尺八は、その長さが一尺八寸(訳55cm)であることに由来する楽器ですが、その原型は奈良時代に中国から伝来し正倉院にも保管されています。その当時の尺八は40cm程度でした。その後、江戸時代に普化宗ができると、尺八は虚無僧(武家の出身者)のみが演奏を許されました。
明治以降に、普化宗が廃止されると虚無僧以外も演奏することが可能となり、虚無僧寺に伝承していた曲以外にも、三味線、筝の伴奏楽器として用いられるようになります。これにより、江戸時代までは、三味線、筝、胡弓で演奏されていた三曲合奏が、三味線、筝、尺八という構成に変わっていきました。
ちなみに、甲走った声というのは尺八の高いオクターブの音を「甲」と呼ぶことによりますし、乙だね~の乙は、尺八の低いオクターブの音を「乙」ということから、落ち着いていて渋いね、という意味になっています。また、メリハリは、尺八の角度を変えて出す音をメリ音、カリ音ということから、メリカリ→メリハリとなったと云われています。尺八由来の日本語は意外と日常的に使われているようです。
本曲は、本来その楽器のために作られ、他の楽器を交えずに演奏される曲という意味で用いられます。
尺八の本曲は、普化宗の本曲(江戸時代に虚無僧が吹いた曲)を発祥とします。現在では、琴古流本曲を含め150曲程度が伝承されているとされますが、もともとは、虚無僧が托鉢のために諸国を往来する際に演奏した宗教音楽です。全国の寺院で伝承される中で、同名の曲であっても異なる曲となっているものも少なくありません。
琴古流本曲は、普化宗の本曲を江戸時代末期に黒沢琴古が集め、自身の流派で伝承すべき36曲を定めて整理したものです。普化宗の本曲が純粋な宗教音楽であったとすれば、それをもう少し楽曲として整えたものと言えます。そして、明治期に入り、中尾都山が新たに都山流の開祖となり、普化宗の本曲とは全く別個に、新たに純粋な音楽として作曲したものが都山流本曲です。都山流本曲は西洋音楽の影響を受け、より楽曲的になっていると感じられます。
尺八本曲も、かつては、生まれては消える音楽であったと思います。しかし、時代を超えて伝承される中で淘汰され、しっかりとした存在価値を示していると思われます。
恐らく伝統的な音楽としての尺八に惹かれた者であれば、習得すべき曲としてあらゆる楽曲の最上位に置くものが本曲だと思います。しかし、琴古流を名乗りながら、琴古流本曲は殆ど習ったことが無い、ひいては本曲を習わずに雅号を受けるというような、笑い話にもできなようような滑稽かつ深刻な事態が頻繁に生じているのが現状です。
なお、本曲を習わないまま教授資格を取る方も増えていますので、本曲を習いたいけれど習えないという方もいらっしゃると思います。外曲を修めた方で、本曲のみ習いたいという場合にも対応可能です(運指を一からやり直すことになる可能性が高いのでこの点ご理解ください)。
なお、本会が伝授できる琴古流本曲は、木村士童(友斎)が三世荒木古童から伝えられた荒木派の本曲となります。
三曲合奏とは、三味線、筝、尺八または胡弓による合奏を指します。
江戸時代は尺八を吹奏できるのが虚無僧に限られていたため、三味線や筝との合奏に尺八が用いられることはありませんでした。 三味線と筝は旋律を繋ぐ楽器ではないため、糸を弾く音の合間をさらに別の音で繋ぐために胡弓が用いられるようになりました。その後、明治に入り、尺八が一般に開放されると、尺八が胡弓に代わり三曲合奏の旋律楽器としての役割を果たすようになります。
このような合奏で伴奏楽器として用いられる際の曲を「外曲」と呼びます。本来学ぶべきもの(「本曲」)とは異なる外の物という意味ですが、今日では「外曲」を学ぶことが主眼になっている場合も多いように感じます。
本曲、三曲合奏の演奏です。演奏のライブ奏録音のため雑音や演奏ミスもございますが、ご興味を御持ちいただけましたら、お聴きいだければ幸いです。
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