昨年の夏、一番目の姉が流産をした。 彼女は異常なほど悪阻が酷く、しばらく実家へ帰省していた。私も同じ時期、実家での制作を行なっており、そばで見守っていた。そしてそれは、彼女が少し回復し、自宅へと戻った翌日のことだった。 彼が心臓が止まったまま生まれ落ちた日、義兄と相談して決められた名前が「慈(いつく)」である。 遺骨も残らなかった彼のために、骨壷の代わりとして、臍の緒や思い出の品を納める慰霊箱をつくることにした。 彼が命を与えられ、失われるまでの間。14週間という短い命ながら、彼はたくさんの変化を周囲に与えた。 そのような彼にむけて。《あの日》