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『馬鳴菩薩は過去に移ろい行きた古の蚕に姿を変え、回顧した。
彼の菩薩、変幻する姿は汝なり、我也、仏也。』
2019年1月3日、我が子Tが生まれた。
一週間ほど入院をし、1月10日に退院となった。
退院して三日後、突如顔色に急変が生じ、緊急入院をした。
それからTの闘病生活が始まった。
病院に診察をしてもらうも、病名は不明。
一字は国立病院に転院し、原因の究明を計ったが、ついぞ、
原因も病名も分からずじまいだった。
国立病院においても原因も病名も分からないとなると、何万人かに一人の難病だったのだと思う。
5月・・・
それは突然すぎる別れだった。
家族の誰もが悲しみ、一時は正気ではなかったように思う。
この頃の記憶が特にあいまいで、自分でもどうやって生きていたのかがよくわからない。
Tの死は家族全員を深い悲しみに包み、気の動転具合は家族をバラバラにした。
そもそも死というものは理不尽なもので、何一つ納得できることなどない。
初婚相手のMとはTの49日忌の後、離婚してしまった。
蜘蛛の巣にかかった獲物のように、思い通りに動くことができない。
あの頃、それぞれの意志がどれだけ結果に反映されていたのだろうか。
誰も彼もがもがき苦しんだ末の、苦し紛れの選択だった。
私もまた水に溺れ続けているような苦しい時期が続いていた。
しかし、Tの供養を続けるうちに私の思いも段々と変化していった。
確実に生きる気力は失われていたが、それと同時に命の尊さを感じずにはいられなかった。
当時の私に去来した想いは「息子の分まで生きなければ」という事だった。
今思うと馬鹿らしいかもしれないが、「120歳まで生きよう」と思った。
<続く>