Research

多細胞体を「合成」する

 細胞は生命の最小単位であり、私たちの体は数十兆個もの細胞から作られています。例えば、脳の神経ネットワーク、体中に張り巡らされた血管、様々な分泌・代謝を行う肝臓など、体内の臓器の構造は非常に複雑です。体が形作られる発生過程において、細胞はどうやって、このような複雑で高機能な多細胞構造をつくり出すことができるのでしょうか。

 生物の形作りは、パーツを設計図通りに組み立てて作る人工物とは大きく異なり、パーツ(細胞)が互いに相互作用して自発的に高次構造を形成します。近年の生物学研究の発展によって、発生時に作用する遺伝子や細胞の挙動が明らかにされてきましたが、生体内の細胞間相互作用が極めて複雑なため、細胞どのような相互作用を行え組織構造を形成できるのか未だによくわかっていません。そのため、望み通りの構造をもった組織や臓器を自在に形成するには至っていません。そこで私たちは、「細胞どうしを思い通りに相互作用させる分子ツール」を開発し、培養細胞どうしを相互作用させて、細胞がどんな相互作用をすれば組織構造・機能を「合成」できるかを直接調べています。

生命機能を合成する「合成生物学」とは?

 興味のある生命機能を「合成」するために、どんな分子や細胞が必要かを考え、これらを分子生物学やタンパク質工学の知見を駆使して設計します。次に、設計したものを実際に細胞に実装して、その機能を検証します。うまく機能が出なければ、設計を改良して検証することを繰り返し、その生命機能を生み出すのに重要な条件を明らかにします。英語では"understand by building"とも言われます。

 自ら設計したシステムがうまく機能すれば楽しいし、設計通りに機能しないときは、生物学的あるいは技術的に何が足りないのかを突き詰めるチャンスになる、とてもエキサイティングなアプローチです。合成系は、自分のアイデア次第で「作りこむ」ことが可能で、例えば、病気の治療を目指して作りこんだ細胞は「細胞医薬」としての応用利用に直結するなど、医療・産業分野での社会貢献も期待されます。

以下に具体的な研究内容を紹介します。

1.生物の形作りをデザインする

 例えば、生物の発生過程は1つの受精卵からはじまり、細胞が多様な細胞種へ分化し、増殖や細胞死、パターン形成などをへて複雑な組織や臓器が自律的に形成されます。

ゼブラフィッシュの発生:https://www.youtube.com/watch?v=RQ6vkDr_Dec

マウスの発生:https://www.youtube.com/watch?v=P4kP0Eg348I

 細胞は、様々な分子を使って近くにいる細胞とシグナルをやり取りする、つまりコミュニケーションすることで、細胞集団のふるまいを制御しています。生物の形作りも細胞集団のふるまいの1つです。では、細胞がどのような細胞間コミュニケーションを行えば組織構造を形成することができるでしょうか。私たちは、すでに複雑な組織を形成することができる動物胚を用いるのではなく、組織形成能のない一般的な細胞株に新たな細胞間コミュニケーションを設計して、組織形成過程を一からつくり出して検証しています。

1.細胞接着を制御する細胞間コミュニケーションによる様々な多細胞構造の形成

 近年、合成生物学分野では、細胞間で互いの遺伝子発現を制御できる人工受容体synthetic Notch receptor (synNotch)が開発され、哺乳細胞を使って遺伝子発現を誘導する細胞間相互作用を人工的に構築することが可能になりました(Morsut et al, Cell 164, 780-91 (2016))。そこで、 synNotchを使って細胞接着分子カドヘリンの発現量を制御する細胞間シグナル回路を設計することにより、細胞を自発的に規則正しく配列させ、様々な多層構造を作製しました(Science. 361, 156-162 (2018))。細胞間で認識する分子と応答する遺伝子を自在に操作することで、様々な組織形成プロセスを作り出せることがわかり、多層構造の複雑化過程や細胞種の増加、非対称構造の形成や切断後の再生などの解析が可能です。

2.人工モルフォゲンによる多細胞パターンのデザイン

 動物の発生過程では、接着による細胞配置に加えて、モルフォゲンと呼ばれる分泌因子が拡散して濃度勾配を形成し、その濃度に応じて細胞分化を空間的に制御します。私たちは、細胞がタンパク質を分泌することでどんな多細胞パターンを形成できるか明らかにするため生理作用のない蛍光分子GFPをモルフォゲンとして作用させる人工モルフォゲン系を開発しましたScience. 370, 327-331 (2020))。細胞がGFPを分泌し、トラップや阻害、受容してさらに応答する細胞間シグナル回路を構築してシグナル勾配を合成し、勾配の形や動態の制御原理を解析しました。人工モルフォゲンは、初期胚の発生で見られるようなモルフォゲン勾配を形成する条件の洗い出しに加えて、 パターン形成に関わる問いを検証するモデルシステムとして利用できます。

3.多細胞モデル系で「自ら育つ組織」を人工的に作る

 動物の発生を見ていると、内腔や突起をつくるには?ノイズや乱れを修正して綺麗なパターンを形成するには? 組織サイズを一定に保つには? 複雑な組織構造はどのように進化したのか? など疑問は尽きません。このような複雑で動的な多細胞構造の形成を実現する細胞間相互作用を解明して、組織構造を自在にデザインすることを目指します。

2.細胞改変技術の応用利用

1.細胞医薬の開発

 上述した培養細胞どうしの相互作用を操作する技術を応用して、生体内の細胞との相互作用、つまり、体内の細胞を認識して何らかのアクションを起こす細胞をデザインします。このとき、疾患に関連する細胞や損傷した組織を認識して、組織再生の促進や炎症の抑制などを誘導する細胞を作製し、病変組織で薬として作用する細胞医薬の開発を目指します。体内環境を認識して局所的に治療因子を産生できる細胞医薬の強みを生かして、現在の薬剤では治療困難な難治性疾患に対する新たな治療法の提案を目指します。

2.臓器構造を操作する

 近年、組織幹細胞やES細胞の培養条件を制御して、ディッシュ上で臓器構造の一部を再現するオルガノイド培養系が開発されました。幹細胞が本来持っている能力によって腸、肝臓、脳などの「ミニ臓器」を形成できますが、移植治療や創薬試験に応用するためには、細胞種の追加や組織形態の操作、オルガノイド間の均質化など、より高度な制御が求められます。そこで、細胞間相互作用を操作する技術によってオルガノイド内に遺伝子発現パターンを作り出し、オルガノイドの形態や細胞分化をねらい通りに操作することを目指します。

3.新たなツールを開発する

 人工受容体技術の発展により、細胞が互いの遺伝子発現を制御する細胞間相互作用を自由に操作することが可能になりました。しかし、すべての細胞のふるまいを制御できるわけではなく、例えば、細胞の変形や運動能の操作、生体内での細胞間相互作用の操作は簡単ではありません。様々な細胞のふるまいを自在に制御することができる新たな人工受容体・分子ツールの開発を行います。