このピアノ・ソナタは、ベートーヴェン自身が『月光の曲』と名付けたのではなかった。それは、この曲をドビュッシーの『月の光』(ベルガマスク組曲)と聴き比べてみると一目瞭然というより、ひと聴き瞭然だ。ドビュッシーが第1小節から月の光を表現しようと全身を響きに集中しているのに比べて、ベートーヴェンのほうは何かしら不思議な世界を表現しようする構えが聴きとれる。作者の意図するところはあくまでも<幻想曲風ソナタ>(Sonata quasi Fantasia)つまり、幻想的な世界を表した曲であって、具体的な物を標的にしてはいない。曲の解釈は「その2」へ引き継ぎたいので宜しく。
彼はこのソナタを、もともとヨゼフィーネに献呈するつもりでいた。が、曲が完成したとき、彼女は結婚して伯爵夫人になっていて、既婚の女性に献呈するのはためらわれた。それならば、まだ人妻になっていないジュリエッタがいいと、即決したそうな。1799年から作曲されて1801年に完成している。この時期は、ヨゼフィーネをダイム伯爵にさらわれてしまって唖然とすると同時に悲嘆にくれた時期と重なる。それ以後、彼女とはダイム邸で開かれるコンサートやレッスンでしか会うことができなくなった。<それではせめてレッスンの際、彼女にこの曲を弾いてもらおう>とこの作品を作曲したらしい。
# バッハの平均律ピアノ曲集前奏曲との類似
ピアノをいくらか嗜まれた方は「ピアノ・ソナタ14番-2」(以下PSと呼ぶことにする)の楽譜が、バッハの平均律ピアノ曲集前奏曲(以下BPと呼ぶことにする)の楽譜とそっくりであること、だが曲の表情はまったく違うことに気付かれるであろう。それではまずBPの冒頭の3小節を部分譜で示し、つぎにPSの冒頭の4小節を示して、この二つのそっくりさんぶりをとくとご覧あれ。
BPの出だしのso do mi はPSの出だしのso# do# mi と、こちらは3連符による分散和音ではあるが、流れは同じである。ちなみにPS全体でのso# do# mi の小節は第1小節のほかに第2小節と第5小節の後半4分の3、それに第7小節と第44小節、59小節は前半と第60小節の右手の後半に使われる。
PSの第3小節のra do# mi ra do# mi# はBPの第18小節目と第27小節目にある。さらにBPの第16分音符の3つのつながりのうち、いちばん高い音を微妙に変えたものが沢山見つかる。それではBPとPSの最後の部分を比較してみよう。
それほど長くないこの曲の作曲にルートヴィヒが3年近くの時間を掛けたのには理由があった。恋愛問題でくよくよしていただけではなかった。1800年から1801年にかけて彼はピアノ・ソナタの立て直しを目指し、「最高の目標へ向かって一目散に邁進する音楽を作ろうと」した。
これまで第1楽章はソナタ形式が置かれていたが、この作品ではアダージョの3部形式で作曲されている。第二楽章は嬰ハ短調から変ニ長調に転調して、響きのコントラストに「えっ!」と驚かされる。
古典的な形式から敢えて離れて自由な形を求めることでロマン主義的なソナタへ向かおうとしたことについては、どのベートーヴェン研究書も大きく取り上げている。就中
「ベートーヴェン ピアノ・ソナタの探求」野平一郎 春秋社
はことに詳しく、音楽大学を出ていない私がくどくど説明するより、この本の
第14番 嬰ハ短調 作品27-2 ≪月光≫ p93~p120
を参照して頂けたら、と思う。
ちなみにこの研究書はベートーヴェンのピアノ・ソナタだけに限って書かれていて、目方がこの1冊で660グラムもある。銀座のY楽器店の3階でこれを買い求めたとき、そのほかにも4冊購入していて大変な重量になった。4階にも用事があったために3階のキャシュコーナーに置かせてもらい、それから4階で用を済ませてから3階へもどってきて本を受け取った。古希のMinaeにはこのような工夫がいるのだ。あとで考えると、八王子の自宅まで宅急便で送ってもらえばよかったものを、真冬に汗をかきかき持って帰るとご利益があるというか、熱心に読めるのではないかと思った次第だ。帰宅して荷を解く間もなく読んでみたら、おそらくこの世で、ベートーベンのピアノ・ソナタの特に構成についてこれ以上詳しく書かれたものはないのではないかと感じ入った次第だった。やれやれ、汗をかいた甲斐があった。
そんな訳でアマチュアの私がこの曲の構成について何か言おうとするのは不徳の致すところというのは分かった。ではあるが、アマにはアマの目線があるかもしれないので、内容のアマさにもめげず、ちょっぴり書かせて頂こう。
このピアノ・ソナタは、第1楽章の冒頭は分散和音で構成されていて、第2楽章はすべて分散されない単一の和音で構成されている。第3楽章は
最初から20小節目までは(1)分散和音、
21小節目から32小節までは(2)分散和音が左手に移り、
(3)33小節目から43小節までは左手は分散されない和音、右手が分散和音。
(4)44小節目から58小節までは両手で一つの分散和音を構成する。
それ以後は、例えば65小節のように左手の単純な伴奏に右手が組み込み、分散和音を紡いでいく。
それから後は(1)(2)(3)(4)のいずれかで構成され(4)が非常に多くなって最後に197小節、198小節、199小節、200小節は主だった分散和音を流麗に総動員し、201小節に至る最後の二つの和音do# mi so# do#をffで高らかに鳴らしてフィナーレとなる。
まるで建物のために引かれた図面のようで、緻密な構成に驚くばかりだ。こうした構成に加えて、主だった旋律を変奏する技法が至るところで駆使されて聴く者に何かしら安定した、心地良さを感じさせる。
和声や「ナポリ2度」その他、構成上の詳しいことは先に挙げた野平一郎先生の研究書に丁寧に記されているので、読者の皆さんは参考にして頂きたい。
ともかくベートーヴェンはじっくり時間をかけて交響曲、例えば第3交響曲などの構成の原理ともいっていいものを確立しようとして模索したせいだと考えられる。
さてこの辺りで、私の思い出の玉手箱を開けることに致したい。そのなかに分散和音がメインテーマになっているものがあって、我が心の宝物の一つである。今を遡ること約30年、オーストリアはザルツブルク郊外にあるアッター湖の畔で、すばらしい響きの分散和音と出会ったのである。
&&&&&&&&& タイムトラベル (3)
私は、グスタフ・マーラーが夏を過ごしたアッター湖畔のシュタインバッハのちょうど対岸にあたるヌスドルフという小邑に宿をとってステイしていた。シュタインバッハには彼が第3交響曲と第4交響曲を作曲した作曲小屋が残されていて、ヌスドルフの湖ぎわから目をこらすと遠くに見てとれた。画家のグスタフ・クリムトは隣村のウンターラッハにステイして木々や花々を描き、湖にボートを浮かべては教会や家々も描いた。
湖から渡ってくる風は、マーラーのシンフォニ―に流れる調べそのまま爽やかだ。シュタインバッハは険しい岩山や森の裾野にあり、そこでアルプスがしばし果てる。ヌスドルフはそれに比べると穏やかな原っぱがつづき、林檎の木が林立していた。周りの丘は起伏がゆるやかなため、散歩する人のなかには子供やお年寄りも多かった。宿から5キロばかりのところには池があって日本と同じ姿の睡蓮を眺めることができた。その昔、誰かが日本からもってきたか、Wasserlilie(水の百合)という言葉があることからすると、もともとこの邑に自生したのかもしれない。
Minaeは『ルー・アンドレアス=ザロメ』の翻訳に余念がなく、夜の仕事はことに楽しかった。女将さんが、私が独りで使うように計らってくれたガルテン・ハウスに大きな蝋燭を2本灯すと、その狭い小屋は神秘的な世界へと変わった。この地では蚊や蛾の類は、幼虫が冬の寒さに耐えきれず死ぬので、夜、そのようなものに悩まされることはなかった。このような処で真っ白い原稿用紙にペンを走らせるのは、まことに心地よかった。
女将さんの話では、とうの昔に亡くなったおばあちゃんの話によると、対岸の作曲小屋の近くでは時ときとしてマーラー夫妻の歌う二重唱が美しく響きわたったそうな。そんな夕べには、作曲小屋の近くにグスタフとアルマの唄を聴くためにボートが何艘も浮かんだという。人々はじぃーと唄に耳を澄ませたという。グスタフが40歳代の、夫婦がいちばん幸福な時代のことだったらしい。
さて、良く晴れわたった朝のこと、いつものようにMinaeは湖の方へ散歩に出かけた。
真っ赤な芥子の花が点在する畦道を見上げつつ湖のほうへおりていくと、湖面にはアルプスの山々を背景に真夏の陽光がきらきらと輝いていた。その帰路のこと、水着の袋をさげた3人の男の子に出喰わした。「モールゲン(おはよう)」と私が挨拶すると
「モルゲン,モルゲン,モルゲン、モールゲン」と三重唱が返ってきた。分散和音だ、突然のすばらしい響き、それもハモッテいる。空からひばりが舞い降りてきたのではないかしら?
「ツェーエフ アーで歌ってくれたのネ。すばらしい!!!」と私が言うと、
「よく分るのですね」と、のっぽのお兄ちゃんが応じた。その横の子と顔が瓜二つだから兄弟に違いない。弟のわきを歩く子はボーイソプラノの音色だ。
「あなたは、そこのペンションのガルテン・ハウスにステイしている人なの?」と兄ちゃんより頭一つ背の低い子が訊ねた。私は「おばさん」ではなく「あなた」と声掛けされたことが、ことのほか嬉しかった。
「ガルテン・ハウスでは仕事をしていてネ、普通はペンションの2階で過ごしているのよ」と応えた。
「音楽が好きなの? ツェーとか、アーとか、ドイツ語で言えるのだネ」と言ったのは弟のわきを歩いていた子。メガネを掛けている。
「音楽のプロじゃないけど、好きだわ」と言う私の声はすでに、日本でお隣さんとしゃべる時のアットホームな声になっていた。
「例えば子供のときにピアノを習ったとか?」とメガネちゃん。しゃべり方もボーイソプラノで可愛い、よく通る声だ。
「ええ、小学5年から高校の2年までピアノを習っていた。勉強より楽しかったわ」と私。
「どんな曲をさらいましたか?」とお兄ちゃんが訊いた。
「習いはじめて1年もすると『エリーゼのために』、それからしばらくすると『トルコ行進曲』、最後のころは、ベートーヴェンの『月光ソナタ』をさらった。バッハの平均律も並行して練習したように記憶しているわ」
「結構すごいじゃん。で、『月光』は第3楽章もきちんとやったの?」と、さすがお兄ちゃん。痛いところをついてきた。3楽章が難しいことをご存じときた。
「第3楽章はたしか、プレスト・アジタートでしょ? そんなに速くは弾けなくて、えーと、たしかアンダンテ位の速さで、それもようやっと弾けたってとこかな?」
「そうなんだ。うちのママは第2楽章をよく弾いていますネ」
「へえ、ママはピアノを弾くの? それにどうして第2楽章なの?」
「別棟に住んでいるおじいちゃんが、第2楽章は穏やかで好きだと言うの。それに亡くなったおばあちゃんの顔を想い出すのですって」と、言う。
今度は私が「そうなんだ」と応じた。
「ところで『月光の曲』は、ほんとうはお月さまと関係ないこと、ご存じですか」とお兄ちゃんが、いかにも兄らしく言った。
「え、そうなの? 知らなかった」と私。
「僕も知らなかった。じゃあ、お月さまではなくて、本当は何をうたっているの?」とメガネちゃんが訊いた。私が首を傾げていると、
「本当のところは良く分からない。むずかしいってママが言っていた」と弟。
それから、従兄の家族が湖の畔りにあるキャンプ場にステイしていて、今日は叔母さんがクッキーを焼いて待っているので、早く来たことを話してくれた。成程、その後に泳ぐのだ。
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それではピアノ・ソナタ14番の構成をしっかりと把握するため(わたしのために、そして読者の皆さんにも分かりやすくするために)60年まえにタイム・スリップすることにしてみよう。
&&&&&&&&&& タイムトラベル(4)
高校1年のMinaeはピアノ・ソナタ14番の第3楽章に四苦八苦していた。「降参!」と言って手を上げようとしたが、ともかく師匠に相談することにした。すると先生は「ベートーヴェンは建物を拵えるようにして、この第3楽章を立ちあげたのネ。そんなに弾きづらいと思ったら、曲を解体してみることです。そうしたらどういう仕組みなのか分かるでしょう。私は母が和紙を沢山集めていたから、それを使って仕組みを明らかにしたのよ。あなたは水彩絵の具をもっているでしょ。グラデ―ションを明瞭にするにはそれを使って画用紙に描いてみるのがいいでしょう」。
先生のアドバイスに従ってMinaeは画用紙に曲を図解してみた。グラデーションがすでに大変美しいし、ハーモニーの流れがはっきりと捉えられる。さらにハーモニーがいくつか混ざり合うのが目で確認できて面白いと感じられた。こうして水色系、オレンジ色系、紫色系、だいたいこれだけ使うだけで仕組みが読めてきた。
こうして2週間後、ゆっくりと第3楽章の201小節(休符の1小節を除けば200小節)をMinaeは先生のまえで披露した。譜面に指示されているプレスト・アジタートではなくアンダンテ程度で弾いた、というよりアンダンテでしか弾けなかったのである。
「あのう先生、音楽大学でこの曲を稽古されたとき、先生のそのまた先生はこの曲をどう解説されたのですか」とMinaeは訊いた。
「ああ、いい質問ね。いくつかのモティーフをいろんな具合にメタモルフォーズして拵えてあると教わったわ」。
「メ、メタってどんな意味ですか?」帰宅してから研究社の辞書で引けば分かるとは思ったが、今ここで訊くほうが手っ取り早い。
「メタモルフォーズとは巧い具合に手をかえ品をかえて、簡単にいうといろいろ変奏して大きな建物を拵えるということネ」。
それからMinaeはもう一つ質問した。
「ゆっくり弾くと、どうしてこうも悲しい雰囲気になってしまうのでしょうか」。
「あなたがゆっくり弾くのを聴いていて、私も同じことを考えたわ」と、師匠はおもむろに応えた。
「この第3楽章でベートーヴェン先生は、いろいろ恨み辛みがあっても、えい、やあ、人生の目的に向かって驀進するしかないと踏ん切りがついたのでしょう。ゆっくり弾けば悲しいというのは、そうした情熱は悲しみと表裏一体ということではないかしら」
「情熱と悲しみが1枚の紙の表と裏なんて、人生ってそんなに大変なんですか」
「神様から天分を授かった人は、その天分を生かす事が何より大切だから大変なんです。Minaeさんは何でもゆっくりやっているから、人生をそんなに悲観的に予測しなくてもいいのではなくって? これから恋をしたり、男と出会ったり、別れたり、いろんな事をゆっくり楽しめばいいのよ。ただ、急ぐべき時は急ぐことね」。
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60年前わたしの師匠だった方はベートーヴェンの音楽の神髄を弁えていた。つまり彼の作品の多くはメタモルフォーゼによって拵えられているといって構わないと思う。『英雄』にしても『運命』にしても『第9』にしても、同じメロディーがこれでもか、これでもかという位に繰り返される。
さらにここで見逃してはならない大きな要因がある。それはフランス革命後まだ10年しか経っていないということ。自由・平等・友愛の精神はルートヴィヒを大いに鼓舞した。若い彼は音楽での大革新、否、大革命をすでに目指していた。このソナタにおける共通点を見て欲しい。彼はバッハを意識しつつ、バッハを超える新しい風を音楽に吹き込みたいと考えていた。安定⇒不安定⇒不可思議⇒非日常⇒遥かなる世界⇒ロマン的な世界。こうした意図的な作曲姿勢はすでにロマン主義の音楽に近いといえよう。この傾向はすでにこの時期にはっきり現れている。
1998年8月下旬
→ つづき 第3章 その2 この曲は何を表現しようとしているのか