宗家略歴等history
明治28年5月 熊本県飽託郡河内村に生まれる
明治43年 熊本中学三年の頃、藤本静脩師の門に入り肥後流詩吟を学ぶ
大正4年4月 早稲田大学政治経済科に入学の為上京、皇居二重橋を拝した後、頭山満 先生を尋ね「山堂夜坐して亡友を憶う」を吟じ褒辞を戴く
大正6年4月 「静吟詩堂」創立、詩吟の普及を図るため指導を始める。又、中国各地を親善旅行し、黄鶴楼等、各地で高吟す。
大正13年3月 早稲田大学卒業後、操觚界に身を投ず。電通本社時代、機会あれば吟じ同好者 を募る
昭和3年春 昭和天皇即位の御大典の折、嵯峨天龍寺に会同した若槻・浜口・安達諸先生等、憲政会幹部三百余名の前で「筑後川を下る」を披瀝
昭和3年11月 芝、愛宕山のNHK全国放送「筑後川を下る」「白虎隊」等、吟界初めての詩吟全国単独放送を行う
昭和6年 浜口首相襲撃され、重傷をおして登院された際、首相官邸にて記者クラブ一 同を代表して、沈痛窮まる祝辞を述べる
昭和9年5月 第一回八聖殿大会(情操教育を主眼に)の開催に推進役で参画(安達謙蔵 清浦奎吾・金子堅太郎・頭山満・徳富蘇峰諸先生他)
昭和10年 中野正剛先生、東北地方遊説に同行の折、阿武隈川畔にて「鸛鵲楼に登る」 「筑後川を下る」等を交吟す
昭和14年 静吟詩堂名古屋本部発足
昭和16年12月 同盟通信社京都支局長として京都に赴任
昭和17年~20年 島津製作所の青年学校の講師として精神訓話吟詠指導す
昭和24年5月 静吟詩堂再建の発表式を虚白院にて開催す。武田静宗他入門
昭和27年~48年 京都府警察本部教養課の講師として、各署警察学校にて精神訓話、吟詠指導講話を行う
昭和27年10月 愛国詩吟連盟発足(会長・吉田益三先生)参与として協力、後に顧問
昭和38年 京都府詩吟連盟発足。常任顧問として協力す
昭和47年 藍綬褒章受章す
昭和59年 賜杯を受章す
平成5年5月12日 満九十七歳の生涯を閉じる