「東京2020大会」のボランティア体験

1.「東京2020大会」パラリンピックのボランティア体験

写真0. 私のボランティアのID(現物は中京大学のミュージアムに寄贈して手許にはありません)

写真1:練習会場の練習スケジュール表と私

写真2:入手したピン等(アメリカ、ドイツ、オランダ、WBK連盟、IPCのバッジとボランティア銅と銀バッジ)


写真3:自作のPEACE ORIZURU(パラリンピック版のOlympic Truceと入った折り紙用紙にパラリンピックのエンブレムを貼り付けてPositive Peace!とピースメッセージを記入したもの)


写真4:パラリンピックの閉会式のエンディングの「ARIGATO」の電光掲示板


20210915(JOAのwebsiteから)JOA Review online

「東京2020パラリンピック大会」のボランティア体験                             by舛本直文

東京パラリンピックの期間中にボランティア活動をしました。オリンピック・パラリンピックで人生初めてのボランティア体験です。2000年シドニーオリンピック大会以降、私自身、各大会でボランティアの方々には大変お世話になりましたので、今度はお返しの意味で参加することにしたのです。

当初は、有明体操競技場でのイベントサービス(EVSと3文字省略形が基本だそうです)に割り当てられました。8月28日から1日休みを入れて9月4日までの7日間のシフトでした。私のIDに記載のあるAGCとは有明体操競技場のこと。そこはボッチャの競技会場でした。因みにARAは有明アリーナでWBK(Wheelchair Basketball車椅子バスケットボール)の会場にも入れるアクレディテーションカード(AC)です。

 写真0.私のAC:AGCとARAの2カ所に入れるという証がしてあります。


ボッチャ会場での私の当初のサービス内容は、観客の案内、チケットのチェック、セキュリティチェックなど、外回りの仕事が予定されていました。感染拡大に伴い、残念ながら無観客の方針となりましたので、EVSの活動がすべてなくなってしまいました。7月14日に予定されていた会場研修会も突然の中止です。その後の連絡を待っていましたが、何も連絡がないまま8月11日にIDとユニフォームをUACビルで受け取りました。

その後、TOCOGボランティア担当から連絡を待っていても何も音沙汰無し。そこで、知り合いの組織委員会のボランティア担当者に問い合わせてみました。すると、配置換えか1日のボランティア体験の可能性があるという返事でした。しかしEVSから何も連絡がない中、突然WBKボランティア専用サイトから「WBK練習会場のボランティアとして参加しないか」というお誘いのメールが届きました。その時点ではまだEVSの活動がないとの連絡がなかったため、ボッチャ会場での活動があるかも知れないと思い、8月26,27日の2日間だけ参加を申し込みしました。丁度ボッチャ会場にも知人のボランティアがいましたので、そこの様子を聞くと会場内では人手不足とのこと。そこのリーダーに、そこで私の活動が可能か聞いてくれることになりましたが、結果的には不可。それでボッチャ会場の活動は諦めることにしました。その後にWBK練習会場で9月1日から4日の最終日まで、朝一番のシフトが不足しているとの追加募集の案内メールが来ましたので、すぐに参加することにしました。中々連絡が来なくて、私だけでなく戸惑ったボランティが多かったようです。特に、昼食会場がないという連絡がなかったために、困惑した人が多かったようです。私も初日は駅前まで炎天下を往復40分掛けて昼食を食べに行く羽目になりました。(弁当がない分はミール券が配布されました。すかいらーくチェーンで有効な700円程度の内容のミール券でした。しかし、もらっても会場近くには食べるところが無いのですが、、、)。

さて、私のボランティアの活動内容は、東京ビッグサイト南館に設置されたWBK練習会場でのサポートでした。WBKの各国選手達の誘導(受け入れと送り出し)、競技用の車椅子や替えタイヤなどの備品の運搬、コート清掃・整備、更衣室の消毒と清掃、タオルやドリンク・リフレッシュメントの準備などです。練習会場の感染対策を入念に行い、快適な練習会場と環境を各国の選手達に準備することでした。全部で4コート、1コート最大5チーム受け入れると20チーム。男女のチームがありますので、練習会場毎の更衣室や男女用のボール交換など細心の準備が必要です。ボランティアチームは全員、アスリート・ファーストを心がけ、明るく笑顔で接しながらも、大汗をかきながらの受け入れの準備と片付けに追われました。私の一日の活動歩数は、毎日2万歩超でした。朝1番のシフト時には、4:30分起床で5:30頃の電車で出発し、7時30分に会場に集合、午後2時前後解散。間には状況見ての休憩時間があります。昼食はその間に摂ります。年寄りの身には中々応える活動の日々でした。

コロナ禍で大会開催に反対の世論も強く、中にはボランティアのユニフォーム姿で電車通勤することに気がひけるというような人もいたと聞きます。私の会場でも、控え室で着替える人たちもいました。折角の一生に一度かも知れないボランティア活動、「東京2020大会」のボランティア活動をしていると堂々と胸を張って言えない人たちが少なからずいたとされるのが少々残念です。 

    

写真1:練習会場の練習スケジュール表と私 

写真2:入手したピン等(アメリカ、ドイツ、オランダ、WBK連盟、IPCのバッジとボランティア銅と銀バッジ)

写真3:自作のPEACE ORIZURU(パラリンピック版のOlympic Truceと入った折り紙用紙にパラリンピックのエンブレムを貼り付けてPositive Peace!とピースメッセージを記入したもの)

写真4:パラリンピックの閉会式のエンディングの「ARIGATO」の電光掲示板

しかしながら、各国のWBKの選手達とは出入りの際にはとても身近に接することができました。選手達はマスクもして感染防止対策はきちんとしていましたし、挨拶もほぼきちんとしてくれました。「KONNICHIWA、OHAYO」などの日本語での挨拶を覚えている選手が多いのもほほえましく感じました。練習が終わって帰る際の「ARIGATO」は、良く聞く挨拶言葉の一つでした。チームで準備したpinバッジをくれる選手団もいました。私も、東京2020大会のpinバッジと交換もしましたし、PEACE ORIZURUのパラリンピック版のものを自作で用紙を作ってORIZURUを折って、練習会場の机上に置いたりして、自分なりの文化交流をしました。

さらに、選手達の振る舞いにはお国柄が良く現れてもいました。アジアの選手団はきっちりしています。整理整頓もトラックに積んでくる車椅子や予備タイヤの積み方にもそれは現れます。南米のチームやスペインなどのラテン系の選手達は陽気ですし、賑やかです。練習中にも元気なかけ声が聞こえてきます。(実は、練習会場はドアが閉められていて、私たちボランティは中を覗くことはできません)。日本選手達は結構きまじめですし、道具も自分の手で運ぶ選手も多くいました。外国の選手達はすぐに私たちボランティアに車椅子や荷物を託してくれます。これは、車椅子利用者として普段から他人からの手助けに慣れている文化なのかも知れないと感じました。この彼我の差は、日本社会では、まだまだ車椅子利用者への手助けが不十分な状況を反映しているのかも知れないと思った次第です。(なお、私たちは選手のものに触る際には、ポリ手袋使用です。終わったらすぐに手袋は取り替えます)。

実は、配置換えになった私たちのようなEVSのボランティア達は、会場研修も受けていませんし誰がリーダーかも知りません。急遽加わったメンバーのようなので、当初からこのWBKの練習会場に割り当てられていたボランティア達と違い、なかなか勝手もわかりません。毎日のチーム編成も、その日に参加したボランティアと練習を申し込んだチーム数に応じて、毎日朝一番に決定するような方式でした。その分、ボランティアのチームが固定されて折らず、チームワークのような濃い人間関係はできませんでしたので、それが心残りでした。しかし、私たちのような年寄りと大学生のような若者達が一緒になって活動するのは滅多とないこと。またボランティの仕事ぶりにも個性が出ていて、人々の考えや行動の多様性は十分に確認することができました。このWBK練習会場のボランティア活動の仕切りをする責任者の人達は、おそらくスポーツイベント会社のメンバーのようでした。

選手団を運ぶ車椅子リフト付きバスは日本全国から集められていて、私の故郷の広島から来たバスもありました。これらの選手団のバス輸送は、近畿日本ツーリストが送迎スタッフとして管理していました。110mHで金メダルを取ったジャマイカのハンスル・パーチメント選手が、競技会場行きのバスを間違った際にタクシーの手配と1万円を渡して手助けたストイコビッチ・河島・ティヤナさんも、このようなスタッフの一員ですね。選手がバスに全員乗車すると封印シールを張ります!これは、練習会場と選手村以外は立ち寄ることができないシステムかなと思いました。また、荷物を運搬するトラックも、荷物の開け閉めは封印シールのナンバーを選手団の責任者が確認してはがしたり封印したりします。誰かが勝手に触ることができないシステムになっています。コロナの感染防止や車椅子などの用具の破損を防ぐ方式の一環なのでしょう。感心するしかありませんでした。

9月5日の最終日にはサプライズのメールがWBKチームから来ました。ビッグサイトの練習会場と武蔵の森の競技場の試合会場のボランティア達を「決勝戦が行われる有明アリーナの会場見学に招待する」という案内です。WBK日本チームが決勝に進んでいる決勝戦の会場です。一応は、日本チームの応援とは銘打ってはいません。「試合見学の可能性もあります」との案内内容でした。

当然喜んで、日の丸と間食をバックに入れて有明アリーナに駆けつけました。おかげさまで3位決定戦のハーフタイム以降を観戦(見学)することができました。残念ながら日本チームは決勝でアメリカに敗れてしまいましたが、あの好ゲームを間近で観ることができ、最後の表彰式まで余韻に浸ることができました。最後に思いがけず、素晴らしいご褒美をもらうことになりました。(WBKチームの責任者からは、私たちボランティアへの感謝のスピーチとともにSNSには映像を挙げないで欲しいとの要請と、両チームに平等な応援を拍手でなどの依頼がありましたが、日の丸を持参していたボランティアは私だけでした、、。)

ご存じのように、ボランティアユニフォームは辞退者が多く、沢山余ったようです。その再配布にも出かけてワンセット追加でもらいました。しかし、これは別の活用方法がなかったかと気がひけながら受けとりました。世界中には、貧しさや紛争などで衣服を必要としている子どもたちが多くいます。組織委員会は廃棄すると非難されるので、再配布という方法を取ったのでしょうが、彼らに寄贈するという考えもあっても良いかなと思いました。

WBK練習会場までは、りんかい線の「国際展示場」駅で下車してビッグサイトの南館まで約20分歩きます。途中にあるマスコットガーデン前には、東京都のボランティアである「シティキャスト」と呼ばれるボランティの人たちの方が多くいました。熱中著対策のタオルや扇子を配っているのですが、ボランティの数の方が多いくらい、一般の人出がありません。数回訪れた「夢の大橋」に設置された第二聖火台にも思ったより人がいません。一応、観覧自粛を謳っているせいもありますが、確実にコロナ感染への不安から人出が少ないようです。本来ならこの地区は「オリンピック・プロムナード」と命名されて、毎日10万人の人出が予想されていた場所です。2000年シドニー大会以降、オリンピックの華やいだ雰囲気を知っている身としては、残念な思いに駆られました。このように、外国からの観戦者も含めた様々な異文化交流や体験会ができなかったのが悔やまれます。

こうしてみると、私自身のパラリンピックのボランティア初体験は幾分消化不良気味でしたが、パラリンピアン達に身近に触れることができたこと、多様なお国柄にも少し触れることができたこと、ボランティア活動の仕切りや組織委員会の資材調達状況の一端なども知ることができました。この体験や知見は、「オリンピズムの伝道師(自称)」には確実に貴重な財産となると思います。引き続きチャンスがあればボランティアにトライしたいと思っているところです。

最後に、私も、パラリンピックを開催してくれて、選手達が参加してくれて、外国メディアも取材してくれて、ボランティア活動への参加が可能となって、「ARIGATO」という感謝の言葉でボランティア体験の報告を締めくくりたいと思います。

2.パラリンピックのボランティア時の写真

・東京ビッグサイト南館での車椅子バスケットボール練習会場でのボランティア時に撮影した写真です。

・全国からリフト付きのバスが集められていました。

・用具を運ぶトラックも封印テープが貼られていて、トラブル避ける工夫が!

・海上警備の様子も護衛艦と小型ボートも!

・イギリスチームの車椅子のカタカナのネーミングに感心!しかも金色で刺繍を!

・メインストリートのオリンピックプロムナードは、本来は賑わうはずが閑散と!第2聖火台のある「夢の大橋」も人出は少ない。その中でもソーシャル・ディスタンスをと警備の人も汗だくで!

・ミストの通路や浴衣姿がせめてもの涼を!

・皆さん、ARIGATO!

2020東京大会ボランティア時の写真