金城政和先生回想録(中・稽古精進編)
政和先生との最初の出会いから10年間は政和先生の門弟の一人でありました與儀 清先生の元で稽古を重ねました。上地流空手道と琉球古武道の両方を習う事となり月謝\8,000。当時、背負う物が何も無いフットワークの軽かった身分として「月謝分は取り返すー」と決め稽古は決して休みませんでした。その甲斐あり政和先生審査員長の下、順調に段位を取得させてもらいました。
政和先生、私含め與儀道場メンバーにも演武大会や競技大会でも直弟子同様接して頂き「稽古量十分、調子の良い者はセンターで使う」との事で我々も中心を任せられる事もありました。
競技大会、特に97年県立武道館こけら落とし世界大会では県代表に選出された事で久場川道場も開放して頂くばかりで無く長男の金城 憲先生の個別指導も手配して頂きました。
「頂点目指して毎日稽古しなさい」との檄を受け、月・水・金・日は與儀道場、火・木・土は久場川道場(憲先生指導マンツーマン稽古)移動は自転車で,
ロードワークは開発中の新都心地域で走り込み、とこれまでに無い、稽古を重ねました。が、大会では優勝を逃してしまい両師匠(金城政和先生・與儀 清先生)そして憲先生へ恩をお返しする事ができませんでした。にも関わらず金城先生、「第二位だから胸を張りなさい」と言っていただき居酒屋の2階を貸し切り盛大な祝賀会を開催して頂きました。あの時の感動も忘れられません。
紆余曲折あり独立したとはいえ、どの団体にも所属していなかった時期、眞志さんと安謝の、そば屋で昼食中に金城先生からの電話が入りました。「長嶺君、県連に入らないカー。その気なら佐久本先生にも保証人になってもらうからー」との事。願ってもない事でお願いします と即答しました。
その後、道場名を琉志会と改めで政和先生の正式な直弟子となり、月2回、金城先生のマンツーマン指導を受けました。
そんなある日「今度、大事な相談があるから時間作ってくれないか」との事で指定の小料理へ行くと金城先生「大会経験も十分だと思うので、これからは裏方として後輩育成に専念してくれないか」との事。「あー、これで競技大会へは出なくていいんだー」と正直とても楽になり快諾しました。「良かった、では早速、審判の勉強をしよう!」と金城先生も大変喜んでおられました。が、翌月の稽古中に大会の話しとなり金城先生、「あれ、今度の大会、長嶺君、出場しないのかー?」との事。私の脳は混乱状態となりました。
「あの場は何だったんだろうか。自分は夢を見ていたのか?」
事情を話すと「あー、そーだったなー」と金城先生。久場川メンバーに聞くと「金城先生あるあるですよー」との事でしたー。
ご一読ありがとうございました。
長嶺朝一郎