「教育勅語と基督教」

海老名弾正「教育勅語と基督教」(『国民道徳と基督教』所収、北文館、明治45年〈1912〉2月3日、pp.83~93)

*初出:『新人』12巻1号(明治44年〈1911〉1月1日)

*旧字体を新字体に直し、合字は開いて表記した。

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 教育勅語の下りてより既に二十年を経過した。吾が教育家は之を服膺して、鋭意教鞭を取りたるに相違なきも、国民の風潮は年を追うて忠孝の観念を没却する傾向がある、而して社会の信義に至つては持に地を払うて見るべからざらんとするは、歎すべきことである。荀も国家民族の将来を想ふものは、憂慮せざらんと欲[p.83]するも得ない。畏くも教育勅語は我が国体の精華を最も簡明に言ひ表はしたるものである。個人、家庭、国民の道徳は権威を以て言明せられ、毫も遺漏ないのである。竊に思ふ、誠に善を尽くせり美を尽くせりと。然れども之を説明し実行する方法と精神とに至つては、国民各自の自由に一任してあると思ふ。是れ蓋し深き聖意の存する所なりと信ずる。教育勅語は固より間然すべきものにあらず。然るを、軽佻[ママ]浮薄の気風は年を累ぬるも改らず、滔々として益堕落の徴候を示すものがある。誰れかその責に当るべきであらう。吾人は之を説明し、実行せんと欲する教育家と、之を奉読し、遵守すべき国民がその責任に当るべきを想はねばならぬ。

 我教育の淵源は元来宏遠にして深厚なるものに相違ないが、しかし之を説明するに当つて、極めて浅薄に狭隘に説明するならば、又は之を実行せんと欲する者がその方法のよろしきを得ざるならば、万代を照らす聖訓ありと雖も、国民の道徳として実現し来らないことは怪むべきでない。吾人の見聞する所によれば、教育家の説明は余りに浅薄にして狭隘である。而して実行の方法も亦そのよろしきを得て居らぬ。之を聴聞する人々も浅薄に了解して、一向にその深遠なる霊能を喚[ママ][p.84]発するに至らない。吾々は久しく勅語の吾が国民道徳として煥発し来らざるを歎する。如何にすればそが著しく煥発し来るであらうかと苦慮すること亦久いのである。吾人は之を奉読するに当り、未だ嘗てその説明と実行とが基督教に待つ所のものあるを思ひ起さないことはない。試に吾人をして之を論せしめよ、また吾が愛国者の参考に資するものないともいへまい。

 勅語に示されたる国民道徳の綱領は忠孝の二大道徳なりと信ずる。吾人は先づ孝に就きて論ぜんと欲する。孝は家庭道徳にして、父子の関係をいふものである。故に或人は父子を以て我家庭道徳の基本なりと論ずる。之は最も深遠なる宗数の真理としては動かすべからざる基本なれども、家庭倫理としては、受取り難きことである。古人も君子の道は端を夫婦に造すといつた、人倫としては夫婦ありて後に父子がある。故に夫婦は孝の本たらねばならぬ。勅語には夫婦相和しとあるが、夫婦相和せざる所には、孝の徳は育ち難い。夫婦の和が孝の本たるは論を待たぬ。然らば則ち孝を論するに先ちて、夫婦の和を論ぜねばならぬ。抑も夫婦の和は如何なる方法によりて最もよく実現し来るべきか、是れ最も注意すべき問[p.85]題である。世界には一夫多妻の風習もあり、一妻多夫の風習もあり、又は一妻多妾の風習もある。是等の風習は果して夫婦相和の実現を見るべき家庭を造り得ベきものであらうか、吾人は断じてその然らざるを知る。夫婦の相和は巌格に相互の貞操を保全するを要する。然らば則ち如何なる夫婦制度が最も円満なる相和を全うするであらうか。一夫一婦の家庭道徳たるは言を待たない。是れ正しく基督教の主張する所ではなからうか。勅語に日く父母に孝にと。この孝は夫婦相和の家庭にその光輝を発すべくして、夫婦不和の家庭には見難き所である。妻としてその夫を怨む如き事情の存する家庭には、孝道は行はるべきものでない。彼の不自然極まる二十四孝の如きは、之れあるかも知らぬが、然れども是れ古人の所謂国乱れて忠臣顕はれ、家乱れて孝子起るといふものである。是れ豈に最も忌はしき事ではあるまいか。若し夫れ二十四孝の如さを以て孝子の亀鑑とするならば、天下には殆んと孝子はないのだらう。吾人は掌ろ此の如き孝子あることを欲せざるのである。

 兄弟に友にとあるも、亦一夫一婦主義の家庭に行はるべきである。彼の一妻多[p.86]妾の家に於て兄弟に友を求むるは非望の望である。所謂御家騒動といふは、悉く一妻多妾の弊習より発したのではないか。しからば先づ日本在来の弊習を破棄し去つて一夫一婦の制度となすにあらざれば、勅語に示されたる家庭倫理の実行は断じて望むべからず。吾人は断言するを憚らない、勅語の家庭倫理は基督教の一夫一婦主義に由つて始めて実現すべきものなるを。

 忠に至つては則ち国民の公徳にして、基督教とは甚だその主義を異にするが如き観想を有するものがある。然れども、事の真相に思ひ到るときは、是れ寧ろ基督教の信念に待つ所がなくてはなるまい。忠とは本来精神の公事に奉ずる最も真面目なるものではなからうか。利己主義より打算する所には、真の忠はある筈はない。何んとなれば忠は己れを忘るゝ熱誠なる精神の状態であるからだ。基督教の信念によれば、忠は正義公道の神を尊信して、之に事ふるに存すと。力を尽し、精神を尽し、智恵を尽し、意志を尽して神を愛するは、忠にあらずして何んであらう。故にクリスチヤンの神に対する態度は唯忠のみである。彼の利益を得んと欲して、信心する利己主義の動機より安心立命を求むるが如きは、クリスチヤンの信仰[p.87]より観れば、極めて浅薄なる信仰にして、その良心に恥る所である。至善至聖の神に熱中して自己を忘るゝ、是れクリスチヤンの信仰なるが故に、基督教は吾人の最も深奥なる霊能を喚起するものである。この霊能は則ち忠として特別大書すべきものである。既にこの雲能がある、之を国家及君主に対して応用することは、実に之を挙げて之を措くといふに外ならぬ。この豊富なる信念を傾注して、国家道徳に応用するは、恰も滔々として流るゝ大河の水を決して、田野に灌くやうなものである。難ずる者は言ふであらう、それ或は然らん、然りと雖も神に対する忠誠は一片の宗教心にして、国家に対する所以にあらずと。然り、固より同一のものではない、然りと雖も国家道徳をこの深遠なる宗教心より養成し来るは、亦是れ国家道徳の淵源を深からしむる所以である。試に封建時代の忠義を視よ。当時の所謂忠といふものは維新以後のそれとは、全くその趣きを異にして居る。日本人は嘗て彼の忠臣蔵の如き、又千代萩の如き、最も壮烈なる忠を歌うて居れども、是れは現代の所謂忠ではない。封建時代の忠は何人に対するであつたか。一個の藩主に対する忠であつたらう、皇室に対する忠ではなかつたらう。その忠の範囲は一藩[p.88]に限られて、日本帝国ではなかつたのである。而してその所謂忠なるものは報恩にして、君の禄を食むものは君の為に死するといふに外ならなかつた。然れどもその内容は兎に角一片の忠には相違なかつた。この忠はもとより狭小ではあつたけれども、幸にその応用よろしきを得たるが故に、やがて王政維新を造り出し、廃藩置県の偉業を成し遂ぐるを得、而してこゝに明治の盛代を見るに至つた。然らば則ち宗教の奥義に存する忠誠は能く之を国民道徳に応用し、幸にその動機となるに至らば、忠君愛国の熱誠油然として勃興せんこと、吾人の信じて疑はない所である。誠に現代の忠君愛国なるものは所謂戦時道徳にして、平時の道徳ではない。我日本国民は一旦緩急あらば、義勇公に奉ずるの覚悟はあるけれども、この忠君愛国の精神は未だ日常彝倫の動機とはなつて居らぬ。彼の戦時に於て金鵄勲章にあづかる者が、平時に於て最も憐むべき堕落人となるは何んであらう。我所謂忠君愛国なるものが未だ日常道徳の動機となつて居らないことは、論よりの証拠である。是れその養成する所の淵源が甚だ浅近なる故ではあるまいか。若し此精神が時々刻々深遠なる信念の淵源より養ひ来らるゝものならば、換言すればクリ[p.89]スチヤン朝夕の祈祷の中に胚胎するに至るならば、忠君愛国の精神は信念と偕に日常彝倫の動機たらんこと、恰も欝勃たる生命の生々として息まざるが如くなるべし。況んや博愛衆に及ぼすの徳に至つては、殆んど基督教主義の特権といふても過言ではあるまい。

 基督教は過去五十年以来この博愛を主張したるが為に、狭隘なる国家主義を懐きたる人々には痛く嫌悪せられ、折々国賊呼はりすらせられたのである。某教育家の如きは博愛衆に及ぼすとある衆は、世界の人々といふにあらず、五千万の我同胞を指すのみとまで論じたることもある。加藤博士の如き、嘗ては帝国大学の総長をまでつとめたる人にして、国家主義と博愛主義との衝突を提げ来り、痛く基督教を攻撃せらるるのである。それも三十年前のことならば兎も角も、現代に於て忌憚なく論ぜられ、しかして地方小学校教員のうちにも之に同意するもの甚だ多しといふに至つては、如何に日本人の度量が狭隘なるかを驚かずには居られぬ。勅語には之を中外に施して悖らずとあれば、博愛の及ぼすべき所が宇宙的なるは論を特たないのである。昔時は外国即ち敵国なりと思惟したることもあつた、今日[p.90]に於て斯る思想を懐くは、則ち勅語の主趣に悖るものではあるまいか。勅語の実行せられざるのは怪むべきでない。クリスチヤンが頻りに国民の復生を主張するは亦宜ならずや。帝国民は従来の島国根性を脱却して、世界的精神を発揮するにあらざるよりは、勅語の聖旨は断じて了解し能はないのであらう。基督教の大なる博愛主義の説明を待つて始めて勅語の宏遠なる聖旨は了解せらるゝであらう。然るを去頃天長節に於て帝国教育家の師範たるべき菊地総長が、基督教は未だ十分に日本化して居らずと公言せられたそうであるが、吾人はその虚伝ならんことを欲すと雖も、是れ我が多数の教育家中に蟠る一大疑問たるは疑はれない。我教育界より帝国の世界的大精神を発揮し来らざるも、亦最も千万ではあるまいか。彼の一旦緩急あらば、義勇公に奉ずるの精神が、則ち基督教の博愛主義に悖るかの如く杞憂するものもあるが、是れ極端なるトルストイ一派の主張を以て基督教とするものにして、欧米クリスチヤン一般の常識を無視したるものである、取り挙げて論ずるまでもなきことである、吾人は強ちに基督教を弁護せんが為に此論をなすのではない。[p.91]

 基督教は祖先崇拝を旨とするものにあらずと雖も、我が皇祖皇宗の国を肇むること宏遠とある聖句に対しては、深き敬意を懐きて黙識する所のものがある。吾々は我国家創業の際既に業に天佑の豊なりしを信ずる。我が皇祖皇宗と宇宙の神霊との深奥なる開係を推し究めてこそ、始めて帝国の存在を神聖ならしむることができやう。無神無霊魂の唯物論にては断じて我国体の霊能を説明し能はざるのである。唯物論に取りては、我が皇祖の威霊とあるが如きは、全く無意味である。又彼の皇祖の威霊と天佑とを同一視する人の如きも、国家創業の際に於ける天佑は到底之を認むること能はないのであらう。加之尊厳なる天佑の言葉さへも之を僥倖、運気等の意味に堕落せしむるが如き、深き宗教心のなき人民の常習といふべし。無神無霊魂の唯物論や永遠の人格を認めざる凡神教にては、到底勅語の聖意を了解し能はざるや明白である。而して宗教といふも亦一概には論ずべからず、正義公道を重じ、公明正大なる良心に神の声を聞く所の倫理的宗教にあらざる限り、国家道徳の基本たることはできない。基督教に由つて勅語を説明し、その霊能を以てその聖訓を実行せしむれば、吾人は勅語が更に宏遠深厚なる意義を[p.92]発揮し来り、我が国民道徳の実を挙ぐるに至らんを信じて疑はぬ。是れ我が教育界に於ける破天荒の新実験ではあるまいか。我が新進の識者がこゝに想ひ到らざるは、吾人の深く慨歎する所である。基督教主義の学校は大胆にその主義を照らし来つて、勅語の宏遠なる意義を発揮し、真面目にその聖旨を体得する子弟を養成せんこと、その当に務むべき当然の職分ではあるまいか。基督教主義の学校はこの実行に於て、宜しく深厚にその存在の使命を自覚せねばならぬ。

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