トラン・ヴァン・トゥ先生は、1949年、ダナンの南方、クアンナム省の省都 ホイアン(現在の省都はタムキー)から西に15キロくらい離れた農村に生まれました。
当時ここは南ベトナムになります。
ベトナム中部クアンナム省の都市ホイアン。ホイアンの古い町並み」としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
ダナンの南方のホイアンから西に15キロの先生生まれの村はこのあたりでしょうか。
ホイアン旧市街地
1949年は、第3次吉田茂内閣発足(1949年2月)、中華人民共和国建国宣言(1949年10月)、湯川秀樹ノーベル賞受賞(1949年12月)という年です。
ベトナムでは、1945年に日本軍の降伏後、ホー=チ=ミンの指導で独立宣言。ベトナムは独立を達成しましたが、フランスはインドシナに復帰して植民地支配を再現しようとしたので直ちに1946年から対フランス戦争であるインドシナ戦争が始まります。フランスがホー=チ=ミンのベトナム民主共和国に対抗するため、1949年にバオ=ダイ帝を擁してベトナム国(フランスの傀儡政権)を樹立します。
1954年、インドシナ戦争で、ベトナム軍は、アメリカの武器援助を受けたフランス軍をディエンビエンフーの戦いにて破ります。そして、インドシナ戦争が終結。
フランスが撤退した後の1955年、バオ=ダイ帝は追放されてベトナム国は消滅し、かわってアメリカの支援を受けたベトナム共和国がサイゴンを首都に成立。
1954年、ジュネーヴ会議で成立したインドシナ戦争の休戦協定で、ベトナム・カンボジア・ラオスの独立承認。ベトナムは北緯17度線を軍事境界線として南北を分け、1956年まで統一のための選挙実施を約束したが、アメリカと南ベトナムが参加せず、南北分断が固定化。
1955年、アメリカが南ベトナムにベトナム共和国(傀儡国家)をつくります。北の共産勢力の南下を警戒して、1964年から直接介入してベトナム戦争となります。
アメリカは1965年からベトナム民主共和国(北ベトナム)に対する空爆(北爆)を開始し、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)に突入。 ベトナム民主共和国は第1次と第2次をあわせて「30年戦争」を経験することとなりました。南ベトナム解放戦線(ベトコン)が北の支援を受けて戦い、激しい空爆に耐え、南ベトナムの解放を支援し、ついに1973年にアメリカ軍は撤退。さらに1975にサイゴン陥落によってベトナム戦争を終結させて南北ベトナムの統一を達成し、翌1976年、国号を現在のベトナム社会主義共和国に改称した。
(出典:https://www.y-history.net/appendix/wh1601-112.html )
先生は、自転車でサイゴン政権の文部省前を通った時、掲示板の前に立ち止まっている人が何人かいて、気になって自転車を止めてみると、そこに日本政府の奨学生(国費留学生)募集の張り紙を発見します。
その後、先生は、1968年に来日し、駒場留学生会館に入寮されます。