心理学のちょっとしたお話を書いています。もともとは、2020年度に入学し、なかなか通常通りに授業を受けられない状況の新入生たちに宛てて、勝手にメルマガとして送っていたものです。必ずしも専門ではない内容について、わかりやすさ重視で書いているので、かなり粗いところがあります。ご容赦ください。
みなさんは、高校のときなぜ勉強していましたか?
「そんなの受験のために決まっているじゃないか」という人が多そうです。
でも、なかには「日本史はおもしろいから、授業も楽しみだったよ」という人もいるかもしれません。
がんばって勉強するには「やる気」が必要ですね。
実はやる気にも種類があり、その1つに「内発的動機づけ」というやる気があります。
内発的動機づけは、「おもしろい」や「知りたい」という気持ちが素になっているやる気です。
先ほどの「日本史の授業が楽しみ」というのは、内発的動機づけの一つの例です。
「勉強って楽しいのか...?」という人もいるかもしれません。
そういう人は、部活や趣味のことを考えてみてください。
「楽しい」「うまくなりたい」と思って、取り組んでいませんでしたか?
それが内発的動機づけです。
「ご褒美がもらえたらやる気になる!」と思う人は多いかもしれません。
しかし、実は内発的動機づけにとってご褒美は有害です。
多くの研究で、ご褒美を与えるともともとの内発的動機づけが下がってしまうことがわかっています。
好きでやっていることには、外からご褒美を与える必要はないのです。
「内発的動機づけなんて必要かな?」と思った人もいるかもしれませんね。
これまでの研究では、内発的動機づけにメリットがあることがわかっています。
たとえば、複雑な問題が解けたり、創造的なものができたりします。
多くの研究者やアーティストは、楽しそうに仕事をしていますね。
内発的動機づけを持って仕事に取り組み、よいものを生み出しているのです。
さて、大学では自分で授業を選ぶことができます。
「成績」や「単位」も大事ですが、「おもしろそう」という内発的動機づけも大事にしてください。
そうすると、少し大学生活が楽しくなるかもしれません。
みなさんは、自分のことをよく話す方ですか?
「よくしゃべるよねって言われる」という人も、「私は聞き役かな」と思った人もいるでしょう。
いずれにしても、多かれ少なかれ、自分のことを人に話すことはありますね。
昨日あったことを友だちに話したり、悩んだ時に親に相談したり。
自分に関することを人に話すのを「自己開示」と言います。
最近ハマっていることを友だちに話したくなったりしますね。
あるいは、先輩に恋愛相談をしたりするかもしれません。
そんな風に、自分の中にいろんなことを人に話すのが自己開示です。
「そうそう、人に話すとすっきりするもんね」と思った人もいるでしょう。
適度に自己開示をすることは、精神的な健康にもつながると言われています。
他にも、人との関係が深まったり、自分の考えが整理されるという効果もあります。
確かに悩みの相談を受けると、少し親密になれた気がしますね。
そうは言っても、自分のことをうまく話すのは難しいものです。
自分のことばかり話してもだめですし、あまり話さないのも気まずい感じです。
自己開示には「返報性」のルールがあると言われています。
返報性というのは、「相手と同じぐらいの多さと深さの自己開示を返す」ということです。
小学生の時に誰かが好きな子の話をし始めて、つい自分も言ってしまったことはありませんか?
自己開示の返報性のルールに知らないうちに従っているのです。
どれぐらい自己開示をするかは、もちろんTPO次第です。
しかし、人間関係が深まっていくとき、自己開示は大切な役割をもつことが多いです。
みなさんもいろんな人と出会う時期です。
返報性を少しだけ気にしながら、思い切って自己開示をしてみるとよいかもしれませんね。
夜眠れない時、思い出したくないことが次々に頭に浮かんでくることありますよね。
「今日は友だちと言い合いになって気まずかったな」
「明日、学校に行くの気が重いな」
「そう言えば、明日テストあるのに、あんまり勉強できてないや」
「部活でもまた先輩に怒られそうだし...」
こんな風に、次から次に気が重くなることが浮かんできた経験はないですか?
何かが頭に思い浮かんでくるのは、みなさんの記憶の働きの1つです。
頭のなかにストックされている記憶が意識に上ってくるのですね。
記憶には主に「覚える」と「思い出す」という働きがあります。
嫌なことが頭に浮かんでくるのは、「思い出す」です。
記憶には「気分一致効果」というおもしろい特徴があります。
気分一致効果というのは、その時の気分によって記憶が左右されるという効果です。
基本的には、その時の気分と同じトーンの記憶が促されます。
楽しいときには楽しい出来事、悲しいときには悲しい出来事がどんどん頭に浮かんできます。
心理学の実験では、気分一致効果が簡単に起こることがわかっています。
文章を読んだり、音楽を聴いて悲しい気分になると、人は自分の悲しい出来事ばかり思い出します。
文章の内容や音楽は、自分の出来事とは無関係です。
でも、気分のトーンが一致していると、自分の記憶が影響を受けてしまうのです。
眠れない時は、不安になったり、イライラしたりしてしまいます。
すると、その気分に一致するような自分の記憶が次々と頭に浮かんできます。
だんだん「自分はダメだな」と思えてきますね。
でも、「これは気分一致効果のせいかな」と思ってみるといいかもしれません。
本当は楽しいことも嬉しいこともそれなりにあったはずです。
とりあえず眠れない夜に考えることは2割引きで考えましょう。
次の日に、もう一度ふり返ってみると、案外たいしたことなかったりするはずです。
問題です。
「r、t、a、h、e」の5つのアルファベットを並び替えて、意味の通る単語を作ってください。
・・・。
・・・。
・・・。
できましたか?
・・・。
・・・。
・・・。
もういいでしょうか?
答は「heart」ですね。
多く人は簡単にできたんじゃないかと思います。
では、どうやって答を出しましたか?
「え、何となく思いついたけど」という人がほとんどだと思います。
実はそういう問題の解き方を「ヒューリスティック」と言います。
自分の経験に照らして、「何となく」や「思いつき」で問題を解く方法です。
「他に解き方あるの?」と思った人もいるでしょうね。
5つのアルファベットの並べ方は、5の階乗(懐かしいですね)で120通りです。
その120個の単語をすべて見ていけば、「heart」を見つけることができます。
こんな風に決まった規則に従って問題を解く方法を「アルゴリズム」と言います。
アルゴリズムはちゃんと従えば、ほぼ確実に問題が解ける方法でもあります。
(アルゴリズム体操は順番を守ればぶつかりませんね。)
「アルゴリズムって面倒だな」と思いますよね。
でも、確実に問題を解こうと思ったら、アルゴリズムの方に分があります。
ヒューリスティックに頼ると、「earth」を見落とすかもしれません。
他にも、数学のテストで公式を使わずに、「だいたい2でしょ」というわけにもいきません。
確実さを求めるなら、アルゴリズム的な解決の仕方が必要なのです。
しかし、実はヒューリスティックが使えるのが人間の強みだとも言われます。
科学者が発見をしたり、芸術家が独創的な作品を作るのはヒューリスティックです。
アルゴリズムではなかなか新しいものはできません。
みなさんはヒューリスティックとアルゴリズムのどちらを使うことが多いですか?
それぞれの利点を考えて、うまく使い分けられるといいですね。
これまでに、グループで何かをすることがありましたよね。
班で課題を仕上げたり、グループで意見をまとめたり。
そういうグループでの作業は好きでしたか?
「グループでやると話ができて楽しいよね」
「他の人の意見聞いていると面白いから好き」
そんな風に肯定的に捉えている人もいるかもしれません。
でも、「いや、集まるとさぼる人いるし...」
と思って、グループでの作業は好きじゃない人もいるはずです。
実は、「人は集まると手を抜くものだ」というのが心理学での常識です。
集団になると一人当たりの努力量が減ってしまうことを「社会的手抜き」と言います。
ある実験で、人に集まってもらって、できる限り大きな声を出すようにお願いしました。
すると、人が多くなればなるほど、一人当たりの声量が小さくなってしまいました。
人が集まると、自然とがんばらなくなってしまうのです。
みなさんはきっと同じような経験をしていると思います。
運動会のつなひきで、本当に力いっぱい引っ張っていましたか?
あるいは、合唱コンクールであらん限りの声を出していましたか?
こういうところに社会的手抜きがみられることがあります。
「え、私はクラスのために一生懸命歌ってたけど」という人もいますよね。
そうです、集団になっても精一杯がんばる人もいます。
社会的手抜きは、みんなが少しずつ手を抜くと言うだけではありません。
「一人ぐらいやらなくても大丈夫」と手を抜く人がでるので、一人当たりの努力量が減るのです。
そういう人のことを「フリーライダー」と言います。
大学でも、きっと今まで以上にグループ作業は多くあります。
考え方や背景が違う人が一緒に協力するのは簡単ではありません。
ただ、フリーライダーは結局は損をします。
(嫌われたり、力がつかなったり、みんなで単位を落としたり...。)
大学では、面倒だなと思うことでも、うまく人と協力することを学んでほしいと思います。
みなさんは一目惚れをしやすいですか?
ぱっとみたときに、「かっこいい」「かわいい」となりますか?
心理学では、一目惚れよりも「何度も目惚れ」があると言われています。
「はあ?」となったと思うので、ちゃんと説明します。
心理学でよく知られている効果に、「単純接触効果」というものがあります。
これは、「ある人を見れば見るほど魅力的に感じるようになる」という効果です。
1回見るよりも2回、2回見るよりも3回と、見たり会ったりする回数が増えます。
すると、その人をより「すてき!」「かわいい!」となるのです。
「そんなアホな」と思いますよね。
ある実験で、いろんな人の写真を見せて、その人の魅力に点をつけてもらいました。
次々に写真を見せていくのですが、時々同じ人の写真を繰り返して出します。
おもしろいことに、何回も出てくる人の写真は、回数を重ねるごとに魅力の点が高くなりました。
写真で見るだけで、魅力的な人になっていったのです。
CMやドラマでデビューしたてのアイドルを見ることがありますね。
最初は「...。」となったとします。
でも、繰り返し目にするうちに、「やっぱりいいかも」となることはありませんか?
これが単純接触効果です。
1つだけ注意点があります。
単純接触効果は、悪い顔の場合には起こりません。
と言うと、「やっぱり美人は得なのか...」と思うかもしれません。
いやいや、そうではなくて、人相の話です。
不機嫌だったり、不快感を表している顔だと何度見ても魅力的に思えないようです。
単純接触効果は恋愛の話だけでなく、友だち関係でも同じです。
少しだけ笑顔に気をつけて、なるべく顔を合わせる機会をもてるといいですね。
好きなアーティストはいますか?
新曲の情報が出ると、リリースが待ち遠しくなりますよね。
昔だったらCDの発売日、今だったら配信開始日ですかね。
いずれにせよ、待っている間もちょっと楽しいものです。
実際にリリースされて聴いてみて、「あれ、今回はあんまりかな」と思ったことはありませんか?
心待ちにしていたのに、少し残念です。
でも、好きなアーティストなので、繰り返し聴いていると
「やっぱいい曲!」となっていることに気づきます。
みなさんのお気に入りの曲をいくつか思い出してください。
いずれも一目惚れ(一聴惚れ?)でしたか?
きっと、聴いているうちに好きになっていった曲もあると思います。
「なぜ聴いていると好きになるか」について、2つ説明があります。
1つは、「一目惚れ」で気づいてもらえると嬉しいのですが、単純接触効果です。
音楽にも単純接触効果があります。
ある曲を聴けば聴くほど、魅力的に思えてくるのです。
もう1つは「刺激の最適複雑性」です。
人はちょうどよい複雑さのものを好むようにできています。
10ピースのパズルは退屈ですし、10000ピースのパズルも遠慮したいですよね。
あるいは、1色の絵や20色使われている絵よりも、ちょうどよい配色で描かれている絵が魅力的に思えます。
(もちろん水墨画や複雑な現代アートは独特な魅力もありますが...。)
音楽にも同じことがあてはまります。
メロディやコード、曲展開がちょうどよい複雑さの時に「いい曲だな」と思えます。
初めて聴いた曲は展開やメロディ、歌詞が予想できませんよね。
ぜんぜん合わせて歌えず、ある意味「複雑な曲」に聴こえます。
それが繰り返し聴いていると、曲全体が頭に入っているのでちょうどよい複雑さになります。
そうして、「いい曲だな」と思って一緒に歌いだすというわけです。
今は音楽もいろんなメディアですぐに聴けるので、「一聴惚れ」じゃないとなかなか残らなさそうです。
(なけなしの1000円で買ったシングルCDを繰り返し聴いてたのは石器時代の話です。)
でも、なかには魅力を聴きとってもらうのを待っている曲もあるはずです。
少し辛抱強く何回か聴いてみると、一生の曲と出会えるかもしれませんよ。
毎日暮らしていると、それなりにストレスが溜まりますよね。
先生に怒られたり、友だちと言い合いになったり、タンスの角に小指をぶつけたり。
楽しいこともたくさんありますが、多かれ少なかれ人生にストレスはつきものです。
普段の生活のなかには、「これやだな」と思うことはたくさんありますね。
でも、その全部がストレスを感じるようなものになるとは限りません。
隣の部屋で時々騒ぎ出すパリピはストレスです。
でも、決まって夕方に騒ぎ出す弟くんはそれほどストレスではないかもしれません。
実は、同じく嫌な出来事でも、ストレスになりやすいものとそうでないものは決まっています。
何が違うんでしょうね。
ストレスになりやすいものの特徴は2つあります。
1つは「予測不可能性」です。
嫌な出来事が、「いつ起こるかわからない」というときに、ストレスに感じます。
「部活の先輩、いつ怒りだすかポイントがわからないから嫌だった」とかありませんか?
嫌なことがいつ起こるか予想できないと、ずっとドキドキしていないといけません。
予想できないものほどストレスになるのです。
もう1つは「統制不可能性」です。
自分にはコントロールできないものはストレスだということですね。
言い返せない怖い先生、絶対受けないといけないテスト、動かないパソコン。
自分でどうにもできないものはストレスに感じます。
弟くんの場合は、騒ぎだしたときに「うるさい!」と怒鳴ればだいたい解決です。
でも、いつ騒ぎ出すかわからない隣のパリピは、予測不可能で統制不可能です。
とてもストレスフルです。
この2つのうち、「統制不可能性」は、気の持ち方次第のところもあるかもしれません。
社会全体を覆う災厄は自分でどうにもできません。
でも、本当に何もできないかというと、必ずしもそうではありません。
「退屈な毎日」や「何となく過ぎていく時間」はストレスかもしれません。
ただ、自分のやり方やアイデアしだいで、ほんの少し有意義なものにできるはずです。
その意味では統制可能な部分もあるのです。
嫌な出来事が起こったとき、「自分にはどうにもできない」となりがちです。
そんなとき、「自分でどうにかできることはないかな」と考えてみてほしいなと思います。
そうすれば、ストレスフルな生活も、少しだけ楽しくなるかもしれません。