から2か月間、中国・四国地方で行った出張演奏サービスである。活動期間や地域は限定的であったものの、開催された演奏会は30回以上に及ぶ。柴田氏は注文者の自宅などに単身で出張し、新型コロナウイルスの感染対策を十分に講じて一個人ないし一家族に対し1回15分のフラウト・トラヴェルソの演奏会を開いた。大人数に対する演奏会ではなく、注文者のもとへ届けるという、まさしく「デリバリー」をしたことが画期的だった。

 2020年は政府により「不要不急」の活動が制限されたことで、演奏会をはじめ美術館や図書館までもが閉鎖され、直に文化に触れる機会が激減した。そのため演奏の場を失った音楽家がライヴ配信や多重録音演奏といったオンライン上での様々な演奏活動を試みた。柴田氏はそこに音楽の発信・聴取の可能性を認めながらも、たとえば芸術が無料コンテンツとして、対価が払われないまま目に見えない聴衆に消費されることなどに疑問を抱き、生の音を尊重した演奏活動を継続した。

 古楽の時代には、音楽は小規模の空間において少人数で共有されていた。その価値は、放送や録音などによって音楽が不特定多数の人々に拡散される現代で、さらに新型コロナ感染症の流行下で、見失われかねない。「デリバリー古楽」の活動はあらためてそのことを思い起こさせるとともに、今後の音楽の可能性を指し示す。

 以上の理由から、「デリバリー古楽」に第9回四十雀賞を授与したい。

【参考】

柴田俊幸さん Twitter

柴田俊幸さん Facebook

たかまつ国際古楽音楽祭 ウェブサイト

第8回 『LISTEN』 (2020)

【授賞理由】

『LISTEN リッスン』は、聾者(ろう者)の映画作家である牧原依里氏と聾者の舞踊家である雫境(DAKEI)氏が共同監督・撮影・制作し、2016年に公開されたアート・ドキュメンタリーである。この作品は聾者の「音楽」を視覚的に表現し、見る者に音楽についての再考を促した。上映時間58分の中で楽器の音や声などは一切用いられず、出演者の手、指、顔の表情から全身にいたる動作が「音楽」空間を創り出している。 

 牧原氏・雫境氏は聾者としての経験や思想から出発し、本作品にて聾者による「音楽」を表現した。牧原氏は、ミュージカルや舞踊、オーケストラの指揮者の身振りや演奏家の表情に心を動かされ、「無音から生まれる音楽は常に傍にある」と述べる。「耳が聞こえない人」のために工夫を凝らした音楽に違和感を抱いたときに手話詩に出会い、「聾者の音楽」を追求するようになった。雫境氏もまた、「手話が言語としての機能を持つだけではなく、思想、感情によって、それがとても些細な程度であっても手と顔そして身体を揺り動かし、非言語的な空間を構築する可能性を持ち合わせている」と述べている。

 この作品は音楽と聴取の関係を見つめ直す契機となり、本邦の音楽文化に大きく貢献した。よって、映画『LISTEN リッスン』に第8回四十雀賞を授与したい。

【参考】

LISTEN リッスン 公式サイト

第7回 大澤徹訓さん (2019)

【授賞理由】

 大澤徹訓氏は、東京藝術大学大学院音楽研究科作曲専攻を修了し、1986年に日本音楽コンクール作曲部門にて第2位に輝いた作曲家である。創作活動に加え、武蔵野音楽大学の作曲科講師、横浜国際コンクールでの審査員を務める。これらの活動と並んで注目されるのが音楽監修である。

 大澤氏は二ノ宮知子氏の漫画『のだめカンタービレ』の音楽監修を担当した。『のだめカンタービレ』では、それまで知られていなかった音楽大学などクラシック音楽業界の様相がコミカルかつ丁寧に描かれ、漫画だけではなく同作品を原作としたアニメ、ドラマ、映画などによって広く知られていった。

 漫画の連載当初、作者の二ノ宮氏はクラシック音楽に対する知識をほとんど持っていなかったと言われている。しかし『のだめカンタービレ』では、例えばオーケストラ作品の楽器編成や団員の人数など実際の演奏が正確に表現されている。登場するクラシック音楽作品は多岐にわたり、楽曲や音楽史の知見など専門性の高い内容も含まれる。

 これは綿密な取材に取り組んだ二ノ宮氏の功績であると同時に、二ノ宮氏が描いた作品を校閲する立場、つまり音楽監修を行った大澤氏なしには不可能であっただろう。クラシック音楽に限らず「音楽」は漫画で表現しがたいジャンルの一つとも言われている。しかし大澤氏のサポートにより同作品は音楽業界に精通する人にも認められるリアリティを実現し、クラシック音楽の業界内部においても楽しめるものとなった。

 大澤氏の活動は、同作品の成功という域を超えた意義を持つ。日本において西洋音楽は100年以上の歴史を持ち、現代でも多くの人々に親しまれている。『のだめカンタービレ』が、日本文化に広く浸透しているクラシック音楽の世界について等身大の理解を促すことができたのは、大澤氏によって音楽を主題とする作品としての真正性が付与されたからであり、その功績は本邦の音楽文化への大きな貢献と言える。

 以上の理由から、大澤徹訓氏に第7回四十雀賞を授与したい。

第6回 高橋管楽器 (2018)

【授賞理由】

 高橋管楽器は日本初の個人創業の管楽器製造・修理店である。

 初代オーナーである高橋治雄氏は、日本管楽器(現・ヤマハ)に入社し、戦前にはサキソフォンの製造販売を担当していた。戦後は、キャバレー・ナイトクラブ等に勤める当時の一流奏者の信用を得て楽器修理を営んだ。後に楽器修理の依頼は、個人奏者だけにとどまらず、進駐軍からも寄せられるようになる。数多くの依頼を引き受けるようになったことで自信を深め、妻と共に東京都新宿区大久保に日本で初めての管楽器修理業の看板を掲げた。

 二代目の高橋一朗氏は、28歳で先代の跡を継いだ、現在の店主である。長年、著名なサキソフォン奏者をはじめ、豊富な知識と高い演奏技術を持つたくさんの人々の薫陶を受けてきた。2010年1月にはその功績と実績が認められ、「新宿ものづくりマイスター・技の名匠」に認定されている。

 三代目の高橋大輔氏は管楽器の音色、そして職人としての技術が試される修理の仕事に魅せられ、父親の跡を継ぐことを決意した。多くの人に管楽器の素晴らしさを伝えようと努めている。

 高橋管楽器は親子3代にわたり、「安く、正確に」という営業方針のもと、あらゆる管楽器の「完全」を長年追求し、楽器修理によって音楽文化を支えてきた。サキソフォンを始めとする管楽器はその構造が複雑で、パーツの種類も多いため、専門性の高い修理店は欠かすことのできない存在であると言える。本邦の学校教育において吹奏楽やオーケストラなど部活動が盛んに行われている背景には、管楽器奏者を支えるこうした存在があった。魅力溢れる音楽のためには音楽家本人の演奏技術のみならず、奏者の身体の一部ともいえる「楽器」を維持する人々とその技術が必要である。本邦でのこの分野の嚆矢となり、現在に至るまで重要な役割を果たしてきた高橋管楽器は、四十雀賞受賞にふさわしい。

【参考】

高橋管楽器 公式ホームページ

第5回 「ヒロシマと音楽」委員会/能登原由美さん (2017)

【授賞理由】

 「ヒロシマと音楽」実行委員会は、「ヒロシマ」「反核」などをテーマに数多くの作曲家が残してきた音楽作品を未来に継承するために、広島の放送局である株式会社中国放送と音楽関係者、さらに広島市関係機関が協同して1995年に立ち上げた市民団体である。終戦直後から現在に至るまで、1945年8月6日に原子爆弾が投下された広島をめぐり、国内外の作曲家や市民の手によってその惨状や復興、平和への希望を謳う多くの音楽作品が生み出されてきた。同委員会は「ヒロシマ」「原爆」「核兵器廃絶」などをキーワードとして、ジャンル(ポピュラー、歌謡曲、クラシック、邦楽、民謡など)・時代ともに多岐にわたる膨大な作品の収集、整理活動を行い、2004年3月までに全1867曲をデータベース化した。その収集・調査の成果は『ヒロシマと音楽』(汐文社、2006)にまとめられている。

 同委員会が作り上げたアーカイブは、まずヒロシマをめぐる音楽についての調査研究を可能にしている。現実行委員長の能登原由美氏は著書『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』(春秋社、2015)を出版し、戦中、戦後を生きる人々の手により生み出されてきた「ヒロシマ」音楽の歴史を再構築し、政治性の強い反戦・反核運動にとどまらない「ヒロシマ」音楽、歴史の理解と未来への希望としての「ヒロシマ」音楽のあり方を提示した。また同委員会は2010年以降、毎年「ヒロシマ・音の記憶」コンサートを開催し、目まぐるしく移り変わる歴史の流れの中に埋もれていった数々の作品に音楽としての息吹を与えながら、それらを後世に伝えている。

 「ヒロシマ」というキーワードの下、ジャンルやプロ/アマチュア、日本人/外国人というような垣根を取り除いた形で行われた同委員会のアーカイブ作業は、日本の戦後音楽史に一つの新たな視点を与えたと評価できる。また、戦後70年以上が経過し原爆投下をはじめとした戦争体験が遠い過去へと去っていく中で、音楽作品を遺産にせず、音楽を通して歴史を現在、未来に生かしていく「ヒロシマと音楽」実行委員会の活動は日本の音楽文化への大きな貢献と言えよう。これらの功績に対して当研究室の所属ゼミ生は本年度の「四十雀賞」を授与したい。

【参考】

「ヒロシマと音楽」委員会 公式サイト 

第4回 大友良英さん (2016)

【授賞理由】

 大友良英氏が、自身の著書『学校で教えてくれない音楽』(岩波書店、2014)において明らかにしたことは、「学校で教えられる音楽とは、様々な音楽のほんの一部にすぎない」ということである。学校の内外で日常的に音があふれている。しかし、従来の音楽はそれらの大半を「ノイズ」と捉え、音楽を構成する上で排除してきた。氏はこの排除されてきた音を、その「場」にいる人々が今現在持つ力によって音楽として生みだす「場」をつくる試みを行っている。このように従来、夾雑物とされていたものに価値を見出す慧眼は、即興音楽やノイズミュージックに精通した氏だからこそ持ち得たものである。この成果を本邦の音楽文化への大きな貢献として、当研究室の所属ゼミ生は本年度の「四十雀賞」を授与したい。

 大友氏は1959年、神奈川県横浜市に生まれた。1980年代後半から、即興演奏やフリージャズを行うようになり、1990年代に自身のバンドGROUND-ZEROを立ち上げた。2005年には、知的障がい者とその家族、アーティスト、音楽療法家による即興音楽グループ「音遊びの会」に参加。2008年には、山口情報芸術センターの企画による「アンサンブルズ」展を公開。2011年の東日本大震災後、福島出身/在住の音楽家と詩人を代表として、「プロジェクトFUKUSHIMA!」という福島復興支援活動が立ち上げた。東日本大震災以降、2006年以来参加し続けている「音遊びの会」のほか、「アンサンブルズ・パレード/すみだ川音楽解放区」や「西成・子供オーケストラ」など、様々な音楽ワークショップや一般参加型のプロジェクトにも力を入れている。そして、『学校で教えてくれない音楽』も、近年に氏が関わった音楽ワークショップ現場から生まれたものである。

 大友氏は、その多彩な活動を通じて音楽のあり方を模索してきた。従来、音楽活動において共通して存在していた壁は、「演奏者/聴衆」という区分、すなわち、演奏者が音楽をつくりだし、聴衆はその音楽を受容するという枠組みである。しかしそもそも音楽とは、だれのものなのか。これを問い続けつつ、「音遊び」への参加を通じて、大友氏は従来の舞台での演奏や録音などとは異なる音楽のあり方、そして音楽の専門家だけでなく一般の人々と即興的に音楽をつくり上げる「場」を求めるようになった。もちろん、即興音楽を試みたワークショップはこれまで数多く生み出されている。それらと大友氏の活動との違いは、従来の音楽においてそのプロポーションを保つために徹底的に排除されてきたノイズを、氏が積極的に肯定する点である。なぜなら、そのノイズにこそ何物にも変えがたい美しさ、一瞬のきらめきが宿ることを氏は知っているからである。氏はそれゆえ、これをカオスとしてではなく、音楽として参加者とともに再構成する。このように氏の活動は、「音楽とはなにか」という問いに対し、「音楽とはだれのものか」という点から新しい答えを示そうとしているのである。

第3回 村上輝久さん (2015)

【授賞理由】

村上輝久氏(1939-)は、ピアノ調律師としての多年に渡る活動を通し、本邦における調律師の地位を、ピアニストの重要なパートナーにまで高めることに貢献なさいました。また、スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97)、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-95)ら海外の著名ピアニストの専属調律師として活躍したことで、本邦のピアノ調律師の地位を国際的に高めたことにも大きな貢献が認められます。さらに、ピアノ調律師の養成機関であるヤマハピアノテクニカルアカデミーの設立にも携わり、後進の育成にも尽力なさいました。これらの点から、村上氏の活動は本邦の音楽文化の普及に資するところが大きいものと考え、このたび授賞を決定しました。

第2回 宗次ホール/宗次德二さん (2014)

【授賞理由】

宗次ホールは、「くらしの中にクラシック」の理念のもと、足を運びやすいコンサートホールを目指しています。ホーム・コンサートのような雰囲気に満ちたランチタイム・コンサート等の催しは、クラシック音楽への間口を広げ、新たな聴衆層を開拓しています。そして、「クラシック音楽広め隊」や「宗次フレンズ」等の活動により、「音楽を聴く楽しみ」と「音楽を語る楽しみ」を地域住民が共有する場を提供しています。さらに、年間400という本邦で比類ない自主公演数を実現するとともに、コンクール事業を通した若い才能の発掘にも取り組まれております。これらの活動が、地域全体、ひいては本邦全体の音楽文化に与える影響ははかり知れません。既成の概念にとらわれず、様々な分野から音楽を学ぶゼミ生一同、受賞者として宗次ホールがふさわしいと考えております。

【参考】

宗次ホール 公式サイト 

第1回 岡田暁生さん (2013)